第2話 アルベール・ブランという人。

 アルベール・ブラン。ベルクール公爵家の嫡男であり、ベルクール騎士団の団長。戦争の英雄。人々は彼を、敬意をもって英雄閣下と呼ぶ。

 銀色の長い髪に、王家の血筋であることを示す、深い藍色の瞳。その人並外れた美貌に、剣を手にすれば右に出る者はいないと言わしめるほどの腕前。夜会に出れば、彼に声をかけてもらおうという令嬢たちが列を生す。そんな男である。




 そんな人が、なぜ。




 それ以外に、頭の中をめぐる言葉などなかった。おかげで昨夜も、集まっていた紳士淑女の皆々様方が、普段の淑やかな様子をかなぐり捨てて、カミーユたちを質問攻めにしてきて。やっとのことで夜会から抜け出して、屋敷に逃げ帰って来たのだから。




「……カミーユ、そんなにブラン卿と親しかったのか? 婚約を申し込まれるくらいに」




 カルリエ家の執務室。執務机について、いつの間に、というように口を開いた父、バスチアン・カルリエに、向かい合うようにして机の前に立つカミーユは深く息を吐いて見せる。

 「そんなわけないでしょう」と、心の底から呟きながら。




「夜会に顔を出した時に、時々挨拶を交わす程度です。お父様が一番よく知っているでしょう?」




 溜息混じりに言えば、バスチアンは「確かにな……」と頷く。

 これまで夜会に出る時は、婚約者としていつもジョエルが傍にいた。しかしその背後には、用心のためと言って、常にバスチアンが控えてくれていたのだ。カミーユが抱える、とある事情のために。




「そもそも、私が男の方と親しくなんてなれるわけがないわ……。いくら顔が良くても一緒。だから、本当に驚いたのよ。昨日は」




 言いながら、カミーユは昨夜の出来事を頭に思い浮かべた。


 クラルティ伯爵家で開かれた夜会で起きた婚約解消に纏わる出来事は、もともとジョエルのクラルティ伯爵家とカミーユの家、エルヴィユ子爵家の間で、再三話し合いが持たれた後の出来事であった。家同士の繋がりを目的とした婚約であったために、本来ならばカミーユ一人の事情で解消することなど不可能だったのだが、有難いことにジョエルと、カミーユの妹であるエレーヌが互いに想い合っていることが分かったのである。


 カミーユもまた、ジョエルのことを生涯を共にする相手として好ましく思っていたけれど、どうしても彼を受け入れることは出来ないだろうと分かっていた。


 男の人が、怖いのである。


 三年前、婚約が決まった後に起きた、とある出来事。それにより、カミーユは家族やごく一部の男性以外に触れることが出来なくなってしまったのだ。ジョエルもまた、例外ではなかった。


 伯爵家の次男であるジョエルには、息子のいないエルヴィユ子爵家に入ってもらうことになっていた。そしてカミーユと結ばれた後は、跡継ぎが必要になる。カミーユとしても、いずれは触れることも出来るだろうと思っていた。


 けれど、婚約を正式に発表した二年前から今に至るまで、エスコートとして手に触れる程度がせいぜいであり、抱きしめられでもしようものなら、恐怖で身体が震え出してしまう。そのような状態で結婚までするのは不可能だと、そう両家共に判断したのだった。


 そんな話し合いが始まったのが、今から一年ほど前。その時に、エレーヌをジョエルの婚約者にと薦めたのは、他ならぬカミーユである。彼ならば、男性の存在に恐怖さえ覚える自分が想いを寄せる事が出来たジョエルならば、大事な妹を任せることが出来ると、そう思ったから。


 もちろん、エレーヌがジョエルを気に入らなければ白紙にしても仕方がないと思っていたけれど。思ったよりも二人は息があったようで、今ではとても仲良さげに過ごしていた。


 つまり何が言いたいかというと、今回の婚約の解消は、全てカミーユが誰かと結婚することが出来ないだろうということから決定されたことだということである。カミーユ自身も、下手に相手に気を遣う結果になるより、独り身のまま別荘にでも居を移して、エルヴィユ子爵家のために家の仕事をこなしながら過ごそうと考えていたのだ。


