11:バァちゃんは魔女

 ようやく日も暮れて元気が出てきた頃、おれはいつものように、ひいひいばあちゃんと二人食卓を囲んでいた。

 おれの目の前で、バアちゃんはワイングラスを傾けている。ちなみにグラスの中身はワインではなく、独自の製法で熟成された十年ものの血液である。未成年お断りのシロモノだが、どちらにせよおれは飲む気がしない。

 今日の晩飯は、おれの好物であるグラタンだった。バアちゃんの作るシーフードグラタンは絶品だ。もぐもぐと一心不乱に食べていると、バアちゃんが唐突に口を開いた。


「薙。アンタ、最近血飲んでるだろ」

「えっ」


 おれがギクリと固まっていると、バアちゃんは「やっぱり」と肩を竦める。

 くるくるとカールした短い白髪に皺だらけの顔、大きな鼻にギョロリと大きな目をしたバアちゃんは、吸血鬼というよりは御伽噺の魔女に近しい風貌だ。部屋着代わりの真っ黒いバスローブも、魔女っぽさを加速させている。ずいぶん前から正確な年齢を教えてくれなくなったが、そろそろ二百歳になるはずだ。吸血鬼の寿命をふまえても、かなり長生きな方である。毎晩元気に遊び回っているバアちゃんは、たぶんあと五十年くらいは生きるだろう。

 もっとも、バアちゃんよりも吸血鬼の血が薄いおれは、そんなに長くは生きられないと思う。もしかすると、バアちゃんよりも早くに死んでしまうかもしれない。


「そんなこと、な、なんでわかんの」


 動揺のあまり手が震えて、フォークがグラタン皿にぶつかってカチャカチャ音を立てる。バアちゃんは真っ赤な瞳をカッと見開き、シワシワの指をびしりとこちらに突きつけてきた。


「アタシの嗅覚をナメるんじゃないよ。ここ一ヶ月ほど、アンタから血の匂いがプンプンするんだよ」

「ええ……」


 正直、自分では全然わからない。くたびれたTシャツの袖口を嗅いでみたが、一番ヶ瀬さんの血を飲むときの、甘ったるいような芳しい香りはしなかった。


「恋人ができたなら、どうして紹介してくれないんだい。アタシは真雪まゆき武士たけしさんにアンタを任されてるんだから、そういうこともしっかり把握しておかないと……」

「ちょ、バアちゃん。ちょっと待って」


 真雪と武士、というのはおれの母さんと父さんの名前だ。母さんは吸血鬼、父さんはれっきとした人間である。いくつになっても仲の良い両親は、バアちゃんにおれを任せて、仕事で海外をあちこち飛び回っている。

 それはさておき、バアちゃんはとんでもない勘違いをしている。おれはたしかに血を吸ってはいるが、恋人ができたわけではない。このあたりの説明を慎重に行わなければ、とんでもない誤解を生んでしまう。


「えーと、その……違うんだよ。恋人ができたわけじゃなくて……た、ただのクラスメイト」

「アンタ、恋人でもない子の血を吸ってるのかい!? そんなふしだらな子に育てた覚えはないよ!」


 ドンとテーブルに拳が叩きつけられて、グラスに入った赤黒い液体がゆらゆらと揺れる。バアちゃんは怒らせると怖い。おれはビビりながらも「合意の上だよ」と小声で弁明する。


「……一番ヶ瀬さん、っていう子で。可愛くていい子なんだけど、ちょっと変わってて」

「ほう。可愛いのかい」

「……いやまあ、そこは問題じゃなくて! か、変わってるんだってば。なんか……異常なくらい献身的で、喜んでおれに血を飲ませてくれるんだって……」


 おれの説明を聞いたバアちゃんは、怪訝そうに疑いの眼差しをこちらに向けている。

 そりゃあおれだって、普通に考えてそんな奴いるかよ、と言いたくもなる。それでも、嘘ではないのだから他に説明のしようがない。


「信じてもらえないかもしれないけど、ほんとだから。同意もなしに無理やり女の子の血飲むとか、絶対にしない」


 必死で言い募るおれに、バアちゃんは溜息をついた。


「……まあ、アタシもアンタのことはちゃんと信用してるよ。そこまで言うなら、一度うちに連れて来なさい」

「は?」

「血を飲ませてもらってるなら、ちゃんとお礼しないとねえ。やましいことがないなら、連れて来れるだろ」


 そう言ってグラスを口に運んだバアちゃんは、楽しげな(見ようによっては不気味な)笑みを顔いっぱいに浮かべている。おれは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

