第15話 灼熱ファイアーウォール

 雲が流れる青空の下。海に面した岸壁近くで浮遊する鋼の円盤に、ローズの背から飛び出したハイトはぶら下がっていた。


 頼りになるのは引っかかる網のみ。不安定に揺れ、翼竜由来の極めて丈夫な網とはいえ、いつ切れたり外れたりするかも分からない。危険極まりない状況である。

 ローズと共に上空を行くのが常なので、高さに恐怖は無い。だが、そのローズが傍にいない。不慣れな感覚と心細さが、相棒の有り難みを再確認させてくれた。

 この行為は度胸試しや罰の類だ。積極的に行うものではない。


「うぅ……おおおおぉっ!」


 だからこそハイトは叫び、気合いをみなぎらせた。強引に、力任せに登っていく。

 体力には自信がある。力仕事の毎日なので腕力にも。重心を取る感覚だって並ではないと自負がある。

 だからこんなものは楽勝だと、大きく笑みを浮かべる。

 ローズを追う円盤自体の動きに加え、海風にも苦労する。敵は多い。

 揺れて不安定な網を強く掴み、体を持ち上げ、上を目指す。相変わらず来る不可視の攻撃を耐えながら、ひたすら着実に。


「大丈夫か?」


 耳元から突然聞こえた声に驚く。伸ばした手が空振ってしまったところを、慌てて掴み直した。

 ショトラに渡されていた遠距離で会話する道具だ。遅れて気づき、息を整える暇も無く全身を動かしながら応える。


「大丈夫だ! そっちこそどうなんだ!?」

「ああ。キミがいるからだろうな。難なく逃げられている。キミを助ける余裕もあるが」

「いや、そっちはそっちに集中してくれ」

「……分かった。くれぐれも気を付けてくれ」


 追われ続けるショトラとローズも未だに危険である。救援を断り、一人で続行。

 だがこの極限の状況、頼りたい誘惑は強烈にあった。

 それを負けん気、意地、男としての矜持で振り払った。

 後はただ、上へ。吸い込まれる太い光に警戒し、可能な限り急いで、全身の筋肉を酷使して登る。


「着い、たぞ、オラァッ……!」


 そして遂に銀の表面に辿り着いた。

 円盤の上へ既に疲労困憊の顔を出し、縦から横へ体勢を変える。

 風圧が強い。流れた汗が冷えて寒い。それでも足元があるというだけで安心感がある。広がる網を掴んで腹這いに進んでいく。


「まだ、キッツいな……」

「ああ、そこでいい。その真下が頭だ」

「ハハッ、やっとかよ。よっしゃあ!」

「キミ、随分精神が昂っているな?」

「そりゃそうだろうよ!」


 嗄れかけた声で叫んだ。

 空中戦に、網登り。ここまでで既に体力は限界近い。体を動かすのは気力だけなのだから必然的に昂るしかないのだ。

 そう。更にもう一働きする為にも。

 網の下の銀の表面に右掌を当て、先祖たる龍を、その炎を脳裏に想像。火龍の熱を呼び覚ます。

 すると、みるみる掌の温度が上昇。その一点を通じ、幻想の炎で魔王を炙る。灼熱を与えてやる。


 狙いはショトラから聞いたところの熱暴走。過剰加熱オーバーヒート

 焼く。燃やす。それらハイトが知るものとは違う炎の用途。魔王の頭脳への直接攻撃であるらしい。


 精密な機巧程、環境の変化に弱い。

 宇宙空間を往く船ならば相応の処置がされているだろうが、この小型の円盤は恐らく地表で使う物。なので経費削減の為に必要最低限の耐久性しかないはず。よってある程度の高熱で誤作動や機能低下を引き起こす。つまりこうしてハイトが直接乗り込んで熱すれば、ショトラによる操作権の強奪が容易になるのだ。

