第15話 魍魎の家


 東西軍総司令部はそれぞれ管轄下の軍政軍令を管轄する。加えて国政補佐も担う。東西で担当する分野は異なるものの、総司令部の掌握範囲は煩雑化、広範化していた。

 「さわたりぃ~」

「は、」

 書類の壁から顔を覗かせる総司令。

「海に行きたい」

 庁舎から南にずっと下れば海に出れる。

 「左様な御時間はございません」

 上司の望みを事実で切り捨てた書記官に、総司令は同情混じりの目を向ける。

「貴様も苛立ってるのか?」

 梅雨明けもしないうちにこの暑さでは温厚で知られる書記官も気に障るらしい。

 暑さは時に人の気を短くする。

 「というても、避暑に行く暇はどちらもない」

「御意」

 行き来に時間のかからない浦賀、鎌倉辺りが限界だ。泊りの旅行なぞ夢物語である。

「手っ取り早く近場で涼をとるか」

 机の引き出しからいつもの新聞を取り出した総司令は体の前の空きスペースに記事を広げる。

 「これだ」

 促されて覗き見た佐渡は自身の推測が正しかったことを知る。

『お化け屋敷の怪』


 ………お化けの出ないお化け屋敷は無い。


「素直でございますな」

「当然だが出るというぞ」

 総司令は悪童の笑みを浮かべる。

「貴様にもついてきてもらう。毎日ここと家の行き来だけでは退屈だろう」






 大抵、お化け屋敷は百貨店の一角に特設されるものと決まっている。屋敷というよりお化け『座敷』というべきだろうか。

 件のお化け屋敷は文字通りの屋敷であるらしい。

 総司令部から北東の市街地。歓楽街の外れに座すその洋館は、かつては金持ちの邸宅だったようだ。石造りの外観と大理石の門扉が元の主の財力を窺わせる。

 「丸ごと一軒か。これは期待できそうじゃないか」

「子供騙しではなさそうでございますな」

 総司令の休暇に同行した佐渡が応じる。互いに服装は私服だ。


 金を取って客に自由に回らせる形式らしい。

 洋館内は色褪せた絨毯が敷かれている。玄関ホールの天井に下がる照明は幾重にも蜘蛛の巣がかかっていた。

「らしい雰囲気だ」

 首をめぐらした総司令は絨毯の続く先のドアへ進まれた。躊躇いなくドアを開く。ギィと嫌な音を立てて開いた扉は、すぐに閉まった。

 「———閣下?」

 ドアノブに手をかけたまま総司令は言う。

「佐渡、ここはそういう場所のようだ」

 促された佐渡は代わってノブをひねる。

「———」

 裸電球一つがぶら下がる窓の無い部屋。壁と床一面が変につややかだ。独特の匂いが充満している。

 ———それが血だと彼が気づくまでに時間はかからなかった。

 同じような反応を示した書記官に総司令は悪い笑みを浮かべる。

「分かれば恐ろしいが、無知にはもの足りんだろうな」

「万人受けとは言い難くございます」

「だろうな」

 伊賀も連れてくれば良かったか、と総司令は呟いた。もっとも、警察長官伊賀重四郎いがじゅうしろうも彼と同じく要職多忙の身である。



 洋館は殺人現場を彷彿とさせる部屋で構成されているようだった。人が寝転がれば現場そのものの凝った作りで、ドアを開けるのに精神的疲労を覚えてくる。

 「面白いやつがいるものだ」

 浴室と思われる部屋を覗いたなり、急いで引き戸を閉めた佐渡の後ろで総司令は感心する。

「凝り過ぎてはおりませんか?」

 佐渡はややひきつった顔を総司令に向けた。

 浴室では溺死現場が再現されていた。現場を保存していたような精巧さで、恐ろしいというよりおぞましい。

 

 結局お化け屋敷を一周するも新聞記事にあった『怪』は見られなかった。

 「人の形の異形のものがうろついている、との話だったが…」

「人形もございませんでしたな」

 佐渡の言葉に総司令は頷く。お化け屋敷の小道具を運んでいるのだろうと思ったが、違ったらしい。

 「現場を押さえるしかなさそうだな」

 総司令は夜に出直すおつもりだ。休暇なので今日は一日空けている。

「伊賀長官にお知らせ致しますか?」

「手は出さない。今回は見るだけだ」

 肝試しは夜が本番である───。




 夜更け。歓楽街の賑わいも失せて、辺りに生き物の気配は無い。街灯だけが妙に寂しく道を照らしている。

 例の屋敷は、お化け屋敷ということを知らない者にも分かる、ただならぬ雰囲気をまとって静けさの中に佇んでいた。

 

 邸宅の古い鉄の門が軋んだ音を立てながらゆっくりと開いた。

 4つの人影が何かを抱えて走り出てくる。

 担架とおぼしき板に載せられたものは、ぼんやりと人の形をしていた。

 街灯を避け、より暗がりを求めて一団は走る。それでも一瞬の薄明かりに彼らの荷物が晒された。


 布のような物に包まれた「荷物」は1mから2mくらいで、おおざっぱに人の形をしていた。

 腐臭が鼻をかすめる。

 一団はそれを慌ただしく街の闇に運び去っていく。


 

