第3話 Apfelstrudel [ダイチェラントのアップルパイ]

 今日は外を歩くから、選んだのは少し丈の短い黒のドレス……とはいっても、バッチリ膝まで隠れているくらいの丈感ではあるが。

 襟元は白、そこにカメオをあしらった大きな黒いジャボ。片方が少したくし上げられたデザインのドレスの裾からは真っ白なレース。足元は黒のタイツと、お気に入りのロッキンホースバレリーナ。



『頼むからっ! そんな靴で地雷原を歩かないでくれ!』


 ——必死に叫んでいたスキンヘッドの事は一旦忘れよう。


 陸軍大尉の同居人、という事で得ていた外出許可書はこっそり引き出しから取ってきてある。家具やカーテンを変えても褒めるどころか一言だって口にしない、あの朴念仁は気づいてないに違いない。


「ねえ……、なんでついてきてるの?」


 振り向いて日傘を少し上げれば、相変わらず林檎の入った大きな紙袋を抱えたスロがそこにいる。最初自分が引っ張ってきておいて、「ついてきてる」とはとんだ言い草だ。


「りんご、おすそわけ」

「……そうなの?」

「ん、」


 コクコクと頷くスロに「雪白ちゃん、案外顔広いよね」とオディールは返す。


「ぼくは、スロ」


 ちょっと口をへの字にして返すその姿が可愛くて、おもわず笑ってしまう。


「世間は白雪姫だなんていうけれど、語呂がいいだけで本来ならSchneewittchen雪白姫なのよね、アレ」

「ぼく、ひめじゃない」

「知ってる知ってる。それくらい、雪のように綺麗なんだってば」

「……」


 スロがほっぺをぷうと膨らませたのを見て、本当に羨ましいのになぁとオディールは内心苦笑する。お化粧しなくても、カラーコンタクトを入れなくても、あの肌であの瞳。十分に可愛いのだから、そりゃあ羨ましいに越した事はない。


「……そういえば、大佐は? 心配してるんじゃないの?」

「だいじょうぶ、ぼく今だいじな任務ちゅう」

「ふぅーん……」


 林檎届けるだけで大事な任務だなんて、いくら雪白ちゃんが可愛いからって大佐も相当な親バカなのね。内心そう思うが今度は口にしない。

 彼女は知らないのだ、スロがいつも背負っている小銃は別に護身用でもなんでもない事を。彼が護衛のつもりでそこにいる事を。

 狙撃手が前線で目立つ事なんてそうない、いつも見ているのは大佐の横にちょこんと控えている姿だけ。

 可愛さ余って心配でたまらないから、戦場でも隣に置いているんだろう、そう思っている。


(あたしは戦場に行けば怒鳴られたのになぁ)


——彼女はとんでもない勘違いをしていた。




◆◇◆◇◆◇◆◇




「あら、いらっしゃい」

「お姐様っ! 会いたかったですー」


 町外れにある小さな家。ここに住んでいる薬剤師の女性をオディールはお姐様と呼ぶほどに憧れ慕っている。

 彼女の名前は、ローセ・シャルラッハート・シュヴァルツ。敵国家間での賞金首の一人にして、あまりにも綺麗なパイロットとして連邦内でも有名だった、とある人物の婚約者である。


 スオミにやってきた当初、美しい王子様の隣に並ぶのは私よ!と押しかけたら、こんなとんでもない美人と遭遇してしまい心が折れた。人間としても凄くできた女性で、二段階でぼきぼきにへし折れた。

 だけど女性としても美しくてかっこいい彼女を、結果婚約者当人よりも気に入ってしまい、たまに基地の外へ出してもらえた日にはこうして会いに来ている。


 飛行部隊の人は基本的に陸部隊と比べて線が細めでかっこいい。それがオディールの見立てだ。まさか、どうして、いつの間にかあんなダイ・ハードみたいな男の元にいるんだろう。人生とは本当にわからない。


