第30話 僕の書店に関する一家言

「思うに、古書店と一般書店では出会いという言葉の持つ意味が違う気がするんだな。一般書店だと、返品制度があるからさ。売れない本は返されるし、売れ筋は棚に並ぶ。それはそれで人々の意識とか、時代を感じ取れるし、良いことだとは思うのだけれど。でも、こういう古書店においてはそうじゃないんだ。ゆらぎがあるって言うのかな。誰もが読みたい本がどこにも無いのに、誰も見向きもしない一冊が隅っこにあったりする」

「なるほど。思えばインターネットの検索エンジンにも同じことが言える気がします。Amazonとかもそうですけど、私がこれまで探したり購入したものと同じジャンルとか、同じ思考を持った別の人が買ったものを提案してくれたりする。しかし、そこにはランダムな出会いは存在しない、と。そういうことですね?」

「そういうことだね」


 あの時の会話の気まずさを打ち消すように、僕は饒舌に語った。書店での本との出会いについての持論を展開していく。沙也加はそれに、相槌を打った。


「……しかし、ですよ。こういう時は欲しい本をサクッと見つけて届けてくれるインターネット書店とか電子書籍の方がうれしい気がしますねぇ」


 古書店の外に陳列されている廉価コーナーを中腰で物色しながら軽口を語り合う。今のところ書店を三軒くらい眺めているが、見つかる気配は無かった。


「まぁね。これだけ探しても、結局インターネットで探しちゃうことも多いしね。……しかし、君、電子書籍使ったりするの?」

「ええ。興味の無い本を読むのにサブスクは便利ですからね。絶対に金を落としたくない相手の書籍でも読めちゃいますし」

「意外だ。君だと電子書籍批判を語ってくれるものかと」

「うーん。セキくんは私のこと、なんだと思っているのでしょう」

「偏屈な女」

「ではそんな偏屈な女に付き合えるセキくんは天邪鬼というわけです。類は友を呼ぶと言いますからね。あるいはスタンド使いは惹かれ合う、とも」

「言えてるな」


 特に、否定するつもりは無かった。僕も大概、偏屈なところや面倒くさいところがある。それが人間だろうから。それを衒うこと無く指摘し合えるのは、どこか心地が良かった。



 結局、いつものパターンと相成った。

 古書店を何軒も回り、色々と書籍を漁っても、目当ての本は見つからない。それどころか関係の無い本が手元にあるケースが多い。この日も、探していた本とは似ても似つかない本が三冊入った紙袋が手元にある。

 1990年代後半に様々な宗教団体を渡り歩いた筆者のコラム集……という趣の本が特に気になっている。目次や奥付、帯の文章を見る限り、地下鉄サリン事件が起こる前にオウム真理教に体験入信してもいるらしい。テロ集団としての彼らについての記事や研究しか見たことの無い僕にとって、単なる宗教団体としての彼らをどう見たのかは興味深い。良い買い物をしたとは思うのだが、しかしやはり課題とは無関係なのである。


 最終目的地は三省堂地下のビアレストランだった。なのでそこに行く前に、一端三省堂も見て回ることにした。


「グランデほどではありませんが、ここのオカルトコーナーも悪くはありません。より売れ筋とか流行を見ることも出来ますしね」

「確かにグランデは趣味に走った配本してるしね。あれはあれで悪くない、いやむしろいいのだけれど、まぁたまには一般的な感性を涵養かんようするのも悪くないか」

「おやおや、セキくんたら。一般的な感性を有する大学生は日常会話で涵養かんようとか使いませんよ」


 などと、どうでも良いことを言いながら精神世界のコーナーにまず足を向ける。

 雑誌とか一般文芸とかコミックを素通りして精神世界にふたりして向かっている時点で、一般的とか流行というワードとはほど遠い。1990年代までならともかく、現代日本で真っ先にここに来るのは色々と極まっている人物か変わり者だろう。


 本の並びはいつもとそう変わりが無い。

 占星術や魔道書といった伝統的な西洋オカルトネタ、UMA、超古代文明、生体電気といったいつもの本が並んでいる。


「おや、『霊術家の黄金時代』ですね。井村宏次氏のコラム集ですよ。明治大正昭和の霊能力者……いわゆる霊術家と呼ばれる人々についての研究とかコラムを良く載せている人なんですけど」

「ああ……福来友吉ふくらいともきちが連れてきた念写能力者とか?」

「福栄博士の名前は……皮肉にも、と言うべきかリングの元ネタとして知れ渡っています。御船千鶴子みふねちずこ氏はじめとする念写能力者たちで実験を繰り広げた超心理学者……と。しかし井村氏のコラムによると、こうした念写能力者の前にも色々な霊術家たちがいたようなのですね。あるものは霊媒として宗教を立ち上げ、あるものは瞑想法や呼吸法を援用した健康法を生み出しました。これには明治以後、国家神道以外の宗教が禁止されたことが原因といわれています。修験道しゅげんどうや密教などの民間信仰の修行法や呼吸法、瞑想法などが一般世間に流出し、民間療法として人々に伝わったという側面があるようなのですが」


 と、井村氏の研究について沙也加が紹介してくれる。

 しかし健康法か。円藤流はそういうことをしていないイメージがあるが、どうなのだろう。


円藤うちですか?そうですね。私の曾祖母は呼吸法と催眠術、架空接続を用いた退魔術を使っていたと聞きますが」

「それは」


 胡散臭いと言うべきか、属性を盛りすぎと言うべきか。


「昔の写真が残ってますよ。イケメンでした。今度見てみますか?」

「曾祖母なんだよな?」

「ええ。曾祖母です。女学校の王子様だったみたいです」


 やはり属性を盛りすぎである。

 円藤沙也加の曾祖母の属性についての真偽は置いておいて、他の書籍にも目を通していく。


「……UFO」


 つい、目がその言葉を捉えた。

 UFO。最近の僕にまとわりつく、忌まわしいワード。少し前までは無邪気に読むことができたワードだった。


「「UFOクロニクル』ですか。これも楽しいですよ。UFOに特化したオカルト検証本でして、人によっては現地まで取材に行って現地民の話を聞いたり、UFO史を時系列順に考察する記事を載せたり」


 内容は、これもまた僕好みでありそうだった。

 あるかどうかを一度脇に置いておく。置いた後、それを人々がどのように楽しんだり、あるいは向き合ったりしたのかを考察する。その営みは楽しい。


 だが、もしかしてそれは他人であるが故の楽しさ、なのだろうか。

 僕はふと、そう思った。


 知り合いの中に、オカルトに心を奪われた人間がいる。その事実が、無邪気に楽しむことを拒否させている。


 眞野ミコはあくまで当事者だった。彼女は当事者として楽しむことができる人間だった。しかし、僕は違う。あちら側への興味だけを持っていて、しかしあちら側に行ける人間ではないという事実があった。

 思えば、いつもこうだった。

 円藤沙也加と会ったときから今日までも、それは―――


「セキくん」


 出し抜けに、沙也加が僕の名前を呼ぶ。


「他に何か買うものはありますか?」


 一応、探していた課題図書を買うくらいである、と答えた。


「私も後は月刊ムーくらいのものです。じゃ、買ったら地下の放心亭まで行きましょうね」


 沙也加は僕の懊悩おうのうを察知したのか、それとも単に彼女の食欲が我慢の限界を迎え始めていたのか、ともかくそうして三省堂での書籍漁りはお開きとなった。

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