第18話 書記官 略歴

『佐渡弥八郎。維新暦1907年帝国軍士官学校尾州びしゅう校卒業。尾州びしゅう基地所属防空軍団第2師団第8中隊少尉。11年帝国軍大学校参謀養成課程通常卒。東海司令部参謀課中尉。18年総務課准尉。同年少尉。同中尉。20年情報課中尉。21年参謀課大尉。22年東海司令付連絡官。26年東方面総司令書記官少佐。35年書記官兼参謀本部第三部部長。38年大佐。現在総司令書記官兼第三部部長大佐』

 文書室で今年度版総司令部要職者一覧を閲覧していた男は、その経歴に違和感を持った。

 『参謀課中尉。同総務課准尉』。

 階級が下がっている。温厚敏腕。総司令部の調整役として知られる彼の人が降格異動を受けていた。


 何があったというんだ?





 佐渡は陰で『少なくとも二人は存在する』と言われている。部長職と書記官を兼任するには一人の人間が持てる職域を超えているから、というのが有力な説だが、最近もう一つの説が加わった。

 昨年彼が負傷し療養中の期間も、二つの職務は混乱遅滞共に無く何者かに引き継がれていた、片方の佐渡が負傷し、もう片方が仕事を引き継いでいたのだ、という。今ではこの説が通説となっている。

 「また基地内で薬物の密売が起こっているのではありませんな?」

「俺の所は掃除したばかりだ」

 噂の本人はやんわりと皮肉を飛ばし、各務平八郎かがみへいはちろう大佐は辟易した顔をする。

 彼が司令を務める機動軍団第1師団が所属する基地で、下士官のモルヒネ闇取引が発覚したのは記憶に新しい。


「上手い事を考える、とは思うがな」

 言って各務は唇を引くつかせた。

 原因は自席で大爆笑する総司令だ。

 士官たちの間でまことしやかに囁かれる珍説を披露したところ、笑いの壺にはまってしまわれたようだ。呼吸が止まったような引き笑いに始まり、今は声を上げての爆笑中であられる。

「閣下………」「ふひひひひひひ!恐ろしいな!ふははっ、ふひひひひひ!」

「……書記官が笑い薬を盛ったんじゃないだろうな」

「滋養強壮剤ならばお薦めした覚えがございます」

「あるのかよっ⁉」


 笑い薬を盛っては閣下のご予定に差し支えが出る。己が狂ったとしても盛るのは滋養強壮剤だろう。

 実際、支障が出そうになっている。


 「閣下、参謀本部会議の時間が迫ってございます」

 笑いを収めた総司令、だったが、佐渡を見上げて吹き出す。

「ぷふっ。——そう、だったな。ふひっ、各務、今夜の会合で会おう」

 なおも口辺を引くつかせる総司令は席を立った。






 正確に言えば佐渡の職を代行できる人間は二人いるわけで、噂もまったくの嘘ではない。

 一人は第三部副部長牧山大佐。部長の任は彼が代行できるし、療養中はそうしていた。

 もう一人は書記官補佐上野少佐。参謀本部外からは佐渡が常と同様に職にあたっているように見えていた、という。

 急遽採用されて完全に自分に化けた点では二人目といっていい。正直認めたくはないが。

 「人を頼みにし過ぎてはおられませんか」

「だったら来なくていい」

「部長どのも酒に飲まれたようでありますな。部下に上司の命令が断れるとお思いでありますか?」

 車を運転させつつ淡々と冗舌に毒を吐く書記官補佐。

「………」

 毒には毒を与えてやらんでもなかったが、事故を起こされても困る。

 自制心が働くあたり完全に飲まれていないな、と後部座席で佐渡は思った。

 

