A Mad Tea-Party KHM 53 -雪白アップルパイ週間-

すきま讚魚

第1話 林檎をたべたのはだれ?

 狂ったお茶会。

 それは女の子の一生の憧れ。

 トチ狂った動物達に、いかれた帽子屋。

 それはそれは騒がしくも騒々しい、だけれど俗世のざわめきとはかけ離れた優雅な空間。

 長いテーブルには真っ白なクロス、とぷんとしたポットやヴィクトリアンシェイプのティーカップには薔薇と金の縁取り。

 極彩色のスイーツにたっぷりのクリーム、甘ったるい香り。

 爪の先まで綺麗に手入れをして。

 真っ黒なドレスに真っ白なフリル。

 そこで私は優雅にお茶を飲むの。この世のしがらみさえ全て忘れて。

 

『Eat me.』


 そう書かれていたのは真っ赤な林檎。

 ヴェンタブラックに彩られた唇で弧を描く。


 ああ、どうしようかしら。

 アナタは何になりたいの?


 あとは迎えに来たドロッセルマイヤーが。

 王子様だったのなら何の不満もなくってよ。




◆◇◆◇◆◇◆◇




 北欧。今はスカンディナヴィア諸島連合と呼ばれる三ヶ国からなる連合の東部に位置する国が、このスオミ共和国だ。

 人類はもう長い事二分化され、今も果てのない争いの真っ只中。


 そんな情勢を知ってか知らずか。

 いや、まさに今その争いの火種をひとつ制圧してきたばかりなのだが。


 ここコッラの川沿いを走る武装トラックの荷台には何故か山積みの林檎。そしてその中に埋もれるようにして寝そべる小さな人影がひとつ——。



(りんご、いっぱいもらっちゃった……!!)


