春休みの終わり
第二門を開けてから一通りの初級魔法、下級魔法を連日徹夜で習い、アストラルを身体に馴染ませた。それからエーテルとアストラルを鳩尾周辺の第三門で混ぜ、メンタルを用いて開門。
稲光が絶え間なく迸り、黄色の閃光に包まれた。己の肉体も轟雷と化し、稲妻と成って駆ける。
鳴り止まぬ雷を主とした黄色の世界、メンタル界。己の存在を証明する光、攻撃性を秘めた雷光がエネルギーとなり、鳩尾周辺にある第三門から全身に強い刺激が伝わる。細胞の一つ一つ、脳天から足の指先まで痺れるような感覚が駆け巡り、新たに生まれ変わった気分だ。
「おめでとう、黎人。これで第三門が開いたわ」
「ありがとうございます、入学式までに間に合いましたね」
華蓮にパチパチと拍手を送られ、頭を下げる。
四月五日、早朝。一睡もせずに第三門の開門に時間を費やし、入学式が始まるまでにどうにか第三門を開ききった。第三門の開門が間に合わなければ四日間、朝から晩まで付き合わせた華蓮に合わせる顔がない。
「ええ、そうね。だからと言って気を抜くのはまだ早い」
「貴族に混じって学校生活ですよね……」
「私の伝手で教職員に味方を用意しておいたから、もしもの事があっても黎人が窮地に陥ることはないでしょう」
「それでちょこちょこ外出していたのですか……過保護すぎません?」
華蓮は数日前からそれなりの頻度で外出していたが、どうやら俺が困らないようにと手を回したらしい。俺だけの力では解決できない問題が発生したり、身分による差別を懸念しての行動だが嬉しさ反面、何だか情けなくなる。
華蓮が首を横に振り、過保護ではないと否定した。
「敵陣のど真ん中に半人前の黎人を一人で送り込むなんて、考えられないわ。仮に問題が発生したとして黎人が自力で解決しようと動く際にも、味方が多いに越したことはないでしょう?」
「う……そうですね、ありがとうございます。なるべく頼る場面がないことを祈るばかりです」
「魔道具の教示を与えた兄弟子が喜んで味方になるみたいだから、存分に頼りなさい」
(この人、本当に何でもできるな。何人の兄弟子がいるんだ?)
仙術、魔法、精霊術、新たに魔道具。他にも華蓮が人に教示できる程の実力を備えた何かがありそうで、底が知れない。
「ほら、帰って制服に着替えたら入学式に行ってきなさい。私は部外者だから入学式に参加できないわ」
「はい、入学式が終わったら戻ってきます」
「修行はいつでも付き合うから、用事があったらそっちが優先。修行にかまけて落第したり、人付き合いを疎かにしたらダメよ?」
「あはは……気を付けます」
「私の悪い所まで似ないようにね、黎人」
学業、友人関係よりも修行を優先しようと思っていたのを見抜かれ、釘を刺されてしまった。作り笑いで頭を掻くと、華蓮に呆れられた。
「それじゃ行ってきます。二度目の高校生活をせいぜい満喫してきますよ」
「いってらっしゃい」
華蓮に手を振って走り去り、約三週間ぶりの外の世界に出た。
早朝の澄んだ空気と、草木や土が混じった独特な匂い。物質文明が生み出す喧騒が鼓膜を震わせ、随分と長く俗世から離れていたように思えてしまう。
マンションの前まで近寄ると硬いコンクリートを蹴り、廊下の手すりを足場に自宅の部屋がある階層まで跳ぶ。通勤中のサラリーマンや掃除している管理人のオバさんが目を丸くしたが、お構いなしだ。
「ただいま」
自室のドアを開けると、朝食のいい匂いが漂ってくる。手洗いうがいを済ませてリビングに行くと、食卓に用意された朝食を食べる父親と母親が居た。
「おかえりなさい、黎人。入学式まで時間がないから、急いでご飯を食べて支度しなさい」
「うん」
母親に促され、俺の席に用意してあったカリカリに焼いたベーコンエッグが乗ったトーストに齧り付く。華蓮の家では霊草と霊果しか食べていなかったので、久々に食べる動物性タンパク質が美味い。塩コショウといった調味料の味も鮮明に舌が知覚し、五感が過敏になったみたいだ。
父親がコーヒーを飲みながら新聞紙を読み、俺には無関心。スーツを着用しているので入学式に出席するらしく、元の世界の父親は一度も入学式、卒業式に来なかったので、こっちの父親も参加しないと思っていた。
「そんじゃ先に行ってる」
「入学式が終わったら保護者説明会があるから、黎人は帰っててもいいからね」
「はいはい」
席を立ち、自室に入る。筆記用具が入った筆箱をスクールバッグに突っ込み、ハンガーに掛けてあった新品の制服に着替えた。
白いワイシャツ、黒いズボン。赤に白と黒のストライプ模様が入ったネクタイを巻き、紺色のブレザーを羽織る。ブレザーの胸元にはホオジロを象り、魔と漢字が刻まれた校章のエンブレムがあり、襟に青銅の四角いバッジが付いていた。
スクールバッグを背負い、入学案内パンフレットを片手にランニングシューズを履いて家から出た。
(千葉魔法高校は貴族居住区画にあるのか。無断侵入は重罪だから、出入り口で手続きが必要か……面倒臭い)
入学案内パンフレットの地図を頼りに道路を走り、高校に向かう。通行車両が少ないのもあるが、車両を追い越す速度なので文句を言われない。
