プロローグ―2

 眠りに落ちたが、いつの間にか佇んでいる。靴と靴下を履いていたのに無機質な床の感触が足裏から直に伝わり、それどころか茶色く色褪せた芝生の独特な匂いが漂わず、冷たい風も感じられず、夢のような不鮮明で曖昧な感覚ではなかった。


「―――何処だ、此処は?」


 意を決して瞼を開くと、前後左右に展開された広大な宇宙空間。半透明の足場に立ち、意識が鮮明で意のままに行動ができる。

 服装は厚手のジャケットとジーパンから無地のTシャツと短パンに着せ替えられ、裸足になっていた。

 普通は取り乱すべきなのだろうが、既に自身の結末を断定できている。故にこれが死後の世界、または別世界であるのは明白で、目の前の人物もそういう事なのだ。

 腰まで伸びた薄く虹色がかった白銀の長髪、瞼を閉じる度に色彩が変化する神秘の瞳。貫頭衣に似た無地の衣服から華奢な白い手足が伸び、荘厳で絢爛豪華な装飾が施された玉座に座す子供。容姿は人間の枠組みからかけ離れ、その身に纏う空気が異質だ。


「私はイア、神ではないがだ。ようこそ、宮内みやうち黎人れいと


 少年、少女とも区別ができない美しい声色で自己紹介を述べ、俺の名前を口にした。

 名乗ってもいない初対面の相手に名前を呼ばれると気味悪がるものだが、大して驚きもせず疑問をぶつける。


「アンタが俺を喚んだのか? 俺よりも役立つ人間を喚べばいいものを……」


「―――アハハハハ、面白い。普通は自身の状況を理解出来ずに、または受け入れられずに取り乱すのに、よくもまぁ平気なものだ」


「俺は冬場の公園で泥酔し、眠りに落ちて凍死した。そしてアンタが俺を召喚したんだろ? 事実を否定し、拒否したところで何も変わりゃしない」


「うんうん、その通りだ。やっぱり君は面白い」


 イアと名乗った子供がパチパチと面白可笑しく拍手し、俺を上から下まで品定めするように視線で舐め回す。

 自己評価として、俺は役立たない人間だ。人から求められる専門知識、専門技術を培った人材ではなく、目標を持たない人間は時間を浪費するだけの厄介者でしかないのである。


「君は私に喚ばれたと推測したみたいだが、残念ながらハズレだ。正解は君自身が喚び、私は君がこの世界に来る資格があるか、直接判断するべくこの場を設けた」


「アンタが俺を喚んだのではなく、俺自身が? 余計に意味がわからない……」


 イアが俺を指差すが、心当たりが見当たらない。小説ライトノベルでは神や何者かに召喚されるのが定番だが、俺自身となると何が引き金になったのか。

 息苦しい環境、違和感を抱えた生活から抜け出したい人々にとって、小説ライトノベルは欠かせない娯楽の一つだ。俺も小説ライトノベルを読み漁り、何度も抜け出したいと願ったものだが、それを己自身の力で起こせるとは到底考えられなかった。

 何よりも最大の謎は、異なる世界に自身が存在する点だ。それだとこの世界は並行世界になり、異世界召喚とは微妙に異なってしまう。


「もしかして、この世界は並行世界なのか?」


「いいや、残念ながらハズレだ。並行世界というのは太い幹から無数に枝分かれした枝葉で、何処を起源とするかが焦点となるが、地球ガイアは創生から大きくかけ離れている。地球ガイア根幹ベースが地球であって、環境と機会さえ揃えば同姓同名の同一人物が生まれるのも不思議ではない。そうなると君が存在しても可笑しくない訳で、地球ガイアの君に君が喚ばれたのも筋が通るだろう?」


「別世界の俺が俺を召喚したって、何だってそんな馬鹿げた事を……というより、普通の人間には不可能じゃないか?」


 どのような原理が働き、どのような手段で別世界から自身を召喚したのか、そんなの知る由もない。だが、別世界であろうと異世界であろうと、召喚するには相応の対価が要求されるのだ。普通の人間に支払える安い対価ではなく、神様といった上位存在でないと支払えない。

 頭を働かせる俺の前でおもむろにイアが右手を挙げると、空中に映像が投影された。


「コイツは……数年前の俺!?」


 黒い短髪、取り立てて褒めるべき点を見つける方が難しい平凡な容姿。年齢は顔付きから高校に上がる頃、幼さが抜けきらない自分自身が映っていた。


「この世界の人間は一般的に貴族のみが魔法を扱えるが、こっちの君は平民ながら運良く魔力マナがあった。魔法高校入学前の春休みに入り、何を思ったのか……魔導書に書かれていた召喚魔法を試してしまった」


