第4話 場違いな衣装 その4

 隣町の大劇場へと続く、幹線道路沿いの広い歩道には、もうすぐに、ここを通り過ぎると思われる、セレモニー参加者(ゲスト)の車列を一目見ようと、すでに観衆による長い行列が出来ていた。そのほとんどが、十代や二十代前半の若者たちである。まだ、年端も行かない女の子たちを含むグループも多数見受けられる。彼らは別に今宵の大イベントのチケットを手に入れるために、ここに並んでいるわけではない。もうすぐ、この片側三車線の広い幹線道路を、一般の庶民たちが見たこともないような、ピカピカの高級スポーツカーに乗った有名人たちが颯爽と走り抜けていくのだ。その姿を一目でも見ようと、多くのファンが、なるべくいい場所を確保するために、この場所でひしめき合っているのである。少し遠回りになっても良いのであれば、イベントの会場へと続いていく、細い裏道は他にいくらでもある。精神的に、あるいは肉体的な理由により、人混みに揉まれたくない人は、そういう旅行者にあまり知られていない道を選ぶ方が賢明なはずである。しかし、この賑わう都会に、昨日今日ようやく着いたばかりの経験浅い訪問者や、チケットもろくに購入できないのに感情任せでここへやって来た、にわかファンには、怖くてそのような複雑な経路は絶対に使えないわけだ。細い道に一歩踏み込んだ途端、ナイフを握った暴漢が背後に立っているというギャング映画のような笑えない画を、どうしても想像してしまう。不測の事態を病的なほどに恐れるのは、新米旅行者の常である。彼らが去年ここを訪れていたと仮定しても、一年に一度しか訪れるチャンスのない街の詳しい地図が、そんなに深く記憶に刻まれているはずはない。細い複雑な路地に迷い込んでしまうと、せっかく待ち望んでいた開会の式典には間に合わなくなる。そこで、必然的に皆が皆、街の中央を流れている、この大動脈へと駆け込むのである。よって『ただ、ひたすら、真っ直ぐに進むのみ』という、イノシシや猿にでも容易に理解できそうな、このきわめてわかりやすい大通りのみが、大多数の来客の襲来により混みあうことになる。


 私の方の仕事も、例の一大イベントと必ずしも無関係とはいえない。こちらとしても、群衆を眺めながら気を抜いて、うかうかとはしていられないのだ。やがて、お気楽なファンの集まりが、さらに多くの野次馬を呼び寄せ、このさして広くはない歩道の上が、多くの祭り関係者とさらに多くの野次馬とで完全に埋め尽くされる事態になったなら、約束の時刻までに、目的地に辿り着くことはきわめて難しくなってしまうだろう。私は多少の焦りから、なるべく足を速めて、行き先も分からぬ人たちの合間を縫って進んでいくことにした。


 主観で語らせてもらえるならば、女性の価値のほぼすべては、その外見の印象で決まるといっても良いと思う。ただ、それはあくまでも可能性と確率を含んだ問題であり、スタート時点では優位に立っていても、結果として、その利点を最大限に発揮できずに敗退する人も多くいる。優れた外観を利用しようと決断したのなら、常に遥か未来のゴールテープを見据えた活動や態度が重要となる。


 夜の街は派手でみだらで必要以上に華美である。防衛能力をまるで備えていない、紙のように薄いドレス、そして、ワンピース。胸や肩の白い肌を惜しげもなく周囲の人に見せびらかして、傍目には、ほとんど何も着ていないようにさえ見える。そんな薄っぺらい衣服をなびかせた、舞台女優たちと判別もつかないような、金髪の派手な女性たちは、同じようなクラスのスーツを着た男たちに取り囲まれながら、上機嫌になって唄い騒いでいる。一緒になって浮かれている、男たちのほとんどは、今夜の文化的な祭り自体にはさほど興味はなさそうで、都会の雰囲気に浮かれて咲き乱れる、美女たちの周りに単純に群がろうとしているただの蜜蜂なのだ。彼らの服装のセンス自体には、それほどの品がない。場末の衣料品店でやっと揃えてきた、埃をかぶった衣装ばかりで、色彩の組み合わせにしても、どれもヘンテコに感じられる。


