act.48 将来

 入社二年目。

 二十六歳になる年の暮れ。

 紋太に別れを切り出してから一年半。

 紋太との繋がりは絶たれていない。

 今でも時折連絡を取り合っている。

 誕生日を除くと月に一回くらい。

 ある時から激減した。

 紋太が一人で紅葉を観に行くと言っていた日。

 紋太に感想を訊いてみたけど。

 綺麗だった、としか返ってこなかった。

 普段と様子が違うことに気付いた。

 気付いたけど。

 他人が踏み込むことではないと思った。

 紋太は。

 自分の問題に首を突っ込まれるのが嫌いだ。

 それが恋人であろうとも。

 家族であろうとも。

 他人であれば尚のこと。

 俺はもう紋太と付き合っていないのだから。


 紋太と連絡は取り合っているけど。

 恋人らしいことはしていない。

 手を繋ぐことも。

 何となく一緒に過ごすことも。

 二人で出掛けることも。

 二人の気持ちを確かめることも。

 全て無くなった。

 それはきっと恋人関係の終わりを意味しているのだろう。

 紋太からの返事はなかったけど。

 それが答えなのだろう。

 自然消滅。

 藍原さくらの顔が脳裏を過った。

 紋太の元カノ。

 中学時代にできた初めての彼女。

 高校進学と同時に自然消滅した彼女。

 俺は。

 藍原さくらに嫉妬していた。

 紋太とキスしている光景を目撃してから。

 胸のもやもやが増幅した。

 これは呪いだろうか。

 紋太にかけた呪いが返ってきたのだろうか。

 だとすれば。

 いいざまだ。


 大晦日。

 紋太から連絡が来た。

 素っ気ない文章だった。

【今日、ヒマ?】

 俺も淡々と返事した。

【予定はない】

 年始に仕事があるため実家には帰らなかった。

【今から行っていい?】

 テレビの音が遠く聞こえる。

 暖房のかかった室内が異様に暑く感じられる。

 これが最後のチャンスだろう。

 紋太との繋がりを無くすチャンス。

【いいよ】

 送信するなり携帯電話を傍に放り投げた。

 仰向けになって眼鏡を外した。

 天井の照明がぼけて映る。

 紋太に眼鏡を奪われた時のことを思い出す。

 紋太の幻影を振り払うように目元を腕で覆い隠す。

 俺はみすみすチャンスを捨てた。

 繋がりを捨てたいとは思っていないから。

 紋太に幸せになってもらいたいだけだから。

 そんな甘さが。

 言い訳が。

 図々しくて嫌気が差した。

「気持ち悪い」


「よっす」

 紋太が部屋に来るのは。

 引っ越しの手伝い以来だった。

「お邪魔します」

 部屋に入ると紋太は室内を見回した。

 テーブルと布団が敷かれただけの簡素な部屋だ。

 実家の自室よりも物が少ない。

「綺麗じゃん」

「どうも」

 紋太はテーブルの前に座った。

 俺はその反対側に座った。

 テレビの音だけが室内に響いた。

「紋太」

 切り出したのは俺だった。

 余程珍しかったのか紋太が目を見開いた。

「初詣行く?」

 一瞬呆けてから。

 紋太は顔を輝かせた。

「行く」

 紋太が欲していた言葉。

 今でも手に取るようにわかる。

 きっと紋太は復縁を望んでいる。

 俺は。

 それを良しとしていない。

 紋太の周りに生じている不和は。

 きっと俺のせいだから。


 年が明けてすぐ。

 俺たちは近くの神社へ向かった。

 長蛇の列が出来上がっていて。

 参拝するまでに一時間以上かかりそうだった。

「混んでるなあ」

 紋太はダウンジャケットのポケットに。

 両手を突っ込んでいた。

 身を縮こまらせると。

 より一層小さく見えた。

「帰る?」

「いや、粘る」

「粘る、って」

 何時間居座るつもりなのだろう。

 紋太は周りの屋台に目を引かれていた。

「買ってこようか?」

「二人で行こ」

「並ばなくていいの?」

「ズルは良くない」

「ズル、って」

 周りの人はやっていることだったけど。

 一人が買い出しに行って、一人が並んでいる。

