第17話 戦いの後



 家康は敗戦後に逃亡した武将たちの捕縛を指示。主謀者の1人、小西行長こにしゆきながが捕まったのは19日。

 翌々日の21日。石田三成は自領の村の洞穴に潜んでいたところを、三成を捜索していた旧知の田中吉政の追捕隊に見つかった。その際、吉政に説得され、


「そなたにならば……」


と捕縛された。どうせ逃げ切れないのなら、懇意であった田中吉政の手柄としてやろうと思ったのかも知れない。

 23日には、毛利方の安国寺恵瓊も捕まった。

 三成ら3人は大津城に護送され、大手門脇に据え置かれた。勝った東軍諸将――特に三成を嫌った福島正則や細川忠興ら――は、晒された三成を蔑視した。憐れんだ黒田長政だけが、陣羽織を着せてやった――という逸話が残されているが、真相は定かではない。

 やがて、大津城に到着した家康は三成と対面した。縄で縛られ、粗末なむしろに座していた三成の縄を解かせ、床几を与えて座らせた。縄を解くことを訝しむ近習に、家康は答えた。


「構わん。縄を解かれたとて、今更、何をなすでもない」

「ははっ」


 近習は納得したのか、家康の後ろに控えた。家康は三成を見詰め、声を掛けた。


「治部少輔殿。ご無沙汰であるな」

「内府殿には、お変わりなく。本来であれば、内府殿こそ、このようにしておられたでありましょうに、残念至極でございまする」


 囚われの身にあるまじき物言いに、福島正則などは面に怒りの表情を浮かべた。もっとも、家康は委細構わず、


「勝敗は兵家のつねもありなん」


と答え、笑った。勝った者の余裕かも知れない。


「しかしながら、其許そこもとは今、囚われの身。そのようなことを申しても、詮無いことじゃ」

「左様。某の力量及ばず、無念でございまする」

「さて……。それでは、何か言っておきたいことは?」

「それは弾劾状に連ねてある通り。今更、述べることはあり申さず。ただ……」

「ただ?」

「兵卒たちは我らの言葉を信じ、褒賞につられ戦ったのみ。かの者たちには、是非ともご慈悲のあらんことを」

「相分かった。悪いようには致さん」

「かたじけのうございまする」

「では、治部少輔殿」

「はっ」

「もう、会うこともあるまい」

「内府殿、さらばでござる」

「さらばでござる」


 そう言って、家康は床几から立ち上がり、去って行った。大坂城に向かうためである。他の諸将も同様に去って行った。



 三成ら3人は京都に送られ、洛中を引き回された上、処刑されることとなった。三成の護送には旧知の田中吉政が当たった。道中で休憩した際、吉政は気を利かせて、三成に尋ねた。


「何か、ご所望の物はござらんか?」

「おお、かたじけない。されば……白湯を一杯、頂きたい」

「白湯でござるか?」

「左様。是非」

「白湯でござるか……」


 吉政は問うように家臣を見た。家臣の者が首を振り、


「この辺りには何もございません。民家すらも……このように、あばら家のみにて……」


と、申し訳なさそうに答えた。


「うむ……」


吉政も暫し唸った後、思い出したように、


「干し柿ならござるが……」


と三成に告げた。しかし、三成はそれを聞くや否や、


「柿はご免被る。痰の毒じゃ」


間、髪を入れずにそう言った。その勢いに吉政が絶句していると、三成は親切で言ってくれた吉政を気遣い、頭を垂れて謝った。


「いや、折角のご厚意を申し訳ない。されど、身体に悪い物を喰らうわけにはいかぬ」

「いや、お気になさらず」


 吉政はそう言ったものの、家臣の幾ばくかは三成を嘲笑った。これから処刑されるというのに、身体の心配などしても仕方なかろう――と。

 笑い声を聞いた三成も笑い、


「これはしたり。そうであった。某はこれから処刑される身であった。これはしたり」


と、何度も笑った。


 10月1日。石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の3人は六条河原で斬首。それらの首は三条大橋に晒された。



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