貴族居住区画の出入り口、門番として甲冑を身に纏う兵士が立っている。道路脇の植え込みを飛び越えて兵士の前に着地すると、突然の出来事に身構えられた。
「許可無しに貴族居住区画への入場は認められていないぞ」
「千葉魔法高校の入学式に参加したいのですが、手続きをお願いします」
「む……そうか、その制服は千魔高の新入生か。こっちに来て用紙に名前と住所、現在時刻を記入してくれ。学生証が配布されたら、次回から提示してくれれば手続き無しに通れるぞ」
「そうですか、教えて下さりありがとうございます」
「うむ。よし、通れ」
詰所に案内されて用紙に必要事項を記入すると、許可が下りたので貴族居住区画に入った。
高い塀に囲まれた広い庭付きの家々が建ち並び、区画整理が行き届いた道路。高校に近付いてきたので新入生の姿があるかと思いきや、貴族がわざわざ歩いて登下校などしない。追い越す車の車内に同じ制服を着た少年と少女を横目で確認し、送迎が普通なのだ。
数分程で千葉魔法高校の正門近くに到着し、多くの人々が集まっているので足を止めた。保護者達が息子や娘の晴れ姿を写真に収めようと、校門前で屯していた。
邪魔をしないように離れて敷地内に入るが、あまりの広さと巨大な建物に圧巻されて周囲を見回してしまう。
(俺が通っていた高校は貧乏だったからプールも無く、敷地が狭くて校舎も薄汚れていたが……国立の貴族向けの高校だけあって、金が掛かりすぎだ)
新校舎みたいに汚れ一つない十階建ての本館、本館隣の立派な劇場、室内プールが併設された体育館、一流シェフの料理が提供される食堂、筋力トレーニングが行えるジム、魔導書から学術書まで寄贈された図書館、多種のスポーツ施設、憩いの場となる緑溢れる公園。貴族の御子息、御息女が最高の環境で学べるようにと、お金を湯水の如く使った施設とサービスが充実した学校である。
(この規模だと税金で維持費を賄えないだろうし、貴族の寄付金もあるのだろうか。だとしたら、平民は場違いだと思われるのも仕方がないか)
多額の料金を支払い、相応のサービスを受ける。平民は
それを見越して華蓮が立ち回り、味方を作ってくれたのだ。高校内での立ち位置が最底辺であろうとも、気後れせずに本館の一階に足を踏み入れる。
怖くなかった、恐ろしくなかった。所詮は貴族の子供、子供を相手に何を恐れる必要があるのか。高校一年生にもなれば分別がつく年頃だが、甘やかされて生きてきた子供だからで済ませればいい。
「……黎人……何してるの?」
「その声は……麗奈か?」
不意に声を掛けられて振り向くと、同じブレザーを着た麗奈が立っていた。
「え、麗奈も新入生なのか? てっきり年下だと思ってた」
「……私と黎人は同い年、クラスも一緒」
麗奈のブレザーの襟には青銅の四角いバッジが付いており、年齢だけでなくクラスまで同じだった。まさかこんなにも早く再会するとは思っておらず、しかもクラスメイトになるとは面白い巡り合わせである。
「私達の教室は七階……こっち……」
麗奈に先導されてエレベーターホールまで行き、ボタンを押してエレベーターが来るのを待つ。後から数名の新入生らしき女子生徒がやって来ると、麗奈を見てヒソヒソと小さな声で話す。
「出来損ないはやっぱりFクラスなのね」
「剣聖の家系なのに、魔法を使えないってどうなの?」
「分家の方がAクラス、恥ずかしくないのかしら」
(麗奈が出来損ない? こいつらが本気で言っているのだとしたら、目が腐ってるのか)
麗奈の耳にも話の内容が届いているみたいだが、慣れてしまったのか聞いていないフリ。陰湿な輩に正論をぶつけても時間の無駄なので、相手にしないのだ。
否、麗奈がわざわざ相手にする価値もないのが正しい。俺も麗奈に倣い、相手にしないことにした。
エレベーターが着いたので乗り込み、七階のボタンを押す。密閉空間なのでキツイ香水の香りが充満し、過敏になった鼻が曲がりそうだ。
「あらやだ、安い鞄を背負って……平民かしら」
「Fクラスに一人、平民が入学すると聞きましたわ。彼がその?」
「そうでしょうね。何日で音を上げるか、見物ですわ」
「ふふふ……」
(この程度で揚げ足を取るとは、底が知れる。そんな事よりも香水がキツイ、早く七階に着いてくれ)
俺への陰口よりも、鼻のダメージが大きすぎる。一刻も早く新鮮な空気を吸いたいと我慢し、七階に到着するなり我先にとエレベーターホールへ飛び出て深呼吸した。
「……黎人、何してるの?」
「いや、別に……空気を吸ってるんだ」
「……そう……Fクラスの教室はこっち……」
麗奈の案内を受けて廊下を進み、ガヤガヤと騒がしい他クラスの前を通り抜け、七階の角にあるFクラス教室の前まで来た。
本来、此処に立つのは俺ではない。運良く生まれながらに第一門が僅かに開いており、
(もしも俺を視ているのなら、または俺の中から視ているのなら安心しろ。お前が思うような事にはならない)
俺は入学から卒業までの苦労と両親からの期待の板挟みになるのを想像し、嫌になったのだろう。
麗奈が教室後方のドアを開け、麗奈に続いて俺も教室に入った。
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