1:クラスメイトは吸血鬼

 十六歳のお誕生日に、献血に行った。

 繁華街のビルの七階にある献血センターは新しくてきれいで、受付にいる素敵なおねえさんが満面の笑みで出迎えてくれた。待合室のソファはお菓子やジュースが食べ放題で、職員さんはみんな愛想が良くて親切で、何度も「ありがとうございます」と感謝されて、びっくりするほど至れり尽くせりな空間だった。

 そのあと意気揚々と採血をしたわたしだったけれど、結局ヘモグロビンの数値が足りないだとかで、献血をすることはできなかった。受付のおねえさんは「また機会があったらよろしくお願いしますね」と申し訳なさそうにジュースを手渡してくれた。

 がっくりと肩を落としトボトボと帰宅するわたしに残ったのは、なんともいえない罪悪感と、ぶつけどころのない献血欲だけだった。




 五月の末とは思えないほどの、夏を思わせるような厳しい陽射しが降り注いでいる。空には雲のひとつもなく、さんさんと輝く太陽を遮るものはひとつもない。

 砂埃が舞うグラウンドで、わたしたちは二週間後に控えた球技大会の練習をしていた。二年生の競技は男女混合のソフトボールだ。わたしはほとんどボールの飛んでこない外野を手持ち無沙汰に守っている。

 ピッチャーをしているのは野球部の男の子で、手加減してバッターが打ちやすいボールを投げていた。こんなところで本気を出したら、あっというまにスリーアウトで試合が成立しないから仕方がない。


「せんせー! 山田やまだくんが体調悪そうです」


 欠伸を噛み殺していたわたしの退屈を吹き飛ばしたのは、グラウンドに響いたクラスメイトの声だった。

 見ると、この暑いのに長袖のジャージを着た男の子が一人、その場にしゃがみ込んでいる。周囲がにわかにざわめきだした。


「山田! 大丈夫か」

「……は、い」


 先生が駆け寄ると、彼は消え入りそうな声でそう答えた。ゆっくりと上げた顔は白く色を失っていて、表情もぐったりと力ない。クラスのみんなも試合を中断して、なんだなんだと周りに集まってくる。

 彼の名前はクラスメイトの山田薙くん。容姿も地味でどちらかといえばおとなしくて目立たない子で、休み時間には一人で眠そうにボーッしていることが多くて、あまり社交的な方ではない。

 それでもこのクラスで、山田くんの存在を認識していない人はいないだろう。


「太陽に当たりすぎたな。日除けしてなかったのか」

「……油断してました。すみません」

「無理すんなよ。すぐ保健室行ってこい。おーい、誰か付き添い……」

「わたしが行きます」


 率先して手を挙げたわたしに、先生は「じゃあ一番ヶ瀬、頼む」と大きな日傘を手渡してくれた。

 わたしは日傘を開くと、山田くんの腕を支えながら立たせてあげる。かなり辛そうだけど、歩けないほどではなさそうだった。


「行きましょう、山田くん」

「……うん」


 赤みがかった茶色の瞳が一瞬こちらを向いて、すぐに視線を逸らされる。日傘の影に山田くんを入れてあげながら、わたしたちは保健室へと向かった。

 腕を掴んで、ときおりふらつく身体を支えてあげる。山田くんは男の子にしては小柄で細身だ。身長も、百六十センチあるわたしとそんなに変わらない気がする。さらさらの黒髪から覗いた耳は、ちょっぴり尖っていた。

 保健室の扉を開けると、保険医の谷口たにぐち先生がコーヒーを飲んでいるところだった。わたしの隣にいる山田くんを見て「あらあ、また来たの?」と目を丸くする。彼はどうやら保健室の常連らしい。黙っている彼に代わって、わたしが答える。


「球技大会の練習中に体調が悪くなったみたいで……太陽に当たりすぎたみたいです」

「もー、ちゃんと日除けの帽子かぶらなきゃダメじゃない。持ってきてなかったの?」

「……邪魔なんですよ、あれ。ださいし」

「吸血鬼の子はみんなかぶってるわよ」

「……おれ、ほぼ人間なんで」


 谷口先生の言葉に、山田くんはややふてくされたように答えた。


 彼――山田薙くんは、人間の血を飲む吸血鬼と呼ばれる種族だ。

 特徴としては「巨大な牙がある」「ルビーのような赤い瞳」「太陽の光に弱い」「ニンニクが苦手」「十字架に触れない」などがある。もっとも、それぞれ個人差はあるみたいだけれど。

