13:ようこそ月城町(後)

「片付けするから、アンタたちは部屋に戻っときなさい。アタシは後片付けが終わったらちょっと出かけてくるからね。陽毬ちゃん、ゆっくりして行きな」

「ありがとうございます」


 バアちゃんに促されて、おれは一番ヶ瀬さんを連れて二階の自室へと向かった。

 自分の部屋に女の子がいると思うとなんだかソワソワする。もともとそんなに余計なものを置く方じゃないし、掃除はしておいたから、見られて困るようなものはないと思うけど……。


「えーと、とりあえず座って」


 小学生の頃から使っている学習デスクのそばにある椅子を引くと、一番ヶ瀬さんは「ありがとう」と腰を下ろした。おれはベッドの上に腰を落ち着ける。


「ごめん。うちのバアちゃん、うるさくて……」

「そんなことないです。とっても素敵なおばあさまですね」

「そうかあ? なんか魔女みたいじゃない?」

「ちょっとわかります。シンデレラに出てくる、魔法使いのおばあさんですね」


 それは見解の相違だ。どっちかっていうとお姫様に毒林檎を食べさせたり、塔の中に閉じ込めたりするような魔女に見える。おれは無言で頭を掻いた。

 それにしても、あのバアちゃんを目の前にしてもまったく臆さない一番ヶ瀬さんは、やはりなかなかの大物である。幼馴染である零児は昔からおっかないバアちゃんが大の苦手で、未だに顔を見るだけで逃げ出す始末だ。


「そういえば薙くんのご両親は? ……あ、答えにくい質問だったら、答えなくてもいいです」


 一番ヶ瀬さんはそう問いかけたあと、やや申し訳なさそうに目を伏せた。そんな顔をしなくても、彼女が気に病むような事情は何もない。


「うちの親、仕事で海外飛び回ってるから、ほとんど家にいないんだ」

「……寂しく、ありませんか?」

「まったく。いてもうるさいだけだし。一年に一回ぐらい、大量のおみやげ抱えて帰ってくるよ」


 おれの返答に、彼女は「そうなんですね」と笑んだ。なんだかやけに、寂しげな笑みだった。

 一番ヶ瀬さんはなんで一人暮らししてるの、と尋ねようかと思っていたのだけれど、その表情を見てやめた。もしかすると、彼女の方には何か事情があるのかもしれない。


「一番ヶ瀬さん。今日、来てくれてありがとう。こんなとこに呼びつけてごめん」

「ううん、こちらこそ。シチューすごくおいしかったです。おばあさま、わたしの説明で納得してもらえたでしょうか?」


 心配そうに言った一番ヶ瀬さんに、おれは「たぶん」と答える。別の意味で妙な勘違いをされた気もするが、合意のうえの吸血であることはわかってもらえたはずだ。


 ――好きなんです。薙くんに、血を飲んでもらうのが。


 先ほど彼女の「好き」に過剰反応してしまったことを思い出して、頭を抱えて悶えたくなった。ああ、恥ずかしい。死にたい。頰の裏側を噛んで、思い出し羞恥に耐える。

 そんなおれの心情などつゆ知らず、一番ヶ瀬さんはキョロキョロとおれの部屋を見回していた。


「わたし、男の子のお部屋来たの初めてです。片付いてますね」

「普段はもっと散らかってるよ。そりゃ、クラスの女子が来るなら死ぬほど掃除するだろ」

「えらいですね。今のわたしの部屋、もっと散らかってますよ」


 一番ヶ瀬さんはそう言ったが、彼女が散らかった部屋で生活しているところなんて全然想像できなかった。いつも真面目に掃除をしている彼女のことだから、きっと部屋も片付いてるに違いない。女子の部屋ってどんな感じなんだろう……とついつい思いを馳せてしまった。

 おれがぼんやりとまだ見ぬ女子の部屋を妄想していると、ふいに一番ヶ瀬さんが立ち上がった。どうしたんだろうと思っていると、おれの隣にぽすんと腰を下ろす。パイプベッドが軋むのと同時に、おれの心臓がどくんと跳ねた。


「い、一番ヶ瀬さん?」


 裏返った声で尋ねると、彼女はいつものようにニコッと親しげに微笑む。そうすると、ほっぺたに可愛らしいエクボが浮かぶ。

 シーツの上にふわりと広がるプリーツスカートが脚のラインを拾っていて、おれは慌ててそこから視線を剥がした。自分のベッドにクラスメイトの女の子が座っているという状況に、冷静になれるはずもない。