 どことなくその林檎の海の中で嬉しそうなのは、この連合軍第13師団第2連隊の陸第4中隊に所属する狙撃手、スロ・ハユハ。

 小さな身体と真っ白な髪と肌、銀色の瞳で女と間違われる事も多々あるが、れっきとした男の兵士である。


 特定の部隊に所属しない彼は、この日も直属の上官であるアルベルト・ルネ・ユカライネン大佐に付き従い"ピクニック"に出かけていた。

 ……ちなみに彼の言う"ピクニック"とは、所謂国境付近でのドンパチである。





 国境防衛線司令本部から45km離れたラドガの湖を更に超えたその先にあるコッラ川。

 その国境を跨いだ位置にわざとらしく置いたロッキングチェアで盛大に寛ぎ、傍受した連邦のラジオを流し、新聞を読みながらコーヒーを飲む。


 それがこの男、アルベルト・ルネ・ユカライネン。


 銃弾が飛び交う中、どう見てもそんなの正気の沙汰じゃない。とんだ命知らずだと誰もが思うだろう。しかし彼はそれを平気で、かつ正気でやってのけるのだ。


 銃口が彼を狙えば、次の瞬間には銃声がひとつ。

 当の大佐本人は銃声はそよ風とばかりに素知らぬ顔だ。


「ふむ、今日は晴れ時々カラシニコフといったところか」


 彼を狙うように銃を構えた兵士達が、たちどころに撃たれ消えていく。

 連邦の言葉はよく分からない、しかしながらラジオは自分の居場所を敵さんに教えてやるには一番良い方法だ。

 耳障りの良い銃声がテンポよく響き渡る。

 さて……とコーヒーを口にしようとしたところ、目の前にドォォオン! と土煙が上がった。


「そろそろお出ましか」


 雪の下から取り出したそれは"デグチャレフPTRD1941"、大佐お気に入りの長物・・の一つだ。


「パピ、いくの?」


 どこからともなく、冷気と雪が舞う。

 その中から現れたのは小さな雪の妖精——。

 ふんわりとした白いケープコート、手に持つのは小銃一丁、コートの中には短機関銃サブマシンガン


「おう、お前も来るか?」


 肩に担ぎ上げられた大口径の対戦車ライフルは、恐らくその本来の使い方として使用されるのは三発程度だろう。

 自信に満ちたその笑顔に、雪の妖精と見まごうような兵、スロは静かに頷く。



 本日は晴天なり、本日は晴天なり。

 晴れ時々カラシニコフ、時々モシンナガン。

 時折砲弾の雨が降り注ぎます、お出かけの際は対戦車砲を忘れずに。

 本日は非常に良い"戦車狩り"日和です——。




◆◇◆◇◆◇◆◇




 秋真っ只中、スオミでは冬に備えたベリー摘みの季節でもある。

 それと同時に、この時期は林檎の収穫も盛んだ。


 ——たまたまピクニックでエンジョイした近くが林檎農家だった。


 たった二人で・・・・・・敵の歩兵中隊、戦車中隊を壊滅させた事に大変驚きつつも、農園やこの地を護ってくれたお礼に……と乗ってきたトラックいっぱいの林檎をいただいたのだ。


 国境の防衛線で頑張っている兵達にも、林檎をおすそ分けしよう。

 表情にはあまり出ないものの、スロはとってもご機嫌だった。


(パピは、いつも皆のことを考えてくれる)


 前線にいる兵にとって、栄養不足、特に夏も短く日照時間も減ってくるスオミの秋から冬にかけて、ビタミン不足は結構深刻な問題でもある。


(いい匂い……美味しそう。でも基地に帰るまで、我慢がまん)


 突如現れた林檎山積みの武装トラックに兵達は度肝を抜いたようだが、降りてきたのがユカライネンと見るや否や一斉に拍手が湧き、皆の顔に笑みが溢れた。



 基地へと帰還した二人は、別任務で出張っていた陸第4中隊の面々にも林檎を配って回ることにした。


「スロ、グスタフのところへ行ってくれるか? 奴に運ばせりゃすぐ終わるはずだ。奴の分はお嬢に渡しておけ」

「わかった」

「あと、ほれ。トモダチにも配ってこい」

「……いいの?」

「それはお前さんが稼いできたもんだ」


 くしゃりと頭を撫でられ、大きな紙袋いっぱいの林檎を渡される。

 少し重さでよろけながらも、スロは笑顔でしっかりと頷いた。


「パピ、行ってきます」


 戦災孤児のスロにとって、大佐は父親代わりでもある。

 両手でしっかりと紙袋を抱きかかえ、スロはトテトテと基地の中を歩いていった。


 グスタフ・イェンス・ニルソン大尉。

 ユカライネン大佐直属の特殊部隊、陸第4中隊の隊長である。

 元々は隣国の傭兵部隊を仕切っていたこともあり、その豪腕っぷりは師団内だけでなく敵国家にも知れ渡るほどの豪傑だ。

 スロが「岩山みたいな人」と思う程度には、無骨でどっしりとしたTHE・軍人。大地を拳で割る……という冗談みたいな強さのせいで、寝相で部屋を破壊したり、寝返りを打っただけで部下を怪我させるなんて事が多発したため、戦車用の格納庫横に特別に建てられた小屋住まい。

 最近、その小屋にもう一人、命知らずの住民が増えた。


「あら、雪白ちゃん久しぶり♪」

「ぼくは、スロ」


 林檎を落とさないように、落とさないようにと一生懸命手を伸ばしてノックをする。ドアが開くと、シャボン玉のようなふわふわした声が降ってきた。


「りんご、おすそわけ。みっつ取って」


 元々スオミの辺境の村で猟師として育ったスロは、連合国の共通語がまだあまり上手く話せずたどたどしい。それすらも妖精のようで可愛らしいのだが、本人的にはこの声の主しか呼ばない『雪白ちゃん』という呼び方があまり好きではないようだ。


