◇6 後編

「10体じゃなかったです」

 食事を終えて、完全に日も落ちた帰り道、わたしはあることを思い出した。

 わたしの隣を歩いていた椛さんが「何?」と言って立ち止まる。

「殺した化心、11体でした」

「誤差の範囲でしょ」

「たしかにそうなんですけど、最後に殺したのがちょっと変で……」

 そこでわたしはある日の登校中に出会った化心のことを伝えた。

 住宅街に佇んでいたこと、わたしを見てすぐに襲ってきたこと、まったく強くなかったこと。

 そういったことを伝えると、椛さんは少し考えこんでから「たぶん……〝野生の化心〟だと思う」と答えた。

「野生?」

「うん、本体となる人間がいない化心……化心もどきと言ってもいいけど、私たちは野生って呼んでる」

「化心は全部人間から生み出されるものじゃないんですか?」

「大抵はそうだけど、たとえばさっきの繁華街みたいな、人が大勢いる場所って、それだけたくさんの心が交差しているスポットとも言えるわけじゃない? そういうところで色んな感情が吹き溜まりみたいになって、ひどいときにはそれらが積み重なって化心っぽい形を作る……って、これも姉さんは言ってなかったの?」

「初めて聞きました」

「あの全身カフェイン女にはマジに説教が必要ね」

 拳と決意を固める椛さん。

 それは是非ともお願いしたい。

 葵さんは、喋るのが好きな割には、あまりにも語らなすぎる。

 それは決して、情報を出し渋っているとか、ミステリアスに振舞っているとか、そういうのではないと思う。

 ただ適当なのだ。

 彼女がわたしを拾ったのは、行方不明の母親の手がかりとして利用するためだと、椛さんは考えていたけど、案外ただの気まぐれなんてことも、あの人なら十分にあり得る気がした。

 ……野生の化心、か。

 化心はいつの時代も、どんなところにもいるとは聞いたが、自然発生するものもいるなんて。

 人が多い場所は、心の吹き溜まりになりやすい、だっけ。

 たしかに住宅街も、そういう場所と言えなくはないか。

 あとはどんなところがあるだろう。

 繁華街、住宅街、商業施設、駅、病院……。

「……学校、とか」

「ん?」

「学校も、人が多い場所ですよね。野生の化心は出るんですか?」

「あー、なるほどね」

 なにか納得したような、察したような様子で頷く椛さん。

「出るわね。野生も、普通のも」

「……そうですか」

「ま、せいぜい気を付けなさい。学校内で出会っちゃったら、私たちは助けられないかもだから」

 ひらひらと手を振りながら、椛さんはそう忠告した。

「でも、自力で野生が殺せるなら大したもんね、あいつら意外に強いから……って、あれ? 弱かったんだっけ?」

「はい。襲い掛かってきた割には、全然」

「そっか……どんな見た目だった?」

「えっと、人型で、身長は椛さんより高いです、首が無くて、黒いコートみたいなものを着ていて——」

 ちょうど、

 わたしたちの、

 目の前にいる、

 〝これ〟みたいな————。

「————っ!」

 ほんの一瞬だけ、遅かった。

 何かを言おうとしたときには既に、突如目の前に現れた黒コートの化心が、鎌のようなものをわたしの喉元に突き立てようとしていた。

 出現したことへの戸惑いとか、攻撃される恐怖とか、どうしてまた現れたのかという疑問とか、それらが一気に脳を支配して——情けないことに、その場で一番に行わなければならないはずの〝回避〟ができなかった。