「薙くん、デザート食べますか?」

「……さ、さっきチョコムース食べただろ」

「……でも、いろいろお世話になりましたから。お礼、させてください」


 ね? と小悪魔っぽい仕草で小首を傾げられると、心臓が止まりそうになるのでやめて欲しい。ここは男の部屋で、ベッドの上で、今は夜で、二人きりだ。この状況でそんなことを言うなんて、問答無用で噛みつかれても仕方ないぞ。

 一番ヶ瀬さんが身体をこちらに寄せてきて、ただでさえ近かった距離がほぼゼロになる。ふわふわと甘い香りが鼻腔をくすぐって、理性なんて吹き飛びそうになる。

 真っ白いうなじに牙を立てたい衝動を押さえつけながら、おれはどこか冷めた頭で「でもどうせ、一番ヶ瀬さんは誰でもいいんだろ」と考えていた。

 正直なところ、おれはさっき一番ヶ瀬さんがバアちゃんに対しても「血を飲みますか」と尋ねたことにショックを受けていた。別に自分が特別扱いされていると自惚れていたわけじゃないけれど、本当に誰でもいいのだな、という事実を突きつけられて、ちょっと落ち込んだ。

 ささやかな意地で抵抗を続けていたけれど、耳元で「わたしの血、飲んでください」と甘く囁かれて、おれの我慢はあっさり限界を迎えた。いただきますも言わず、差し出された腕を強く引いて、中指に噛みつく。


「いたっ……」


 きつく噛みついたせいか、彼女が小さな声をあげた。おれはそれを気遣う余裕もなく、流れ込んでくる甘い液体を夢中で貪っている。

 昼間よりも夜の方が、吸血鬼としての本性が如実に現れるものだ。いつもより自分が興奮しているのがわかる。ぐ、と彼女の腕を掴む手に力がこもった。いつもよりやや乱暴な吸血だったが、彼女の手は優しくおれの髪を撫でている。


「なぎ、くん」


 か細い声で名前を呼ばれて、ようやく理性が戻ってきた。唇を離すと、深呼吸をして息を整える。

 しまったやりすぎた、とすぐに後悔したが、彼女は相変わらずうっとりと満足げな表情を浮かべていた。


「……ごめん」

「ううん。ちょっとびっくりしましたけど、こうやって薙くんにがっつかれるの好きです」


 ……どうして彼女は、こんなにも無防備で献身的なんだろうか。

 えへへと無邪気に微笑まれると、ほんとに押し倒されて全部食われても文句言えないぞ、という邪な気持ちがふつふつと湧いてくる。もちろん、付き合ってもいない女の子にそんなことができるはずもないが。


「なあ一番ヶ瀬さん、もし――」

「はい」


 ――もし他の奴が血飲ませてって言ったら、一番ヶ瀬さんはどうすんの?

 喉元まで出かかった馬鹿げた質問を、ぐっと飲み込んだ。そんなの、答えは決まっている。彼女はきっと、喜んで自分の血を差し出すに決まっているのだ。わたしでよければ、とおれに向けるのと同じ笑顔をそいつにも振り撒いて、優しく頭を撫でてやるのだろう。

 そんな想像をしただけで、おれはなんだか腹の底からムカムカがこみ上げてきた。


「なんですか?」


 ぱちぱちと瞬きをした一番ヶ瀬さんに、おれは「なんでもない」とかぶりを振る。「ごちそうさまでした」と頭を下げると、彼女は心底嬉しそうに「お粗末さまでした」と微笑んだ。

 窓の外を見ると、分厚い遮光カーテンの向こうは、清々しい夜の闇が広がっていた。バアちゃんは「ゆっくりしていけ」と言ったが、あまり遅くならないうちに、帰した方がいいだろう。


「一番ヶ瀬さん。そろそろ送っていくよ」

「えっ、大丈夫ですよ。一人で帰れます」

「そんなわけにはいかないよ。もう遅いし、危ないから」


 おれが言うと、一番ヶ瀬さんは申し訳なさそうに「……ごめんなさい」と俯いた。彼女は他人に対してあれこれ世話を焼きたがるくせに、他人から施しを受けるのは苦手みたいだ。


「……おれ、夜の散歩好きだから。ついでだよ」


 彼女が遠慮しないように、わざとらしくそんなことを付け加える。

 細い腕を掴んで立たせると、その柔らかさにドキリと心臓が跳ねる。帰りも肩を抱いて歩いた方がいいんだろうか、なんてことを考えて、一人でこっそり赤面した。

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