 道路脇の街灯が等間隔に現れては過ぎていく。道端の明かりが流星であれば幾らでも願い事を唱えられそうだ。

 「止めますか」

 外に向けた目つきがぼうっとしていたせいか、気分が悪いと思った上野が尋ねてきた。

「構わん、そのまま向かうように」

「は、」

 流れる明かりに目を遊ばせる。

 酔いが回るのが遅かったな、と佐渡は思った。今にして酒が効いてきたらしい。

 「願いが叶う、か———」

 気でも狂ったか、と言いたげな顔がバックミラーに映る。

「流星に願いを唱えると叶うと云うだろう?」

「存じております」

「貴様は私の死を願うかな」

 近づいた光が後方に去っていく。

「願いはすれど望むところではございません」

 表情の少ない顔で上野は答える。

「部長どのに死なれては軍の損失であります」

「私ごときで損失か………」

 佐渡は外に目を向けたまま苦笑を漏らした。





 「さわたり?ああ、書記官だろう?」

 軍士官の集うバーの一角でグラスを傾けながら相手は言う。

「地方人から幹部になった、って話は聞いたな」

「民間から?」

 『地方人』とは軍用語で士官学校を出ていない者を指す。報国思想の強い軍人の間では蔑称でもある。

「そ、」

 彼はグラスの酒を煽る。

「歳の割に昇格が遅いのも地方人だからだっていう話だ」

 「他に話を聞いた事はありませんか?例えば不祥事を起こしたとか」

 記憶を探るように動きを止めた相手は、机に置いたグラスをゆっくり持ち上げる。

「無いなぁ………。話に聞くようになったのはあの震災くらいからだからなぁ」

 グラスを空けた男は片手を上げてウェイターを呼んだ。

 帝都で『震災』と言えば16年前の帝都震災を指す。

「確か…直後の帝都騒乱収束に尽力したのが当時東海司令だった松河原閣下だと聞いています」

「その時の連絡官が佐渡書記官だ。それからだよ、あの人が名を知られるようになったのは」




 

 

 意見書に目を通した総司令は感心した様子で書を閉じた。

 「連中にもまともな人間がいたようだな」

 超党派の議員より総司令部第五部に提出されたのは、豪雨災害に対する国土整備計画への意見書だ。

 帝国全土の地質調査を、かつて災害が発生した地域から行うべきだ、等の意見が述べられている。

 昨年佐渡が提案した国土計画を第五部が国土省に依頼して出来た計画案が議会に提出されたのだった。

 提出者に名を連ねる議員らは地質に明るい者や、被災地域を地元とする者で占められていた。

 「備前も同意できる顔をしていたな」

「は」

 第五部部長備前唯輔びぜんただすけは国土省の元技術官でもある。総司令部の変わり者の一人だ。

「俺は採用しようと思う。国土省に意見を容れた計画を策定するよう伝えろ」

「かしこまりました」

 意見書を受け取った佐渡は総司令の物言いたげな顔を察して向き直る。

 「この者たちが表に出れば少しはましになるかな」

 声の大きい者が集団全体を代表する主張となる。

 揚げ足取りばかりの印象が強い議会にも、政策議論に正面から向き合う議員はいる。もっとも、彼らの意見が党内で潰されてしまうことも少なくない。

 「お望みですか」

「我々は所詮軍人だ。政治が務まる人間は少ない」

 お前らが特殊なだけだ、と彼は頬杖をつく。

「このまま行けば軍が直接国政を担うことになろう。が、役所の道理に軍の道理は合わない。いずれ失政を引き起こす」

 形ばかりの間接参与なら議会政治の影に隠れていられる。直接参与となれば参謀本部はもとより、より多くの軍人を政治担当に回さなければならないだろう。本来の役目———国防が手薄になる。

 「混乱は誰の望む事でもない」

 彼は言って視線を遠くへ投げる。

「———が、結果次第で評価される場合もある」

 傍らで聴く書記官はいつもと変わらず口元に穏やかな笑みを漂わせたままであった。





 