 鎌の切っ先が、わたしの喉に触れる。

 触れて、突かれて、抉られる。

 躱すことすらできない癖に、そんなところにまで自分の想像がいきついてようやく、その刃が自分の喉に触れるギリギリのところで停止していることに気が付いた。

「——〈攻撃禁止〉」

 椛さんの声がわたしの耳に届く。

 さっきまで聞いていたものと同じ声のはずなのに、まったく別人のような、冷たく、どこか荘厳ささえ感じさせる声だった。

「ギリギリだったわね、怪我してない? あ、治るんだっけ。でも痛いのは嫌か」

 椛さんの声が元の雰囲気に戻る。

 肩を掴まれて、引きずられて、化心とわたしに物理的な距離が生まれる。

 遅れて、自分の息が激しく乱れているのを自覚する。

 化心は武器を持ったまま、プルプルとかすかに震えていた。

「首が無くて、コートみたいなのを着ている……たしかに特徴は同じ……鎌持ってるところとか、まるで死神ね」

 椛さんが、停止した化心をいろいろな角度から眺めている。

 危ないですよ、と言いたかったが、まだうまく声が出せない。

 案の定、化心が動き始める。

 けれどもそれは、攻撃のためではない。

 勝てないことを悟ったのか、敵はまるでわたしたちから逃げるように、その場から遠ざかろうとしていた。

 すぐに追いかけて仕留めないと。

 止まったままの身体に鞭を打って、戦うための思考をする。

 相手の移動速度はそこまでじゃない。しっかり追えば、逃がすことはない。

 考えが巡った時、また椛さんの声がこだました。

「〈逃亡禁止〉」

 ぴたっ、と化心の動きがまた止まる。

「逃げる頭はあんのね……いや頭ないけど」

 ツッコミを入れてから(わたしも前に似たようなこと言ったな)、わたしを見る椛さん。

「ちゃんと殺す顔になってるじゃん、感心感心」

「……そんな顔してますか?」

「誉め言葉よ、気持ちの切り替えは大事だから。もっと早く身体が動けば一人前ね」

「……すみません」

 椛さんは、わたしの背中をどんと励ますように押した。

 まだまだね、と言われたのが蘇る。

 ……こんなに早く、自分の未熟さを思い知らされるなんて。

 反省しながら、化心を見る。

 化心はじっとしていた。いや、もぞもぞと身体を動かしているようだったが、こちらに向かってくることも離れることもできない様子だった。まるで罠にかかった獣だ。

「……これが椛さんの〝心術しんじゅつ〟ですか?」

「うん。〈枷轡かひ〉って言うんだけど、私が指定した行動を縛ることができるの。今は攻撃と逃亡が禁止されてるから、こいつはどうにも動けないってわけ」

「そうなんですね……」

 心術しんじゅつ

 化心が有している固有の能力、あるいは化心に関わる人間が稀に会得する超能力のこと。

 代々化心を滅してきた織草の家の人間は〝言霊の心術〟というものを用いていたらしい。

 わたしの上司の葵さんも〝状態の交換〟という能力を持っている。

 そして椛さんが使う言霊が〝行動の禁止〟。

「凄い力ですね」

「制約も多いから、無敵の能力じゃないけど。たとえば、指定した行動は〝お互いに〟縛られちゃうから、今は私もこいつに手が出せないし」

 椛さんが自分の腕を振り上げ、化心に向かって下ろすような動作をするが、腕が化心に当たる直前、パントマイムのように空中で固定され、動かなかった。椛さんは少し顔をしかめてから、「ほらね」と言ってポーズを解いた。

 なるほど、たしかに少々融通の利かない能力らしい。

「てなわけだから、とどめはあんたね」

「殺していいんですか?」

「生かしていい化心なんていないでしょ。まさか『無抵抗なやつは殺せない』なんて言うつもり?」

「そうじゃなくて、この化心は前にも遭ってるんです。もっとよく調べるとか……」

「調べる、ねぇ」

 椛さんは困ったような顔をしている。

「そういう心術なんじゃない? 死んだふりができるとか、姿を消せるとか」

「たしかにありえますけど……」

「あるいは、ただのそっくりさんとか。よく言うでしょ、世界には似た顔の人が3人いる、みたいなの。それの化心バージョン」

「化心にもあるんですか⁉」

「知らないわよ」

「えぇ……」

 専門家とは一体……。

 バッグから剣鉈を出して、わたしも化心に近づく。

 椛さんでさえこんな調子なら、わたしになんてわかるわけがないけど、それでも全体を注視してみる。

 ぱっと見は登校中に遭った個体と遜色ない。

 前回戦ったときは、確かナイフを持っていたような? でも今回は鎌を持っている。彼女が〝死神〟とたとえたのは言い得て妙だ。

 そうなると100%同じ化心、とは断言できないのかもしれない。

 やっぱりそっくりさん?

 ……わからない。

 わからないなら、これ以上考えても仕方ないのかも(後ろから「早くやれ」的な椛さんの視線も感じるし)。

 構えて、無防備な胴体を一気に突く。

 柔らかなものが僅かに腕を押し返すような、ぐにゃっとした感覚。

 数えきれないくらい彼らを殺せば、この感覚にも慣れる日がくるのだろうか。

 消えていく化心を見ながら、ぼんやりとそう考えた。

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