 異性の友人がほとんどいないおれは、同世代の女子を家に招いたことなんて生まれてこのかた一度もない。ハードルが高すぎる。

 勘弁してくれと言いたかったが、おれがバアちゃんの命令に逆らえるはずもないのだ。渋々頷いたおれは、どうやって彼女を誘おうか、と今から頭を抱えていた。




「……ごちそうさま、です」


 一夜明けた、昼休み。いつものように一番ヶ瀬さんの血を飲んだ後、おれは息を落ち着けながら興奮が鎮まるのを待っていた。

 吸血直後は心臓の音がバクバクとうるさくて、身体が妙に熱を持っていて、ぐるぐると全身に血液が巡っているのを感じられる。きっと今のおれの瞳は真っ赤になっているに違いない。

 一番ヶ瀬さんは左手に新しい絆創膏を撒き直して、満足げにそれを撫でている。おれがさっきまで牙を立てていた場所に、どうしてそんなに愛おしそうに触れるんだろう。


「……えと、一番ヶ瀬さん」

「はい、なんでしょうか」


 おれが声をかけると、一番ヶ瀬さんはきゅっとエクボを浮かべて返事をしてくれる。

 おれに向かってこんなに愛想良くしてくれる女の子は、おそらくこの世で一番ヶ瀬さんだけだ。声も表情もすべてが優しい。やっぱり彼女はかわ……か、変わった子だ。


「……こ、今週末とか……暇? いや、用事があるなら断ってくれても全然いいんだけど……」


 必死で予防線を引きながら、ボソボソと尋ねる。彼女はスマホを取り出すと、何やら予定を確認した後、こちらを向いて答えた。


「夕方までバイトですけど、それ以降は空いてます」

「あ、一番ヶ瀬さんバイトしてんだ……」

「はい、朧町おぼろちょうにあるファミレスで……わたし、その近くで一人暮らししてるんです」


 それは初耳だ。朧町は、おれの住む月城町のすぐ隣にある。夜になればあまりガラの良くない吸血鬼もウロウロするし、それほど治安がいいとは言えない地区だ。そんなところで女子高校生が一人暮らしをして、大丈夫なのだろうか。

 おれのそんな心配など知らず、彼女は「夜でも大丈夫ですか?」と首を傾げる。おれはちょっとドギマギしながらも、勇気を出して言った。


「夜でもいいっていうか、夜の方が都合がいいっていうか……一番ヶ瀬さん。よかったら、おれんち来ない?」


 バアちゃんはいつも昼間は寝ているし、家に連れてくるなら夜の方がいいだろう。おれも基本的に昼間より夜の方が元気だ。

 そう思って口に出したのだが、休日の夜に女の子を自宅に呼び出すなんて、あらぬ誤解を受けるかもしれない。おれはしどろもどろに取り繕った。


「いや、変な意味じゃなくて! あの、うちのバアちゃんが、一番ヶ瀬さんのこと連れてこいって言ってて……」

「薙くんの、おばあさま?」

「厳密に言うとひいひいばあちゃんなんだけど、今一緒に住んでてさ。一番ヶ瀬さんの話したら、会いたいって言い出して。よかったら、一緒に晩飯とか食わない?」

「そんな……わたしなんかがお邪魔したら、きっとご迷惑になります」


 一番ヶ瀬さんは、珍しく躊躇う様子を見せた。少し困ったように眉を下げて、俯きがちに指をいじっている。

 彼女は強引なところはあるけれど、その反面気遣い屋で遠慮がちな面もあるのだ。とはいえ、ここで引き下がるわけにもいかない。


「……実を言うと、結構困ってて」

「……え?」

「バアちゃんがさ、その……おれが、無理やり女の子の血飲んでんじゃないかとか、疑ってるっぽくて。一番ヶ瀬さんからちゃんと説明してもらえたら、ありがたいんだけど……」

「そ、そうなんですか? そういうことなら絶対行きます!」


 顔を上げた一番ヶ瀬さんは、勢いよくおれの手を取って握りしめた。


「大丈夫です。わたしに任せてください」


 そう言って力強く頷いた彼女の瞳は、メラメラと使命感に燃えている。やっぱりこの子は、誰かに頼られることがどこまでも好きらしい。一番ヶ瀬さんは結局、自分を必要としてくれる人間なら誰でもいいのかな……と複雑な気持ちになってしまった。

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