 しかし、酒やクスリの影響で、誰かが大声で聴き取れぬ叫び声をあげるたびに、それに合わせて、全員で楽しそうに手を叩く。その場にいる女性のすべてが、酔いによって陽気に笑い出すまでは、ジョークを踏まえながら、何度でも同じような騒ぎを繰り返していく。興が乗ってくると、女の子たちの軽い笑い声に反射するように、密林の野生動物よろしく、嬉々として宙に飛びあがる。次いで、通行人の動きを妨害するかのように地面に寝っ転がる。周囲でその騒ぎを見ている人たちの氷のように冷めた視線などは、まったく気にはならないわけだ。ただ、彼らのような人種は、普段一人で行動する際には、とても大人しく、とにかく神経質であり、何をするにしても、周囲の視線を逐一気にするタイプが多い。今夜の混雑のような集団心理に突き動かされないと、自分の本来の姿を取り戻すことができない情けないタイプのようだ。仲間と集まることさえ出来れば、『とにかく、カッコをつける』という名目のもとで、他人の前でどんなに醜態を晒しても、平気でいられる存在なのだ。道徳を失った夜の街では、このような行動はすべて不問にされる。道徳観念を統べる神々がここに存在するとしたなら、彼らの行為は裁かれることはないだろう。その幸福はごく短い期間にとどまるだろう。ただ、その輝かしい笑顔は羨ましい。自分の所有している、この地区でさえもなかなか見ることのないような自分たちの高級外車に、さっさと乗ってくれるように、我がモノになりそうな、尻の軽い女たちを幾人か見つくろって誘いをかけていく。その窓もサイドドアも、ドイツ製の特注品のワックスで念入りに仕上げて、ピカピカに光っている。普段勤務している、工場で得られる年収の、いったい何倍の額を支払うことで、アレを購入したのだろうか? おそらく、もう将来への貯蓄をするつもりなんて、これっぽっちも無いのだろう。明日の夕食のことも分からぬような自分の境遇に、ひたひたと差し迫ってくる破滅への危機感なんて、どこにも感じられない。しかし、こうした若者たちの自分の人生に対する評価なんて大抵は甘いもので、それでも十分許されるものなのだ。


 自分もかつては、そういった華やかな一攫千金の夢を追いかけたこともあった。舞台女優や歌手やアイドル、うまく時流に乗れれば、いつかは社交界のトップへと。あの頃、現在と同程度の知識を持っていたとして、うまく立ち回れたなら、結果はどうなっていただろうか? ほんの1%ほどなら、自分にも大舞台に上がれる可能性(チャンス)があったのだろうか。今となっては、夢に向かっていたすべての行為は後悔へと変わり、幼少の頃から膨らまし続けた希望は、あのときのオーディションにて、一瞬で霧散して消えたわけだが、胸に秘めた憧れだけは、なかなか消えないものだ。


 当初より立ち寄る予定であった、フラワーカフェの縦長の看板が見える位置にまで到着したのは、その店がすでに閉店間際になった時刻だった。すでに店内の電灯のほとんどが消され、客の姿はどこにもなく、店員たちによるせわしない後片付けがすでに始められていた。この事態にはさすがに肝を冷やした。時間の使い方を誤っていたのではないかと思わされた。近辺のオシャレなカフェやワインバーや、小綺麗な衣服や若者向けの小物を売る商店のほとんどは、まだ客を呼び集め、店内が明々としているというのに……。元々、街角の小さな花屋には、閉店時間など定まっていないのかもしれない。事前にもう少し情報をつかんでおくべきだったかもしれない。売り物の花の茎の部分を支えて、きれいに取り去った後の、二つの水桶を抱えて、そのまま店の奥の方へと運び込もうとする女性店員の後ろ姿が視界に入ってきた。慌てて駆け寄って、後方から呼び止めた。


「こんばんは、今夜は、もう店は閉めるの?」


「ええ、少し家庭の用事がありまして……。明日は通常通り、午後八時まで営業致します。でも、お嬢さんの方に、もし、ご要望があるのでしたら、喜んで承りますよ」


 女性店員は望まぬ来客を相手にして、不満そうな顔ひとつ見せずに愛想笑いをした。わざわざ呼び止めて、その作業を遮ってしまった以上、このまま無下に立ち去ることは出来ない。ここでも、『閉店間際の怪しい客』という、いらぬ印象を残す羽目になるわけだが、彼女の期待に応えないわけにはいかなくなった。