 それが事前に受けた説明だが、ハイトは熱に弱いという事以外はあまり理解出来なかった。

 だとしても今まで助けてくれたショトラを信じる事に変わりはない。それだけの実績がある。


 その信頼を、意図的に考える。

 なにせ消耗の激しい熱の生成で、頭がぼうっとしてきているのだ。長時間続ければハイトの方が熱暴走になってしまう。

 どれだけ熱しても変化は見られなく、実感は薄い。結果が見えなければ意欲に結びつかない。ショトラへの信頼だけが、意識を保つ為の導だったからだ。


「いつまでやりゃいいんだ?」

「効果はある。もうしばらくだ。今侵入に成功した」

「しばらく、ね。ハッ。上等」


 意地を張り、笑う。虚勢を口に乗せる。精一杯の根性で見栄を張る。

 その上で、己以外にも頼る。

 一旦右手で網を掴み(網は翼竜由来の素材なので熱にも強い)、自由にした左手で荷物を探り、水を飲んだ。魚の燻製や果物もあるのでかじる。

 体力耐久力の勝負。戦争ならば補給は重要だ。

 熱源として摂取出来る物は確保する。

 手持ちが無くなれば、円盤に付着した魚のすり身も食べた。正直乾いて食べられたものではなかったが、これも貴重な勝利への鍵である。そう信じた。


「半分は突破した!」

「もう半分か! 焦らなくていいからな!」


 有り難いショトラの報告を聞き、見えぬ戦いに思いを馳せる。

 武力暴力の類でなく、政治闘争でもなく、商人の駆け引きでもない。完全に想像の埒外。

 例えるなら盗人や暗殺者のようだと言っていた。鍵をこじ開け、重要拠点に侵入し、権力者から権力を奪う。ハイトがしているのは拠点に放火し、指揮系統を混乱させている事となるようだ。

 警備の厳重な城へ侵入するショトラと放火する自分。たった二人の反乱を想像して、妙に愉快な気持ちになった。

 やはり英雄の物語は少年心に響くものだ。

 胸の炎に連動して、掌の熱が増す。


「防壁は突破した! もうすぐだぞ! あと少し頑張ってくれ!」

「いよっしゃあ!」


 ようやく見えた目的地。

 凄惨な形相で雄叫びを上げ、残る最後の力を振り絞る。完全に勝利するまで役目を果たし切れるよう、熱を発する右手に全神経を集中させる。龍の炎を懸命に呼び起こす。


 それ故に、左手の方がおろそかになった。


「あ? え……?」

「な! おいキミ!」


 網を掴む握力も既に限界だった。

 だから、気の抜けた左手は呆気なく緩んでしまった。円盤と繋がる点が消え、彼の意思とは関係無く、空へと舞い落ちていく。


「うお、おおおおおおおおおおっ!?」


 空へ抜ける絶叫。

 あれほどの灼熱の体温がスッと冷えた。

 いくら空に慣れ親しんでいても、落下の経験など基本的に無い。数少ない落下も、無事父親や仲間に助けられた。そのお陰で生きている。


 だが、今は。

 最悪の未来にぞっとする。

 こんな終わり方では悔いしか残らない。せめて、あともう少し。ショトラが奪うまでは、あの場にいなければならなかったのだ。

 上空へ、円盤へ、手を伸ばす。幾ら空を切ろうとも、ただ力の限り手を伸ばして──


「ぐおっふ!?」


 絶望の落下は唐突に終わった。

 背中から硬い物に落ち、叩き付けられる感覚。落下の衝撃はあれど、まだ高く、加速する前の段階だったので痛みは小さい。我慢すれば充分動ける。

 一安心し、救ってくれた相棒に感謝する。


「ありがとよ。ロー……ズ?」


 だが、救ってくれたのは愛竜ではないと気付いた。

 下にあるのは銀の平らな表面。すなわち小型の円盤。つい先程まで仇敵だった存在である。

 その理由は分かる。ショトラの戦いの成果、勝利の結果だ。

 だが心が追い付かない。これのお陰で助かったと、受け入れ切れない。

 ただただ、ぽかんとするハイト。

 その前に、ローズに乗ったショトラが意気揚々と現れたのだった。


「収奪完了。ありがとう、キミのおかげだ」

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