番外編 本編第拾章 黒く冷たい声

 記憶喪失の男性は神子より龍鬼と言う名を貰い暫く経った頃。記憶を辿る旅を続けていたのだが気が付くと道に迷い込んでいた。


「ここはどこなのでしょう……っ!?」


困った顔で周囲を見ていた時に冷たく黒い気配に頭を押さえその場に佇む。


「……今の、は?」


よく分からないが心臓が激しく脈打つ胸を押さえ呟く。


「……この香りは」


その時ふわりと優しく甘い香りを感じてそちらへと彼の足は向かう。


「こんなところに集落があったなんて」


結界がはられているはずの集落に気が付くと彼は入り込んでいて、香りの下を探す。


するとそこには神子の姿があり暖かく優しい気持ちになりながらそっと微笑み近寄った。


「神子様」


「あ、龍鬼さん」


そっと声をかけると彼女もこちらに気付き太陽のような笑顔で答える。


「神子様もこの辺りに着ていらしたんですね。またお会いできて嬉しいです」


「私もまた龍鬼さんに会いたいって思ってましたので、こうしてお会いできて嬉しいです」


さっきまで感じていた冷たいものが一気に溶けてなくなっていく感覚に安堵しながら神子へと話す。彼女は本当に嬉しそうな顔で答えた。


「神子様もそう思っていてくださっていて嬉しいです。旅は順調ですか?」


「はい。今のところ怖いくらい順調でだからこそこれから先に不安を抱いてます」


神子も自分に会えた事が嬉しいと感じていたことに良かったと思い笑顔になる。しかし次に彼女が語った言葉に神子と呼ばれている彼女も一人の女の子なんだと知り心配する。


「……神子様の旅は世界を救うためのもの。だからこそみんなが神子様の事を慕い、崇めるんです。ですが、神子様と話していて神子様もやはりどこにでもいる普通の女の子なんだなって思いました。ですから邪神を倒すために旅をしていて恐れを抱かないはずもないですし、不安にならないはずもない。でも大丈夫ですよ。神子様ならきっと……」


「えっ……」


彼女ならきっと邪神を倒せるそう思い見詰めていると神子が困ったようにたじろぐ。


【……ろせ……殺せ】


「っぅ!?」


「龍鬼さん? どこか苦しいのですか」


突如黒く冷たい気配を感じたかと思うと頭の中に低い男の声が響く。いきなり苦しみだした龍鬼の様子に神子は驚き心配して尋ねる。


【殺せ……殺すのだ……その女を殺せ!!】


「……くっ……な、何でもないです。時々こうして何かわからぬ思いに体が支配されそうになる時があるんです。もう、大丈夫です」


頭の中に響く声の言葉に支配されそうになる自分を理性で留めて深い呼吸を繰り返し落ち着かせると、心配そうな顔の彼女へと笑顔で答える。


「頭が痛いのですか?」


「心配には及びません。もう落ち着きましたので。もしかしたらこれが自分の記憶喪失と何か関係があるのかもとも思いますが、それが違っていることを願いたいのです」


頭を抱えたままの状態に心配する彼女の姿に姿勢を戻すとそう答えた。


(記憶が戻ったらおれは神子様を……)


「違っていることを願いたいってどうしてまたそんなふうに思うのですか」


ひょっとしたら自分は記憶が戻ったらとても凶悪な存在になるのではないか。そして彼女を殺してしまうのではないかと不安になりながら見ていると神子が不思議そうな顔で尋ねる。


「……神子様。おれは神子様が好きです。だからこそ、この思いを消したくはない。記憶が戻ったらもしかしたらおれは今のおれとは全く違う性格の人になっているかもしれない。そう思うと恐ろしいんです」


「龍鬼さん……龍鬼さんは私の事を気にかけて下さるとても優しい人です。ですからどうか記憶が戻って私の事を忘れてしまったとしても、私は悲しんだりなんかしません。龍鬼さんの記憶が戻ることが一番いい事だと思うので」


彼女を殺せという声が自分の記憶と関係しているのだとしても神子の事を好きな気持ちに嘘をつきたくなくてそう話すと、彼女が優しく微笑み語った。


「神子様……おれはそろそろ行きます。ここはおれがいてはいけない場所のようですから」


「また、会えますか?」


神子の前にそしてこの場所に自分はいてはいけないような気がしてそう言って立ち去ろうとすると慌てた様子で彼女が声をかける。


「運命が巡り会わせて下さればまた……お会いできるでしょう」


その言葉が嬉しいはずなのに今は素直に喜べなくて曖昧な言葉で答えるとその場を立ち去った。


「おれは……記憶が戻ったら、神子様を殺してしまうのだろうか?」


集落の外へと出て深い森の中へとやって来ると龍鬼はそう呟く。


「っ!」


再び頭が痛くなり額を抑えてしばらくうごめく黒い想いと格闘する。


「……この声の主の所へと向かえばおれは、何者なのか思い出せるのか」


確信はないがなぜかそう思った彼は自分を呼ぶ黒く冷たい声の主がいる場所へと向けて足を進めた。


そしてその後記憶を取り戻した龍鬼は覚悟を持って神子の前へと立ちふさがることとなる。

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