「そうね……」


 私は腕を組み、派手なネオンに決して負けてはいない、真っ青な夜を見上げて、しばし、考え込んだ。贈り物とは、まず、それを受け取る側のことを真剣に考えなくては……。行き過ぎる人たちは、街角に巧妙にはめ込まれたパズルの一欠片として、美しい花々をまず見つめて、それを選んでいる私の姿を横目に映して、その光景を一切を記憶にとどめることもなく、それぞれの目的地へ向けて過ぎ去っていった。そう、甘美なる夢が、ただの偶然の一部として完全に消え去ったとき、私はごく普通の人になり得るのだ。金のためだったら、どんな仕事にでも就くことができる人間というのは、周囲の人から、その人生を羨まれることはないだろう。そういった人種を極端に蔑む人間も実に多い。そういった事情を理解できないこともない。自分だってこんなに根暗になった自分が嫌いだ。再び、いくつかの空想が脳裏で点滅する。とっくに諦めたはずの幻想と、それをさらに追い詰めていく現実。こうして他愛もなく花を選んでいる行為が、とても、貴重で美しい時間に思えるほどだ。


「ここにある、まだら模様のバラを三十本、束にしてちょうだい」


「本当に? こんなに買ってくれてありがとう。本当よ。今日は朝から全然売れていなかったから、店を閉める間際に、優しいお客さんがぽっと現れてくれて、ほっとしたわ」


 こんな数本のバラが売れたところで、いったい、いくらの儲けになるのだろうか? おそらく、その利ザヤは、コロッケ二つ分にもなるまい。ただ、彼女が強い気持ちを込めて発したそのセリフは、とても偽りとは思えなかった。自分の商売に対して、あくまでも真剣なゆえに、愛想よくそう言ったのだろう。カフェも運営している花屋なんて、この近郊だけでも腐るほど存在するだから……。その厳しい生存競争のさなかにあって、自分の店だけが何とか生き残ろうと、良きリピーターを生み出そうとする会話のテクニックの一つなのだろう。


「送り状には、なんとお書きしましょうか?」


「そうね、この素晴らしい夜に敬意を表して、『PS. I love you 』としましょうか」


「ありがとう、では、五分ほどで包装できますので、少々、お待ちくださいね」


 彼女は今夜最後の客への応対をそういう台詞で閉めて、細い水桶の中から選び取った、いくつかのバラを優しく手に持って、店内に入っていった。私はその隙に後ろを振り返って、歩道の様子はどうなのか、もう一度見渡した。着飾った通行人も、有名俳優見たさの沿道の場所取り連中も、明らかにその数が増えてきていることが分かった。こちらの任務を首尾よく成功させるためには、目的地にあまり早く着くことも、完全に遅れて着くことも失敗に繋がりかねない。如何ともしがたいが、焦るとろくな判断が出来ない。とにかく、行動を促す、最終的な連絡が来るまでは、努めて冷静に振る舞おうと思った。事前の下見にはいくらかの困難が伴い、たったの一度しか敢行できなかった。ここから、目的地まで、予期せぬ障害がなければ、ほんの十数分であるが、この人混みにあっては、どれほどの余分な時間がとられるのだろうか。自分の顔の印象を、ここの店員や通行人たちに微塵も残さないためにも、ちょっとの焦りや憤りさえ、不用意に顔に出すことは出来ないわけだ。おそらく、今日一日で、数十人は訪れたはずの来客の一人に、うまく紛れ込まなくてはならない。バラの束を注文してから、ちょうど四分が経過した頃、包装した花束を抱えて、女性店員が店内から颯爽と姿を現した。先ほどまでの、私の態度の節々から、『できれば急ぎたいのだが』という願望を嗅ぎ取ったような手際の良さであった。よく仕事のできるスタッフだ。私は大袈裟にならぬよう、簡単な感謝の言葉を述べて、美しい花々を両手で受け取ると、足早に店を離れた。


『ああ、素晴らしい、素晴らしい! とても、いい夜ではないか! 運命の針はようやく自分の方へと回ってきている。あの時とは、まったく逆だ! 闇から光へ! それが手に取るように理解できる。長い時間をかけて用意してきた、複雑なギミックが、きっと、成功して繋がっていくに決まっている!』と、はやる心をさらに急かすような、復讐を喜びつつも実に嫉妬深い言霊が、私の過去の記憶のどこからか再び蘇ってきた。


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