 それなのに、である。




「ブラン卿は本気なのかどうか……。公爵家の嫡男で、英雄として国王陛下からの信頼も厚い方だ。もし彼が本気なら、うちのような子爵家に決定権などない。その上、彼が陛下に望んだ褒美を持ち出されれば、確実に逃げようもないだろう」




 溜息交じりに言うバスチアンの言葉に、カミーユもまた息を吐きだしつつ、頷いた。


 今から二年前の事、この国、ギャロワ王国の国王が、病の為に急死するという出来事があった。元々がそれほど丈夫ではない方だったが、あまりにも急だったために、当時険悪な関係であった隣国の陰謀ではないかとの噂が持ち上がった。

 後に調べたところ、そのようなことはなかったわけだが、その時は国内の中枢も慌てふためき、正常な判断がつかないような状態だった。


 隣国はまとまりを失ったギャロワ王国を攻め入るのにまたとない機会だと考えたらしく、ものの数日足らずで攻め込んできた。

 当時の王太子であった現国王も、まだ即位の儀を終えておらず、指示する者を失ったギャロワ王国は、まさに絶対絶命ともいえる状況であった。


 そんな時、国内でも王国騎士団と並び立つと称賛されるベルクール騎士団を率いて、戦争の先頭に立ったのが、ベルクール公爵家の嫡男である、アルベール・ブランだったのである。


 国内で右に出る者はいないと言われる騎士であり、次期公爵が前線で剣を振るう姿を見て、騎士たちは士気を上げ、半年にも及ぶ攻防の末、このギャロワ王国が勝利を掴んだのだった。

 だからこそ、彼は英雄と言われるのである。


 そうして国を護った英雄は、国王に伯爵の地位と、領地を与えられた。それと、もう一つ。彼が望む褒美を取らせようと、国王がアルベールに告げたのである。

 真面目で堅物な騎士である彼が何を望むのか、国中の人々が注目していたと言っても良いだろう。彼が出した答えは、少々変わったものであったが。




「自らの望む者のみを、自らの伴侶とする権利……。貴族の中でも、王位の継承権を持つベルクール公爵家には、有り得ない話だ」




 ぼそりと、バスチアンが呟いた。

 通常、貴族である限り、己の婚姻は家門同士の婚姻と同義。家門に利益を与える者と結婚することが定められている。上位貴族ともなれば、そこに例外など認められない。


 加えて、ベルクール公爵家のような、王位の継承権を持つ血筋ともなれば、ことは家門だけでなく、このギャロワ王国全体の話になってくる。本来ならば己が望んだ相手と、なんて、夢の又夢の話だった。


 しかし、アルベールはそれを、戦争に勝利をもたらした者に対する褒美として求めたのである。考えられないことであった。




「褒美として陛下が認めた割には、あまりにも彼が相手を選ばないものだから、独身を貫くための方便だったのかと言われていたが……、まさか」




 言ってじっとこちらを見てくる父の視線に、カミーユは数度瞬きをして、軽く首を振る。おそらくは、以前からアルベールは自分との婚姻を望んでいたのではないかと、そう言いたいのだろうけれど。

 夜会の際に数度顔を合わせた程度の相手と、国王からの褒美を使ってまで結婚したいなどと思うはずもないだろうに。


 それならばなぜ、彼の女性関係の話など一つもなかったのに、今になって急に、と言われたら、分からないとしか言えないけれど。

 大方、この度の事情を知らぬまま、婚約を解消されたカミーユが可哀そうだとでも思ったのではないだろうか。それ以外に考えられなかった。




「もしかしたら今頃、求婚したことを後悔していらっしゃるかもしれません。いいえ、きっとしていらっしゃるでしょう。気にせずとも大丈夫だと思います」




「……まあ、普通に考えればそうだろうな」




 英雄と言われる王位継承権を持つ公爵家の嫡男と、腕の良い騎士を輩出することでは有名であるが、あくまでも子爵家の令嬢。そもそもが、家格から釣り合わないのである。

 だから放っておけば大丈夫だろう。これ以上、この話が発展することはない。

 カミーユはそうバスチアンと頷き合い、執務室を後にした。


 エルヴィユ子爵家に、ベルクール公爵家から正式な求婚の申し出が届けられたのは、その日の昼過ぎのことだった。

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