3-14 Ginevra de' Benci



「───さて、さすがに車に戻るとしましょうか。ジジさん、ゲスト出演ありがとうございました」


「いいや、女王の配信に出演できて光栄だ」



ヒューガはヒラヒラと軽い足取りでステージ上からステージ袖へと歩み始めた。


その背景では大型スクリーンにレースの模様が映し出されている。


低く轟くエンジン音とともに駆けるカマロと、鬼のような覇気でカマロとの距離を詰めていく、かつてインプレッサだった何か。


血とガソリンの匂いがこちらまで漂ってきそうな泥臭いその絵面と雲を歩くかのように楽しそうなヒューガとでは、文字通り雲泥の差がある。


スクリーンのレースを見る者、ヒューガに歓声を浴びせる者。


いまだヒューガの配信画面が映され続けるスマートフォンに齧り付き、インカメラ越しのヒューガとコメント欄の間で目を泳がせる者。


つい先程まで見られたヴィリスへ恐れ慄くような者はいまや、このパーチェ広場の中には誰一人として居ない。


2年前の世界の死からメディオを救ったワイルドウイングの手によって、またもメディオの住人の頭の中からヴィリスへの恐怖心が消し去られた。


きっとこれが、あの小さな女が描いた世界の新たな構図なのだろう。


そう、レオは思った。



「あれ? レオさんもまだ車に乗っていなかったんですね」


「ああ」


「もしかして私の車のドアを開けてくれようとしてたんでしょうか。騎士道とはあなたのために生まれた言葉なのかも知れません」


「は? 触れたくもねえよ、テメエのムルシなんかに」



スタート地点。


観衆に囲まれているのは2台の車と、ヒューガと、レオ。


レオの赤いF40とヒューガの黒いムルシエラゴはスターティンググリッドにスタンバイしている。


インコース、右にレオのF40。


アウトコース、左にヒューガのムルシエラゴ。


2台の間に挟まれるようにして佇むレオ。


レオのその返答を聞き、ヒューガはあからさまに残念そうな顔を浮かべたあと、ムルシエラゴの運転席側へと回り込む。


その様をレオは睨みつけていた。



「余裕そうだな」


「全然。だってスタートですでに5秒の差ですよ。勝てるわけがありません」


「…………」


「私が嘘をついているとでも言いたげな顔ですね」


「いいや。大口叩かせたまま俺が勝ったら可哀想だと思ってな。もう何も言わなくていい」


「では負けるつもりで頑張ります」


「ただし」



ムルシエラゴのシザースドアがゆっくりと開く。


ドアノブを引いてから開き切るまでの数秒間、ヒューガがレオの言葉を待つ間、沈黙が流れた。


ヒューガのスマートフォンから聞こえるスーパーチャットの通知音だけが、その沈黙をとめどなく埋めていく。



「テメエには、10秒以上の差を付けて勝つ」


「……そうですか、それなら私にもなんとか鼻を折れそうです」



二人同時に車に乗り込む。


背後から迫る、カマロ。


そしてそのさらに背後からは、あの鉄の塊が、火の玉のように。



 

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