神が賽子を振らないのならば

ドント in カクヨム

祖父の日記について

 ここに掲載するのは、十年ほど前に死んだ祖父の日記である。享年九十三歳の老衰で、大往生だった。

 祖父の死後、部屋の私物を片付けていると、この日記帳が出てきたのである。

 一日一日の記載は長くても二行。短く、簡潔であった。生前も多くを語らない古きよき昭和の男を思わせる内容であった。

 日記は戦前から八十年代まで、軽い中断を挟みつつも続いていた。ザラ紙の帳面や大学ノートに十冊ほどあった。

 日付を遡って読んでいるうちに、私は祖父の過去を知ることとなった。

 彼は戦後五年経つまで、博徒だったのであった。やくざである。

 とは言え現代の暴力団をイメージしないでいただきたい。

 少し調べたところによると、祖父のいたやくざは東京の大沢組(仮)という組で、戦前から博打一本でやってきた組織だったという。記述からすると、若頭の補佐、くらいの地位にはいたようだった。

 当時の記録を見ても、刃傷沙汰や暴行事件に「大沢組」の名前は出てこない。これは希望的観測になるが、少なくともカタギには手を出さない組であったろうと思われる。

 日記によれば、祖父はその組を昭和二十五年の冬に辞している。戦後、希望が見えはじめた頃合であり、それにつれて暴力団の増長、権力との癒着など、闇もまた深くなっていった時期でもある。金儲けや権力を獲るにはよい時代ではあったはずだ。昔気質で頭の固かった祖父(あの頑固さだけには私も手を焼いたものだ!)には、そのような時代の流れが嫌なものに写ったのかもしれない。


 その昭和二十五年の日記の、後半のページを見て私は驚いた。どのノート、どの日付にもないほどの長文が、かなりの分量で記されていたのだ。

 その年、大沢組を辞めた際の日記も、「本日、お世話になった大沢組を出る。これからはすべてを、一人でやらねばならない」と書いてあるだけだ。後述の日付にもただ「賭場、夜六時開帳。妙な客人来て、少しく騒動となる」としかない。


 以下の文章であるが、平仮名・漢字への変換、誤字脱字などは、読みやすいようにできうる限り直した。

 やくざ者にしては文章が活達であるが、これは祖父が幼い頃から浪曲や講談、それらの本に親しんでいたためかもしれない。


「組を辞するにあたって」と、その長文は書き出してある。

「その契機となった妙な出来事をここに書き記しておきたい。それによって自分の中で一つの区切りとしておきたい。昭和二十五年八月二十一日の夜のことだった」



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