第26話 和議



「亡き太閤殿下が精魂傾けて造り上げた大坂城じゃ。たとえ10年の間、攻められても持ち堪えて見せよう。大坂城は難攻不落じゃ」


と、淀殿は豪語していた。

 淀殿は額には鉢巻を巻き、胴巻きを着込み、傍の侍女には自分の薙刀を持たせて張り切っていた。自ら城中を見て回り、時には一兵卒にまで声を掛け、士気の維持に努めていた。

 だが、昼夜分かたず撃ち込まれる大筒の轟音や鉄砲の発砲音、夜にも響く大音声の時の声。これらにより不眠が続くと、本人が思っている以上に堪えてくるもので、次第に自室にいることが多くなり、茫としている時間が増えていった。


 その間も、真田信繁や大野治長らは軍議を重ね、徳川方を何とか城近くに誘き寄せようと画策し、何度も挑発を繰り返したが、包囲に徹した徳川方はこれに応じず、けして動こうとしなかった。家康に、『動くな』――と厳命されていたこともある。

 寄せ手が攻めて来なくては、籠城側に打つ手はない。その上、相手の包囲と守りが完成した今となっては、騎馬隊も迂闊に馬出から討って出られなくなっていた。徳川方の鉄砲隊の射程圏内を駆け抜ける必要があり、敵陣に近付くまでに相当の被害、脱落者を出すことが予想されたからである。



 徳川方、豊臣方の双方が膠着状態に陥り、ただ、徳川方の砲撃だけが続くある日、1発の砲撃が本丸にまで届いた。

 そこは淀殿の居室だった。侍女8人が淀殿の傍にいたが、その部屋に大筒の砲弾が命中したのである。


「何事ぞっ!?」

「お、大筒がっ……!! 大筒の弾が……!!」

「ひっ……!!」


 着弾時に崩落した天井や壁に押し潰された者、命中した砲弾に四肢を引き千切られた者などがいて、8人の侍女は全て死んだ。


「ひっ……ひぃ……!」


 目の前で起こった血塗れの凄惨な光景に怖じ気付いた淀殿は、あれほどに敵愾心を燃やしていた家康との和議に応じる事を決めた。

 この数日前から、徳川方――家康から、和議の申し出があったのである。家康も、大坂城は搦め手でなければ落とせぬと理解しており、和議の条件の中に策を混ぜ込む腹であったが、大坂方は淀殿の鶴の一声でこれに応じる流れとなった。

 多数の浪人を抱えていた豊臣方の兵糧は当初の予想よりも減りが速く、夜中まで続く大筒の轟音により兵たちに疲れが溜まって厭戦気分が蔓延し始めており、この和議の提案に跳びついたのである。

 しかし――。


「大野殿。お尋ねしたき議がござる」


 卓上で書をしたためていた大野治長の前に現れたのは、真田信繁、後藤基次、毛利勝永の3人であった。書面から顔を上げた治長は、3人の形相と剣幕から、


(ははぁ、あのことか)


と、彼らがしたい話を察した。

 そもそも、まだ和議が成立もしていないのに甲冑を脱いでいる治長と、冑こそ着けていないものの、城中でも鎧を着ている3人とでは目指している方向が違っていても何ら不思議ではない。

 治長は筆を置き、改めて信繁らの正面に向き直って姿勢を正した。


「さて?」


 促された彼らは、治長の想像通りの話を続けた。


「徳川方と和議の話が出ているとか」

「左様でござる」


 治長は平静を装って言った。突っぱねる積もりであったが、3人も引き下がらなかった。


「何故でござる?」

「何故とは?」

「徳川方と伍している今、和議を結ぶなど以ての外! ここで弱味など見せて如何致す!!」

「徹底抗戦を唱えるも良いが、豊臣家が疲弊しては元もこうもない。多少は妥協しても、豊臣家こそが大事。秀頼様さえ無事なれば、徳川を倒す日も来よう」

「温い!! 徳川は豊臣家を滅ぼす心積もり。必ずや、また戦になり申す!」


 治長の言い分に激高した信繁らが詰め寄った。しかし、治長は涼しい顔をして宣った。


其許そこもとらは、いくさまつりごとの延長にあるものと心得ておられるか?」

「何を今さら……」

「……であれば、ここはより良い条件で徳川殿と和議を結び、豊臣家の損耗を防ぐべきではあるまいか?」

「しかしながら、徳川殿が〝豊臣家を許す〟とお考えなら、それは甘い考えでありましょう」


 信繁が、治長の意見を否定し、徳川は豊臣家を滅ぼすことが目的である――と再度、申し述べた。余りの自信あり気な物言いに、治長が問い掛けた。


「何と?」

「家康殿は秀頼様を恐れておるのですぞ」


 ここぞ、と信繁が詰め寄る。

 豊臣家の家老であり、禄の保証されている治長と、豊臣家に招聘されたとはいえ、未だ禄高は口約束、このまま和議となれば、お役御免と追い出される可能性もある浪人の身の信繁ら3人とでは切実さが違う。その立場の違いから来る勢いのままに、治長が気圧されて問い直した。


「秀頼様を恐れる?」

「左様。秀頼様の大器を、その人望を恐れているのでござる」

「如何にも、秀頼様は大器。それ故、なおのこと、徳川と和議を結び、危難を避けるべし」

「それでは、秀頼様が大きくなれぬではありませぬか?」

「和議は淀殿のご意向ぞ」

「淀殿の?」

「左様」


 淀殿の名が出たので、信繁以下、3人は小難しい顔をした。いつも、あの御母堂が口を挟むのが問題である――と皆が感じていた。その思いは治長からも滲み出していたが、そこは家老。信繁らには悟らせなかった。

 3人は渋々ながら、引き下がった。


 和議の交渉には主に、徳川方は本多正純と阿茶局あちゃのつぼね(家康の側室)が、豊臣方は淀殿の妹で常高院(故・京極高次の正室)との間で行われ、和議の内容が詰められていった。

 長い協議の結果、12月19日に和議が結ばれ、秀頼の身の安全と本領の安堵と引き換えに、大坂城の二の丸、三の丸の破却、そして、惣構えも埋めることが決まった。



 

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