「何をやっているんだ、こっちの俺は……理由は?」


「さぁ、私は人間一人一人の感情や思考を読み取れる訳ではない。具体的には分からないけど、思い詰めた様子から何かしらの理由があったのは間違いない」


 中学生の頃には無謀な挑戦を行わず、堅実な道を選ぶだけの分別がついた。だというのに一か八かの賭けに挑むなど、我ながら理解に苦しむ。

 映像に映し出された自身がナイフで指を切り、羊皮紙に血の魔法陣を描く。六芒星にミミズがのたくった文字を綴り、何かを唱えた直後に異変が起きた。

 糸が切れた人形の如く床に突っ伏し、そのまま動かなくなった。そこで映像が途切れ、代償は説明を受けずとも読み取れた。


「自分の命を捧げてまで、俺を召喚したのか? 馬鹿が! どう足掻いたってお前は変われない、が居る限り生きる目標を見失うのに!」


 歯を強く噛み締め、拳を握り締めて行き場のない怒りを抑える。その様子を見たイアが「いやいや」と首を横に振り、真実を述べた。


「君が召喚されたのは偶然なんだよ。君の死というタイミングと、己という深い縁が合わさっても、地球との干渉は膨大な魔力マナが要求される。別次元から悪魔、天使、幻獣等の召喚も同様で、こっちの君ではどう頑張っても不発でお終いなんだ」


「そうなると別の要因があったという事だよな?」


「実は君の他にも三人を喚んでいてね。世界間が狭まった時期というのも重なり、こうして君が喚ばれた」


「結局のところ、お前が原因じゃねーか!」


「アッハッハハハハ! そんな事を言われたのは初めてだよ、傑作だ!」


 全ての元凶は腹を抱えて笑うイアにあるが、罵詈雑言を浴びせず大きく吐息を吐き出して終わりだった。死後の世界でも視てやるかという腹積もりだったが、偶然に偶然が重なり、貴重な体験を現在進行形でできただけでも死んだ意味がある。

 イアが俺の意外な反応に笑いを止め、ニヤリと意地が悪い笑みを浮かべた。


「面白い、君は私を飽きさせないようだ。君さえ良ければ、別世界の自分自身に成ってみないかい?」


「何……? 本気か?」


「幸いにも枠は一つ空いている、君がそこに収まるだけだ。どうだい、素晴らしい提案だろう?」


(俺にとってはありがたい提案だが、こういう輩は裏に何かがあるに違いない。もっと情報を引き出すべきだ)


 時に嘘と伏せた情報が毒となり、身を蝕み死に至らしめる。事前説明を受けずに承諾し、不備があってからでは遅すぎるのだ。

 これまで心配性、考え過ぎで片付けられてきたが念には念をという言葉があるように、容易に人を信じてはいけない。


「先に幾つか質問をしてもいいか?」


「人に関する事柄以外なら、何でも答えられる。あんまり時間は残されていないから、一つか二つしか答えられない」


「何故、別世界から人を連れてくる必要があった?」


「人間の可能性を観測し、人類を存続させる判断材料にする為だよ」


 笑顔で即答するイアに、聞き間違いかと真っ白に染まった思考回路を再起動。改めてイアの返答を脳内で反芻させるが、やはり聞き間違いではなかった。

 平然と、さも当たり前に、俺達が人類を存続させる判断材料だと言ってのけた。最初に神に近いと立場を明かしていたが、その言葉の意味を理解した。


(コイツ……観測、維持、管理を担う世界そのものだ。地球ガイア、そこからイアってか? とんでもない奴と今、俺は対面してるのか!?)


