第22話 テミス


 「『我々はあらゆる争いを忌避し平和を尊ぶ者である。争いとは力の均衡が崩れた時に生まれる悪しき現象である。我々は世の均衡を保つ為に活動を行うものである。』」

「『この度の行動は帝国の未来を憂いて行ったものである。帝国議会は軍の国政参与に馴れきり、政策的進歩を見せずにいる。怠惰の集団と化した議員に奮起を促さんが為、政治の象徴たる議事堂の爆破を決行した。』」

「『総司令部に爆弾入りの小包を送ったのも我々である。議会との平衡を取らんが為にやむなく行った。』」

「『議会の弱体化は軍の政治体制の強化となり、やがては軍に腐敗を招く。方々にその危機を身をもって知っていただく為、並びに帝国政治の平衡を保つ為に行動した次第である。』」

「『遭難された方々にはこの場をもってお詫び申し上げる。テミス』―――本文は以上であります」

 全文を読み上げた上野少佐は会議の面々を見回す。

 総司令部参謀本部の全部長10名と総司令とが大会議室のテーブルを埋めていた。

 帝国軍片翼の頭脳が揃っている。

 「―――というわけだ」

 一番奥の席についた総司令が口を開いた。

「テミス…神でありますか」

「神?」

 第四部部長一色いっしき大佐は頷いた。広報・法務担当の長の彼は弁護士でもある。

「ギリシャ神話の法と正義の神であります。欧州の裁判所に像がよく飾られております」

 あれか、と言った溜息がそこここで漏れる。

 片手に剣、片手に天秤を持った女神の像が裁判所にあるのは彼女の力が裁きを象徴する為だ。

「となると彼らは天秤のつもりか…」

 第二部部長結城ゆうき中将が呟く。

「『正義無き力は暴力、力無き正義は無力』、だったかな?」

 第六部部長波多野中将が諳んじる。一色は頷いた。

「はい」

「力でもって世の中の均衡を保つ…。彼らの宣言そのものか」

 波多野は腕を組んだ。

 「彼らの正体を掴まねばならんでしょうが、手がかりはあるのでございましょうか?」

 第一部部長式部雅輔しきぶまさすけ少将の言葉に総司令が口を開く。

「まずは火薬の取り扱いに慣れた人間、だろう。警察の調べで議員会館から議事堂地下に設置したトンネルに爆薬を仕掛けて爆発させた形跡が見つかった。外まで爆発が広がる量と威力の火薬を誤爆なく取り扱うのは難しい」

「発破技士か軍関係ですか?」

「あとは議員会館の工事現場に爆薬を持ち込める人間、だろう。工事関係者全員が犯人の可能性も十分ある」

「と仰せならば伊賀長官は彼らを押さえてあるのでしょうな」

「もちろんだ。こちらでも調査は進めている」

 第10部部長の福部大佐は僅かに顎を上下させた。

 「争いを無くす為に爆破事件を起こす、と宣うなら国家枢要の機関に部隊を配置するほうが良いと考えられましょう」

「できる事なら対立の激しい企業同士にも派遣したいところですな」

 「容認できませんな」

 第七部部長の巌美いわみ大佐が報告書のページを繰りつつ反論する。彼は兵站担当だ。

「民間に派兵していては兵が枯渇し更なる有事に対応できなくなります。警備員増加を勧めるほうが現実的でしょう」

 総司令が口を開いた。

「守備軍団を帝都各省庁並びに宮城きゅうじょうに配置させる。帝室にはその旨連絡を入れろ」

「は、」

「有事対応も想定に入れておけ」

 有事対応とは武力行使に出ることを示している。その場合、作戦立案部門の第三部は参謀本部の中心となり、部長は参謀長として作戦全般に関わらねばならない。

 佐渡としては歓迎できない事態だった。




 守備軍団が帝都に庁舎を置く国土、総務、外務、交通、法務、厚生の省庁に展開を終えたのは日が傾いた頃だった。

 宮城警備に了解を得る為、宮城に赴いていた帝室武官が帝室の返答を持ち帰ってきた。

 「断る?」

「『宮城警備隊で事足りる。軍は国民の保護に専念されたし』とのご返答でありました」

「摂政殿下が?」

「侍従長が殿下のお言葉と申してございました」

「殿下がよろしくてもこちらが困る」

 皇帝は帝国の絶対象徴。国そのものであり、全ての国民の代表である。皇帝及び帝室に何らかの危害が及べば軍への信頼は地に落ちる。昨年末の陛下御不例事件は運よく信用を失わずに済んだが、爆破のようにはっきりした危害を受ければ非難轟々だ。

 「宮城周囲の道路を封鎖いたしましょうか?」

 総司令の傍らに立つ佐渡は提案した。内部は警備隊に任せたほうがいいだろう。

「だな」

 総司令は溜息をついた。

「『宮城周囲の道路封鎖はお許し頂きたい』。帝室に伝えてくれ」






 日は落ちる。明かりを点けていない執務室は夜入りの薄暗闇と一体化していた。

 「———どう思う」

 椅子に座した総司令は低い声で問う。

「———今は何も」

 彼は書記官をちら、と見上げた。やや切れ長の眼はいつもより僅かに細められ、室内を満たす薄闇に向けられている。

 深く長い溜息が闇に溶けた。机に肘をついた彼は顔の前で指を組む。


 敵が見えない。見えない以上有効打を見いだせない。


「待つしかないのか………」

 呻きが書記官に聞こえているのかは定かでなかった。






 警察からの随時報告をまとめていた上野は自身の元に早足で現れた少尉に目で応じて席から立ち上がる。

「———」

 耳元で告げられた言葉と渡された電報に彼の目が見張られた。

「ご苦労です」

 囁いた彼は書記官執務室へ足早に向かった。

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