「珍しいのね。今日は旦那様じゃなくてスロと?」

「こんにちは。りんご、おすそわけ」


 気まずく目をそらしてしまった隙に、スロがずいっと林檎を差し出す。


「おや? お使いかな? ありがとうね。……それにしちゃオディール、ちょっと浮かない顔してるんじゃない?」

「おねえさまぁああああ!!!」


 苦笑するローセに思いきり抱きついていた。


「はいはい、話は中で聞こうかな。座って落ち着こう……ちょうど林檎も持って来てくれたし」

「ねぇねぇ」


 オディールの背中をさすりながらそう言うと、スロが珍しく前のめりで話しかけてくるのに気づく。


「どうしたの? スロ?」

「アップルパイ、つくれる?」




◆◇◆◇◆◇◆◇




 薄力粉、卵、ぬるま湯、オリーブオイル、塩少々を手早く混ぜて捏ね、柔らかくなったら丸くまとめてオリーブオイルを薄く塗る。


「これでちょっと生地を寝かせるの」


 あまりの手際の良さに、オディールもスロも口をあんぐりと開けている。


「ダイチェのApfelstrudelアプフェルシュトゥルーデルよ。アップルパイ……と言えるのかはわからないけれど、同じくらいポピュラーなお菓子なの」


 さて……と今度はその間に林檎の皮を剥きながらローセは二人に視線を寄越す。


「まぁ痴話喧嘩はなんとやら、って言うけれど。流石にそれだけはっちゃけて出て来ちゃった手前、折れどころがわからないってところなんじゃない? そうだ、せっかくだから今日は二人ともうちに泊まっていったら? 」

「えっ! いいんですか、お姐様っ」

「もちろん」


 にっこり笑いながら、林檎を薄くスライスしていく。

 薬剤師としてもできる彼女だが、美人がキッチンで手際が良いと更にかっこよく見えた。


 鍋にバターを溶かし、パン粉を煎る。

 パン粉の色が変わって来たらシナモンシュガーをたっぶり入れ、混ぜ合わせる。次いで林檎、干しぶどう、レモン汁、レモンの皮少々を加えて混ぜ、最後にラム酒をちょっぴり。


「いい匂い……」

「ここからがちょっとアップルパイとは違うかな」


 白い布巾を広げ、粉をふり、先ほどの生地を伸ばしていく。

 ポイントは、薄く薄く、下に敷いた新聞紙が読めるくらいだそうだ。


 綺麗に伸ばされた生地の端に、先ほど作った林檎のフィリングをのせ、バターを塗りながら、破れないように気を配りながら生地を巻いていく。


「しっかりバターを塗っていくと、パイみたいに生地がサクサクになるのよ」


 巻き終わったら生地の端をぎゅっと絞って、バターを塗った鉄板に乗せる。

 そして更に上からバターをしっかり塗る。


「ほらほら、熱いからどいて」


 ほうと眺めるばかりになっていた二人の目の前を、笑いながら通り、温めていたオーブンへ。


「さぁて、焼き上がるまでにご飯の準備もしちゃいましょうか」

「あ、あたし手伝います」

「ぼく、味見、まかせて」


 誇らしそうに言うスロはとっくに腹ペコらしい。「素晴らしいお手伝いね」と言いながら、ローセとオディールはプッと噴き出していた。




◆◇◆◇◆◇◆◇




 スープの良い匂いが立ち込めた家の、ドアがガチャリと開く音がした。


「ただいま」

「おかえりなさい」


(うわぁぁああああ、いいなぁ……!!!)


 挨拶がわりの軽いキスさえ、綺麗な二人が交わすと飛んでもなく色っぽく見える。オディールは思わず熱くなった頰を両手で押さえた。


「お二人とも、いらっしゃい……ってまあ俺の家じゃないんだけど」

「ハートマン少尉、こんにちは」


 にこやかに入ってきた軍服の人物に、スロは立ち上がってぺこりとお辞儀をする。

 どうやらスロよりも階級は上のようだが、敬礼じゃない事にも、婚約者の家に入っている事にも、彼は別段怒る様子もない。


「はい、きっとあったら嬉しいだろうなと思って」


 にっこりと微笑むのは飛行部隊に所属するローセの婚約者、エリク・シュペーア・ハートマン。そう、綺麗なパイロットとして有名な、あの王子様だ。

 手に持っていた袋をスロに渡すと、その目が嬉しそうにキラキラと輝いた。


「スロ、それ頼んじゃっていい?」

「まかせて、ぼくとくい」


 なにやら袋をぎゅっと両手で挟んだまま、スロは嬉しそうにニコニコとソファに座る。


「あっ、エリク。今日二人泊まってくから」

「ああ、オッケーわかった」

「貴方ソファで寝てね」

「……言うと思った!」


 怒りもせずに笑うハートマンは「あちゃーっ。いや俺ね、この家で一番立場低いからさ」と、気を遣うそぶりを見せたオディールに先行して釘を刺す。


「ゆっくりしていきなよ。いっつも格納庫の横じゃ息がつまるでしょ」


 ああ、いいなぁ……。不覚ながら手放しでそう思ってしまった自分の心が少しだけずきりと痛んだ。




 温かい食卓を囲んだ後は、お待ちかねのデザートだ。

 焼きたてのApfelstrudelアプフェルシュトゥルーデル、焼きたてに溶かしバターを塗ると更に美味しいんだとか。


 均等に切り分けてお皿の上に取り分ける。

 はい、とローセに合わせてすぐにお皿やフォークを持ってくるあたり、ハートマンは本当にできる男だとオディールは愕然とする。


(えっ、これが普通なの? それともハートマンさんがすごいの?)