 執務室に通された少尉は名を呼ばれて姿勢を正した。

「私の経歴に興味を持っていると聞いているが?」

 整理整頓された執務机の向こうに座した本人は、噂通りの温厚な人だった。

 「はっ。ただただ自分の興味で大佐のご経歴を調べておりました」

「まあ、気になるだろうな。この歳でようやく大佐だ」

 扉脇で控えている上野の顔に一瞬憮然とした表情が浮かんで消えた。

 「それで、何が気になっている?答えられる限り答えよう」

「はっ。大佐の東海司令部所属時の配属と階級についてであります」

 彼の調べた限り、二階級降格での異動の理由は記録に記されていなかった。

 書記官の答えは簡単だった。

「そのことか」

 ふっ、と笑った書記官は机の上で指を組む。

「書類上、参謀課から総務課に異動になった間に軍を離れていたからな。新規任官したようなものだから降格を受けたように見えたのだろう」

「無礼を承知で申し上げますが、何故軍を………?」

「聞き過ぎだろう、少尉」

 苦々しい声を飛ばす上野を目で制した書記官は自嘲を含んだ笑みを見せる。

「大学に行っていた」

「大学…でありますか?」

「そうだ。で、先に離隊した上、二度目は地方人扱いだったから准尉だったというわけだ」

 休職して大学に入る方法も無いわけではないが、軍大学校まで出たエリート揃いの軍幹部はそれを許さない。今でも『軍人になった以上国に一命を捧げるもの』と考える者は多い。書記官が若い頃となれば尚更だろう。風当たりは今よりずっと強かったに違いない。

 少尉は思った。

 辞めざるを得なかったのだろう、と。

「疑問は解けたかな?」

 変わらない温和な顔で書記官は問いかける。

「はっ。無礼を申し上げた事お詫び致します」

「構わない、許そう」

 

 


 ドアがかちゃりと閉まる。

 「………ずいぶん語られましたな」

 足音が廊下を離れていくのを確認して、上野は憎々しげな顔で書記官を睨む。

「前より我慢強くなったじゃないか」

「ごまかすおつもりでありますか」

「秘密にする必要も無い。気にするのは貴様くらいだ」

 ふっ、と短く息をついた上野は卑屈に言う。

「部長の仰せの通りであります。気にするのは学を修める間に生まれた人間くらいでしょう」


 愚痴愚痴とうるさい奴め。


 本当に降格させてやろうか、との考えが書記官の頭をよぎる。

「何故そうも気にする?語るも語らないも私の問題だろう」

「外道な親の武勇伝を聞かせられる人間の気にもなっていただきたい」

「男子は軍に入れ、との一族の因習のほうが外道だろうに」

「それは肯定いたします。しかし、」

 上野の、鷹を思わせる瞳に暗い怒りが宿る。

「部長はご自身の奔放の犠牲を省みた事がおありですか?」

 顔の前で組まれた手の向こうで佐渡のやや切れ長な目が瞬間的な怒りに細められた。


 普段穏やかな人間に限って怒るさまは恐ろしい。


 長々と息を吐いた彼はよく通る低い声で言った。

 「………ついに父親と認めたか、千穂少佐?」

 己の失言に気づいた上野は息を呑み、色白の顔を歪める。

「少佐、今日は早めに上がるといい。ずいぶんと疲れているようだ」

「―――部長のご厚意に、感謝、申し上げます」

 絞り出すような声で応じた上野は敬礼し背を向けた。

 

 


 足早に遠ざかる足音が小さくなっていく。

 彼は組んでいた指をほどいた。背もたれに身を預ければ自然と溜め息が出る。


 感情を抑えて扉を閉めた点は評価してやってもいい。が、私を嵌めようなど甘すぎる。餡パンの餡と良い勝負だ。

 『後悔先に立たず』と云う。選んでしまった道に対して恨みを述べても過去は変わらない。


 或いは、と彼は思い直す。


 身をもって知るだけの経験が無いだけか。


 あれもまだ挫折を知らないのだ。 

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