「まぁありがとう。とっても嬉しい」

「たいちょう、いる?」

「ちょっと待ってね」


 受け取った林檎を胸に抱え、少女——オディール・ジュラヴリョフは小屋の奥へと小走りで駆けていく。

 その真っ直ぐで腰まであるストレートヘアは、頭のてっぺんで二手に分かれて黒と紫色に染められている。ふわりと広がるドレスも幾層にも重なるチュールもまた同じように真っ黒だ。首元にはリボンをあしらったチョーカーをつけ、真っ白い肌と目元が派手な化粧、そして口紅はまたもや黒。

 魔女だとかヴァンパイアだと言われた方がしっくりくる、そんな身なりをしている。


 国境の向こうからやってきた、連邦の人間。

 機械の身体を拒み、「綺麗なままで死にたいの」とやってきた不思議な子。

 その薔薇の香りが戻ってくると共に、小屋の主人が姿を現した。


「おお、スロか。わざわざすまんな」

「たいちょう、パピ呼んでる。りんご配りてつだって」

「なるほどな。了解、すぐ行こう」


 もっと不思議なのは、王子様との出逢いを夢見ていたはずの彼女が結局選んだのが、この一回り以上歳の離れた強面のスキンヘッド戦車野郎だったという事。

 これには流石に隊の皆もビビり散らかしたらしい。


「えっ、行っちゃうの? さっき帰ってきたばかりじゃない」


 拗ねたようなオディールの表情を見る限り、まぁなんだかんだよろしくやっているようだ。

 最近、隊長が任務が終わるとさっさと帰るようになってしまった、と副官のトーマスが嘆いていたのをスロはふと思い出した。


「すぐ帰ってくるから」

「ふぅん、わかった。そうだ、雪白ちゃん一緒に待ってる? せっかくいただいたからアップルパイでも焼こうかなって」

「アップルパイ……!!!」


 表情にはあまり出ないものの、その大きな目がまん丸に見開かれたのをみてオディールは笑う。


「本当可愛いわ、雪白ちゃん。誰かさんとは大違い」

「……林檎なんて、食えりゃ一緒だろ」

「どぉしたの? そんな顔して。あっ、せっかくだからバニラアイスか生クリーム買ってきてよ」

「なんでわざわざ街に出るような事せにゃならん……」

「だって食べたいんだもん」


 はぁーっ、とグスタフは盛大なため息をついた。

 おや? とスロは二人を交互に見つめる。


(なんだか雲行きがあやしい……)


「いらんだろ、そんな贅沢品。ほら、"一日に一個の林檎は医者いらず"って言うだろ」

「あっ」


 仏頂面のまま、グスタフがひょいと林檎を一つ掴むとそのままがぶりと齧りついた。


「ほら、このままで十分うまいぞ、そんなまどろっこしい事やめとけ」

「……」


 オディールのその深いワインレッドに塗られた爪がぎゅっと握られたのが見えて、スロは数歩下がった。


「意味わかんない! これだからおじさんは嫌なの!」


 軍隊式腹式呼吸が使えるようになったのだろうか。

 浴びせられた罵声の意味がわからず、グスタフは一瞬そんな事を考えていた。

 謝りもしないその表情に、オディールの神経は完全に逆撫でされる。


「ばかっ! 大っ嫌い!」

「あっ、おい! イッタ!!」


 どこから取り出したんだというような、棺型のバッグでその頭を殴りつけると、更に玄関先にあったパンプスを投げつけてオディールはスロの手を取って歩き出した。


「いこっ! 雪白ちゃん!」

「え……でもたいちょ」

「知らない! あんなハゲ!」


 おろおろと振り向くと、殴られたのを全く意にも介してないかのようなグスタフが再び口を開いた。


「おーい! どうせ晩飯には帰ってくるんだろ、荷物になるからバッグは置い」

「誰が帰るもんですか」


 鋭い眼光で振り向き、日傘を向ける。

 それはいざという時に身を守れるようにと、グスタフが与えた仕込み銃——。


 (あーあ、)


 時刻は1800ヒトハチマルマル

 林檎のように朱に染まり始めた空を仰ぎ見れば、背後からドォーン!という音が聞こえた。

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