 抱えた林檎を取ってそのまま齧ったグスタフを思い出しては、一人また泣きそうになる。


「スロ、ありがとうね、それくれる?」

「ん、だいじょうぶ、とけてない」


 誇らしげにスロがそう言って、膝の上に乗せていた袋をハートマンに渡す。


「ごめんねぇスロ、冷凍庫は流石になくって」

「ん、ぼくとくい、気にしない」


 ローセの言葉にも首を振って答えるスロは益々嬉しそうだ。


「はい、皆どうぞ」


 切り分けたApfelstrudelアプフェルシュトゥルーデルに斜めにのせるように、お皿に盛られたのはバニラアイス。

 ちょっとした贅沢品、そんなのはわかってる。だけど一緒に食べる皆が嬉しいだろうからと、まっすぐ買ってきてくれたのはハートマン。


「あたし……羨ましい、やっぱりハートマンさんみたいな人が良かったなぁ」


 思わず、言葉が口をついて出てしまった。


 なんだか、どんどん惨めな気持ちになっていくようで嫌だ。

 二人はきょとんとした表情でオディールを見た後に、少し困ったような表情で顔を見合わせた。


「ねぇオディール、私達もね、最初は喧嘩ばかりだったのよ。この通り、アホみたいに外面はいいし、なんか遊び人に見えるし。しかもこの人、グスタフさんと違ってすぐ怪我するし。ほんとやんなっちゃうくらい」

「えっっ!? ちょっとここで俺落とすと立つ瀬がなくない?」


 言いながらもハートマンは本気で焦ったり怒ったりするふうでもない。


「ねぇオディールちゃん、君はさ、もっと我儘言っていいんだよ。女の子の特権なんだから」

「えっ?」

「グスタフ大尉はさ、嫌々言いながらも、君に家を破壊されてもさ。出て行けなんて言った事、一度もないんじゃない?」


 こくり、と静かに頷く。


「じゃあ、大丈夫だよ。言ってごらん、何がしたくて、なんで怒ったのかも。きっと仲直りできるよ。大尉はいつも「帰ってくる」って君に言うんでしょ?」

「貴女よっぽど愛されてるのよ。"すぐ帰る"とか"必ず帰る"だなんて言葉、前線で戦う軍人ならそう簡単に言えないわ。エリクだってつい最近初めて言ったんだから」

「あーっ、だからそこで俺と比較しないで! どう頑張ってもあんな屈強な人間には俺追いつけないからっ」


 あっ……。そう気づいてしまえば、後はぽろぽろと涙が溢れた。


「いや、だ……。イェンスが帰ってこないなんて、いや」


 林檎くらい、そのまま齧ってもいい。帰ってきたらすぐ寝ちゃってもいい。オシャレに頓着がなくて、「なんだそれ」って褒めてくれなくてもいい。

 ……でも、どれだけだらしなくても気が利かなくてもいいから。帰ってこないのは絶対嫌だ。


「ほら、貴女が一番帰ってきてほしい人、誰かわかったんじゃない」


 涙が止まらず、ぐずり始めたオディールをローセはそっと抱きしめる。


「これ内緒ね。今グスタフ大尉、マジで必死に君の居場所聞いて回ってるから」


 そう頭を撫でてくれ、ウィンクをするハートマンは悔しいがやっぱりかっこいい。

 でも、そうじゃないんだなと改めて気づく。気づくのがまた小憎たらしいけども。


「……あたし、ちゃんと謝る。ちゃんと帰るわ」

「うん。でももう今日は泊まっていきなさい、ちょっと休憩。たまには必要」

「……はい」


 笑顔で頷いたオディールは、きっと明日は基地に戻ってくれるだろう。皆の空気も徐々に和らいでいく。

 すると、このタイミングで「ねえ、みんな」とそれまで無言だったスロが口を開いた。全員の視線がスロに集まる——。


「アイス、とけちゃうよ?」


 彼は既に、むぐむぐと自分のお皿に乗ったApfelstrudelアプフェルシュトゥルーデルを平らげていたところだった。

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