 圧倒的だとか、そういう次元の話ではない。世界そのものと、大地そのものと俺は対話しているのだ。

 俺の態度は無礼極まりなく、本来であれば本当の死を迎えても不思議ではないが、加速した思考が最適解を導く。


(いや、焦る必要はない。コイツは感情や損得で物事を判断せず、人間みたいに礼儀を重要視せず、良くも悪くも絶対的に中立なんだ。いきなり態度を変えても、逆に不機嫌にさせる可能性がある)


 ありとあらゆる者の頂点に、生みの親に謙るのは理性がある動物の極めて自然な行動だ。一度たりとも俺みたいな不遜な態度を取る者は現れず、新鮮味があり喜んでいた節がある。

 言動に気を配らず、自然体で質疑応答を続けさせてもらう。


「俺達にそんな大役を任せて、何をさせるのが目的だ?」


「特にこれといって目的は無い、自由気ままに行動したらいい。善行と悪行は関係なく、ただ私は……人間が魅せる可能性に期待している、君達が描く人生ものがたりを視聴したいんだ」


「人間は業が深い生き物だ。そのマイナスを打ち消すプラスを作るなり、価値を魅せてみろと?」


 動物は生まれ落ちた瞬間から絶えず何かを犠牲に生きる。人間ならば豚や牛といった家畜の肉を喰らい、野菜に寄り付く虫と害獣を駆除し、他の生物を犠牲に豊かな生活を送る。

 肉や野菜を食べるのは止めろと言わないが、見ず知らずの犠牲があったという認識くらいは持つべきだ。食生活に限らず、社会においても同じだ。

 人間同士で蹴落とし合い、見知らぬ誰かを犠牲に己の立場がある。平気で人を見捨てられる非情な人間でなければ、社会で地位を上げるのは困難を極めるのが真理なのだ。


「―――聡いね、正解だ。完璧に私の意図を汲み取ったのは君が初めてだ」


 イアが慈愛に満ちた眼差しを眼下の青い星に向け、微かに笑った。

 人類がこのまま傍若無人に振る舞っていれば、近い将来に破滅を齎す。それを防ぐ為に根幹ベースとなった世界から異なる思想と知識を持った人間を召喚し、調和のバランスを保つのが主目的なのだろう。


「俺には荷が重すぎる、自分の生きる目標すら失ったんだぞ? そんな奴に何を望んでいる! もっと相応しい奴を選べばいいだろ!」


 胃がキリキリと悲鳴を上げ、脂汗が噴出する。

 人類の命運を背中に預けられても、俺には期待に応えられるだけの力、知識、技術どころか、あと一歩を踏み出せない臆病者。重荷に肝を潰して打ち拉がれ、期待を裏切るのが目に見えている。

 イアは吃驚したように目を点にしたが、玉座から立ち上がると俺の傍まで歩み寄った。


「世界中とダンジョンに蔓延る魔物に対抗させるべく、人類に授けたシステム。剣に魔法、スキルといった概念がある理想の世界だというのに、それでも嫌なのかい?」


「そんなのがあっても、俺は根本的に変わらない! 勇気が、あと一歩を踏み出す勇気がないんだよ! 生きる目標を失い、無様にぼんやりと生活する能無しという一度目と同じ末路を辿るだけだ!」


 抵抗できずに我慢し、擦り切れて諦め、辿り着く先は下り坂。一度目の人生を棒に振った人間が、二度目の人生を豊かにできるのは物語の中だけである。

 

「私が勇気を与えよう、希望を与えよう、己が信じた道を突き進む覚悟を与えよう。地球ガイアの友人に、幸福を願おう」


 イアの手の平から優しい温もりの淡い光が浮かび、俺の胸に吸い込まれていく。すると肉体の内側から硝子に亀裂が生じたような音が鳴り、何処からともなく一陣の風が吹き抜けた。

 負の感情が洗い流され、忘却していた何かを取り戻したような気がする。文字通り生まれ変わったような、表現し難い感覚に身体が支配された。

 不意に四肢の先端が粒子となり、崩壊を始めた。痛みがないので何事かと両手を眺めていると、イアが焦った様子で最後の質問をぶつけてきた。


「ごめん、君の魂がそろそろ限界だ。このままだと記憶を失い、元の世界で転生してしまう。黎人、これが最後だ。地球ガイアに行くつもりは?」


 俺の魂が脆弱であるばかりに、崩壊が始まったのだろう。卵の中身が外気に晒されているようなものだ、痛むのは早い。

 迷う時間もなく、迷う必要もなく、俺の返事は既に決まっていた。


「無論、地球ガイアに行く。もう迷わない」


「ありがとう、その返事を待っていた。緑の女神には話を通しておくから、あとはそうだな……近場の森に立ち寄ってみるといい、素敵な出会いがある」


「何から何までありがとう、イア」


 自身の名を呼ばれたイアは満面の笑みで手を振り、振り返そうにも手が無いので振り返せなかった。けれどもいずれ再会する時が訪れるであろうと、俺の直感が告げている。

 久々に抱いた期待を胸に、地球ガイアの己自身の肉体に宿るのだった。

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