 わたしたちの住む夜宵市やよいしは遠い昔、吸血鬼の支配下にあったらしく、他の土地に比べて吸血鬼が数多く住んでいる。人口のおよそ一割弱を占めており、同級生の中にも二、三人は吸血鬼がいる。

 とはいえ現代において純粋な吸血鬼なんてほぼいないし、ほとんどが人間との混血だ。山田くんも見た目は他の人間とほとんど変わらない。

 昔はもっと吸血鬼の存在が恐れられていたみたいだけれど、今は普通に受け入れられている。自動販売機にも人工血液(ホンモノの血ではなく、血と似たような成分で作られた吸血鬼用の飲料だ。当然輸血なんかには使えない)が売られているぐらいだ。


「とりあえずベッドに横になってて。人工血液飲みなさい」

「……おれ、あれ嫌いなんだよな……なんか変な味する」

「ワガママ言わないの。……あら大変、ストック切れてるわ。ごめんなさい一番ヶ瀬さん、少し山田くんのこと見ててくれる?」

「はい!」


 谷口先生の言葉にわたしは頷いて、ベッド脇にあるパイプ椅子に腰を下ろした。先生はパタパタとスリッパを鳴らして、保健室を出て行く。扉が閉まると、完全に二人きりになった。

 山田くんはやや気まずそうに「戻っててもいいよ」と言ったけれど、わたしは「ここにいます」とかぶりを振った。この場を任された責任があるのだから、離れるわけにはいかない。


「人工血液って、まずいんですか?」


 なんとなく気になって、わたしは話題を振ってみた。山田くんはベッドに寝転んだまま、億劫そうに目線だけをこちらに向けてくる。


「……美味いって言う人もいるけど、おれはあんまり好きじゃない。なんか変に甘ったるくて、薬みたいな味する。牛乳の方が美味いよ」

「それなら、飲まなきゃいいのに……」

「……体調悪いときには格段に効くから」

「そうなんですか?」


 吸血鬼にとって、血液は重要な栄養源なのだろう。そういえば中学のクラスメイトだった吸血鬼の女の子も、たまに人工血液のパックを飲んでいた気がする。「ホンモノの血の方が美味しいんだけどね、誰か飲ませてよ」だなんていう彼女なりのブラックジョークを、友人みんなで笑い飛ばしていた。


「人間の血は、美味しいんでしょうか……」

「……知らない。飲んだこと、ないから……」


 うっすらと青い血管の浮いた、自分の手首を見つめてみる。ヘモグロビンの数値が低いというわたしの血も、吸血鬼ならば飲んでくれるだろうか。

 辛そうに眉根を寄せている彼に向かって、わたしは提案してみた。


「あの。わたしの血、飲みますか?」

「……………………は?」


 唐突なわたしの申し出に、山田くんは目を開けた。赤茶色の瞳に宿る光は弱々しく、なんだか妙に庇護欲をそそられる。わたしは彼の眼前にぐいと手首を突き出した。


「ちょっ……い、一番ヶ瀬さん。な、なに言って……」

「山田くんがそれで元気になれるなら、いいです」

「……で、も」

「わたしの血、飲んでください」


 その瞬間、山田くんの喉がごくりと動くのがわかった。薄く開いた唇から、大きめの八重歯が覗く。

 なんだか熱に浮かされたような表情をした彼が、わたしの腕を掴んで引いた。あっと思う暇もなく、首筋にがぶりと噛みつかれる。僅かにちくっとしたけれど、思っていたほどの痛みではなかった。


「……っ……」


 わたしの首に牙を立てた彼は、まるで子どものように夢中になってわたしの血を吸っている。少し硬い黒髪が頰に触れてくすぐったい。

 もっともっとと、ねだるように強く抱きしめられて、身動きが取れない。時折ぺろりと首筋を舐められる感触に、何故だか背中がぞくりと震えた。次第に頭の芯が痺れるようにぼうっとしてくる。


「や、やまだ、くん……お、いしい、ですか?」


 わたしの問いかけに、彼はようやく顔を上げてこちらを向いた。

 いつのまにか彼の瞳は、血と同じように赤く染まっていた。宝石のように美しい、燃えるような赤色。わたしが今日まで見てきたあらゆるものの中で、今この瞬間の彼の瞳が一番きれいだ。

 いつも眠そうにぼんやりしている彼の瞳が、ぎらぎらとした欲に燃えている。まるで野生の獣のような目が、どんな言葉よりも雄弁にわたしの問いに答えていた。

 ――ああ。わたし今、この人に必要とされてる。

 その瞬間に胸に浮かんだのは、どうしようもなく歪んだ愉悦だった。右手を伸ばすと彼の黒髪を優しく撫でて、わたしはそのまま意識を失った。

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