第3話:ここでりんごをひとかじり

 蒼い月が2人の背中を包む幻想的な夜だった。

アンリは空を見上げて感嘆するような声を上げているが、名もなき旅人の顔は曇っていた。数時間前の逃走劇によってむやみやたらに逃げたせいかウェルドレイとは見当違いの場所にいるのだ。


「旅人さん、これからどこに行くの? 」


 アンリが子供っぽいような声で名もなき旅人に訊ねた。月に反射してキラキラと輝く彼女の目は小宇宙を連想させる。


「ウェルドレイのつもりだったが……まずここがどこかあまり分からない時点で厳しいな」


「そう……」


 名もなき旅人は月明かりを頼りに地図を開く。そして星を頼りに現在の方角を確認し、現在位置を突き止める。


 現在位置からしてウェルドレイよりもここから南下して隣国に逃れた方がいいだろう。しかし先程の女性達が見張っているならばこの移動が無駄になる。特に歩きによる移動だと時間の無駄が身体に直接響いてくるのだ。

 どちらにしても今日は野宿することには変わりはない。


「今日はもう野宿するしかないな」


 名もなき旅人はため息をつく。彼女に野宿をさせるのは心配だったのだ。


「私は大丈夫。むしろ旅人さんの方が大丈夫なら野宿でも問題ないわ」


「そうか、ならば雨風をしのげる場所を探そう」


 改めて考えてみれば彼女を連れて街に行くことすらも危ないだろう。どこまでも抜けている自分に呆れながらもアンリを背負って野宿する場所を探す。


 しばらく歩いていると横穴式になっている洞窟を見つける。これなら雨風を凌げるだけでなく身を隠すのにもうってつけだ。名もなき旅人は木の枝と枯れ草を集めながら洞窟へと向かう。

 名もなき旅人はアンリを下ろしてライターから枯れ草へ火をつける。そして木の枝へと燃え移らせて焚き火を作り出す。


「これで一晩は過ごせるな」


 名もなき旅人は腕で汗を拭いながらアンリの向かい側に座った。炎は洞窟を明るく照らし、言葉にできない安心感を与えてくれる。


「一晩だけではなくてもっと居たいわ。少なくとも青雲の肆フォース・ファイトが終わるまでは……」


 青雲の肆フォース・ファイト――

 ふと名もなき旅人の脳裏に鐘の音を聞いていた時と同じ映像が蘇ると同時に謎が解けていく。

 コーシャスの子供たちは12歳になると青雲の肆フォース・ファイトと呼ばれる儀式がある。

 朝早くから子供たちは闘技場に集まり5人1グループとしてそれぞれ剣を持って殺し合いをするのだ。そこで生き残った人は1人ずつ能力を授けられ、1人前の大人になる。

 名もなき旅人はその儀式が心の傷として深く刻まれていた。誰であっても人を殺すという行為には罪悪感が残る。だからこそその時の思い出が封じれなかったのだ。


「お前……もしかして歳は12か? 」


 名もなき旅人はアンリを見つめる。正直もっと歳を取っていると思っていたのだ。


「ええ。旅人さんはいくつなの? 」


「18だ」


「えっ!てっきり私と同じと思っていたわ」


 アンリは驚愕した。恐らく名もなき旅人の低身長と童顔が相まってかなり幼く見えたのだろう。しかしそう思われるのも名もなき旅人にとってはいつもの事だった。


「幼く見えて悪かったな。しかしお前が追われているのは青雲の肆フォース・ファイトと関係しているのか? 」


 アンリは痛いところを突かれたように沈黙する。沈黙した理由は分かっていた。彼女にとっては夢のような現状から現実へ引き戻されそうになっているからだ。

 しかし名もなき旅人はどうしても確認したかった。内容によっては今後の行動に多大な影響を及ぼすからだ。


「まさかだと思うがお前は青雲の肆フォース・ファイトが嫌で逃げているのか? 」


 名もなき旅人は考えうる事態をを口にする。それと同時に彼女はこくりと頷いた。


「マジかよ……」


 まさか亡命の手助けをしているとは思っていなかった。そんな思いをよそにアンリは申し訳なさそうな顔をしたまま彼に頭を下げる。


「お願いします!私を他の国へ連れていってください」


 アンリの懇願に名もなき旅人はため息をついた。


「亡命なんかやめとけ。ろくな事にならないぞ」


 こんなことを言うのも名もなき旅人自身が過去にコーシャスから逃げてきたからだ。今もなお自身は能力のおかげで今でも生き長らえている。しかし能力を持っていない彼女だと半年後には野垂れ死ぬのが関の山だろう。