 門がうるさくこすれて閉じた。

 「なんだあれは」 

 離れた通りの陰から目をこらしていた総司令はややうわずった声で囁く。

「気色悪うございますな」

「屋敷のどこにもあんなものは見当たらなかったぞ」

「公開されている場所が全てではないのでございましょう。外観と内部の部屋割りが一致致しませんでした」

 外見は旧家の邸宅に普通の規模、しかし内部はさして広いと思わなかった。まるで床面積の半分しか公開していないような。

「これが怪、か…」

 総司令は顎に手をやった。人目を忍んで運ぶ不自然さはただの人形とは思えない。

「調べさせる必要がある」




 






 後日。

「界隈では有名な噂であります」

 執務室に呼ばれた上野少佐はにべもなく言った。

鬼門きもん邸。主が事故で亡くなった後、所有者が次々変死を遂げたという屋敷でありましょう」

「貴様が左様な噂を知っているとは思わなかった」

 総司令と二人で行ってきたとは口にしなかった。少佐に変な目で見られる。

「あの街に連れ出される機会がありますので」

「意外に社交的だな」

 上野は僅かに顔をしかめる。が、それを気にする佐渡ではない。

 「鬼門邸とやらの所有者の変遷を調べてほしい。それと歴代所有者の死因も」

「部長ご自身でお調べになっても差し支えないと考えますが」

「貴様を飼い殺しにするわけにもいかんだろう?」

 不愉快そうな顔をした上野はしかし、すぐ平素の表情に戻った。






 翌々日に上野の報告を受けた佐渡は調査結果に目を通し終えて、無意識に冷水が欲しくなった。

 『風呂場で溺死』『部屋にて自殺』『地下室にて遺体発見』───。

 「噂通り、元の所有者亡き後、邸を所持した者は不審死体で発見されておりました」

「一人残らず、か………」

 お化け屋敷の展示と同じだったのが、気分直しに水を求めた理由だろう。いささか気味が悪い。

 「今の所有者は?」

「実業家の兄弟であります」

「生きているのか?」

「この2週間は姿を見せていないそうです」

「そうか………」

 資料の束に伸ばしかけた手を引き戻して顎先にやる。

「早急にその兄弟周辺を調べよ」

「はっ」





 その翌日に上野の続報を受けた佐渡は総司令の元に向かった。

 「あのお化け屋敷は本物のようであります」

「本物?」

「各部屋の展示は遺体発見現場そのものでありましょう。上野に調べさせたところ、元所有者は全員、邸内の展示と同じ部屋で発見されており、死因も一致しておりました」

「待て、現場の保存には限界があるだろう。あのように生々しく残せるものなのか?」

 全くの仮説でございますが、と佐渡は前置きして続ける。

「血痕は描いている可能性もございましょうが、独特の匂いは当時のままかと思われます」

 あの匂いは簡単に消せるものではないし、人工的に作り出せる物でもない。

 「しかし、あの匂いは古くなかった。資料の通りに所有者達が変わったとしても、一番最初は2年前だろう?」

 総司令は思案顔で、佐渡の提出した調査録を片手でめくる。

 「事はまだ続いている可能性がございます」

「ん?」

 佐渡の顔は常と変わらぬながらも険しさが感じられる。

 「屋敷にお出かけになられた晩に、担架で荷を運び出す者達を見ましたな」

「ああ、見たが…?」

 書記官の言わんとする事を悟って総司令はぎょっとした。

「───人か!?」

「はい」

 彼は執務机のペン立てに手を伸ばした。

「佐渡、伊賀に投げるぞ。こちらのできることは終えた」

「かしこまりました」

 佐渡は抱えていた用箋挾バインダーから警察長官宛ての文書を取り出した。





 警察によって行われた捜査で、担架の荷は人の遺体だと判明した。

 実業家の兄弟は治りの悪い風邪で寝込んでいただけで存命だった。

 彼らは水商売の店も経営していた。彼らは俗にいう「幽霊屋敷」となった洋館を買い取り、娼婦らを住まわせていた。今年になって彼女らが立て続けに亡くなった。店の評判に関わるので、夜半に乗じて遺体を郊外の寺に運ばせていたという。客には店を辞めたと伝えていた。

 幽霊屋敷と噂される屋敷から何が出てこようが、人は怖がってまともに荷物を見たりしない。いっそのこと、お化け屋敷として一部を開放してしまえば気にされもしないだろう、と。



 伊賀からの報告を受けた松河原総司令は佐渡を前にため息をついた。

「恐ろしさでは幽霊が勝るがおぞましさでは人が勝るな」

「御意」

「雇い人をぞんざいに扱いおって。祟られるぞ、あの兄弟」

「閣下、既に祟られております」

 書記官に指摘されて総司令は気づいたらしい。ふっと真顔になって組んだ指に顎を載せた。

 「───厄払いにでも行っておこうか」

 直近の予定を調整してくれ、との呟きに書記官は無言で首を上下させた。




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