 連れがいる特権。

「かき氷だな」

「嘘でしょ」

 紋太に腕を引かれてかき氷の屋台へ向かう。

 季節外れの屋台を睨み付けた。

「ブルーハワイだな」

「ほんとに?」

 ブルーハワイのシロップはとりわけ余っていた。

 紋太は一人だけ南国気分だった。

 俺はイチゴ味にした。

「味なんて全部一緒だし」

 ならば何故寒色を選んだのか。

 紋太の言動を理解できなかった。


 屋台に足を運んでいたら。

 参拝を終える頃には二時間ほど経過していた。

 午前二時半。

 まぶたが重くなってきた。

「帰る?」

 紋太はまだまだ目が冴えていた。

「うん」

 俺は素直に眠気を甘受した。


 アパートへの帰路。

 喧騒から離れていっても。

 道行く人が途絶えることはなかった。

 騒ぐ人間はいなかったけど。

 全くの無音というわけでもなく。

 心地好い賑やかさがあった。

「今年で二十七かあ」

 紋太が感慨深げに空を見上げる。

「そうこうしているうちに三十路じゃん、こわ」

 紋太はけらけらと笑った。

 周囲は大多数がカップルだった。

 家族連れは子供がいるから午前中に行くのだろう。

 紋太はちらちらと周囲を見渡して。

 自然な動きで俺の手を掴もうとした。

 俺は咄嗟にそれを避けた。

「何で?」

「何で、って」

 紋太は立ち止まった。

 俺も立ち止まった。

 何人かに抜かされた。

 みんな手を繋いでいた。

 男女比は一対一。

 俺たちは例外だった。

「手を繋ぐのあんまり好きじゃなかったじゃん」

「そんなことねえし」

「自分で言ってたじゃん」

「昔のことだろ」

「紋太」

 紋太の口が止まる。

 鼓動の音が聞こえそうな表情を浮かべていた。

「無理してるでしょ?」

「え?」

「告白した時からそう」

 俺は身体が芯から冷えてゆく感覚に包まれた。

 それはきっと確信があったからだ。

 浅はかな自分に止めを刺す覚悟ができたからだ。

「俺に合わせてただけだよね?」

「そんなことねえし」

「だったら」

 車道を車が通り過ぎる。

 ヘッドライトが瞬く間に過ぎ去ってゆく。

「紋太がどうしたいか教えて」

 隣で紋太は。

 動揺を隠し切れていなくて。

「俺と付き合い続けて、紋太はどうなりたいのか」

 次の車が近付いてくる頃には。

 俯いていた。

「そんなの」

「わからない?」

 諭すように問いかける。

「結婚できないし、子供もできない」

 現実を突きつける。

「周りから白い目で見られるし距離も置かれる」

 俺と一緒に居続けるということがどういうことか。

「一般家庭から程遠い人生は」

 紋太を殺す気持ちで。

 突き刺す。

「嫌?」

 卑怯な問いかけだった。

 イエスもノーもできない。

 けど。

 ノーと言えないことが紋太の迷いを如実に表していた。

 俺は。

 そもそも嫌な人生になると確定していたから。

 イエスもノーもない。

 嫌でも歩まなければならないから。

 だけど紋太は違う。

 わざわざ嫌な人生を歩まなくてもいい。

 一度脇道に逸れたところで。

 軌道修正できる。

 俺とは違う。

 俺とは。

「ずりいよ」

 真冬だからか紋太の顔は真っ青だった。

 唇を噛み締めていた。

 俺は胸が苦しくなった。

「ズルい、って」

 紋太に背中を向けながら。

「じゃあ、どうしたかった?」

 紋太は顔を上げた。

 背中に視線が突き刺さった。

「帰ろう」

 歩き出すと紋太も歩き出した。

 肩を並べてきた。

「おれは」

 横目に見ると紋太は足元を見つめていた。

「聖人が嫌な気持ちにならねえようにしたかった」

「そう」

 それはとても胸に響く言葉で。

 同時に胸を突き刺す言葉でもあった。

「じゃあ」

 だから俺は。

「普通に戻ったほうがいいよ」

 紋太を突き放した。

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