「ならここで私は死んだ方が……」


 彼女の声を遮るように突然彼女のお腹から音が鳴る。どうやら彼女の体の方は生きたいと主張しているようだった。


「ほら、これでも食え。腹が減っては何も出来ないぞ」


 懐から赤々とした林檎を出すとアンリに手渡した。隣国から調達してきた林檎だが果たして口に合うのだろうか。彼女は林檎をひとかじりすると突然ポロポロと大粒の雨のような涙を流す。


「おい――」


 突然アンリは名もなき旅人の言葉を遮るかのように泣きついてくる。彼女にあった不安や恐怖が一気に爆発したのだろう。抑えきれない感情が涙となって名もなき旅人の胸を濡らす。


「旅人さん……助けて。死にたくない、死にたくなんかないよ! 」


「アンリ、まずは落ち着いてくれ」


 名もなき旅人はアンリの頭を撫でながら説得するように言い聞かせる。だが彼女の悲痛な叫びが名もなき旅人の頭から離れなかった。彼女をどうしたら助けることが出来るのだろうか。名もなき旅人の頭にはその事に支配されていた。


「死ぬなんて嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!! ! 」


 アンリは聞く耳持たず興奮したように拳を地面に叩きつける。名もなき旅人はそんな彼女をただ宥めることしかできなかった。しばらくしたら彼女も落ち着くかと思ったがそれに反して激しくなっていく。

 このままだとらちが明かない。名もなき旅人は痺れを切らすと彼女の名前を叫んだ。


「アンリ! 」


 怒りをはらんだような声にアンリはピクリとしたが顔を上げようとはしなかった。そんな彼女を名も無き旅人は思いっきり抱きしめる。


「お前の気持ちはわかった。こんな俺でも構わないなら……俺に着いてこい」


「助けてくれるの? 」


 アンリは涙声混じりになりながらもぽつりと呟いた。


「ああ。助けてやる。だがアンリが信じてくれればの話だがな」


 名も無き旅人はそう言うと同時に強い意志が心の奥底で産声を上げる。そして忌々しい故郷から彼女を助けなければならないと決意した。しかしそれに水を差すように突然名もなき旅人のお腹から音が鳴る。

 なんというタイミングで自身の体は主張しているんだ。名もなき旅人は気まずくなり、思わず赤面した。


「ふふっ。はい、どうぞ」


 アンリは離れると食べかけの林檎を名も無き旅人に手渡す。名もなき旅人はしばらくしてアンリがかじってないところをかじる。

 かなりモサモサしていて瑞々みずみずしさはない。だが林檎の香りは一切失われておらず、甘酸っぱい味が口の中に広がる。


 アンリにもう一口食べさせた方がいいと思い振り向く。すると彼女は疲れ果ててしまったのか名もなき旅人の膝を枕にしてすやすやと眠っていた。彼女を叩き起してまで食べさせるのは良くないだろう。そう思いながら名もなき旅人は残りの林檎をかじる。


 ふとアンリの方へ視線を移す。いい夢を見ているのだろうか。少し頬が緩みながらも微かな寝息を立てている。

 気がつけば焚き火の火が小さくなっていた。名も無き旅人は上着を脱ぐと毛布替わりにしてアンリの上にかける。しばらくすると火が消えて辺りが真っ暗になった。再び木の枝を集めて火をつけることも考えたが、ここは一眠りして体力の維持に務めておく。


 名もなき旅人は体制をそのままにして瞳を閉じる。そして気付かぬうちにまるで糸が切れたかのように意識が途切れた。

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