4 宝石箱の掟

 美登利が米を炊いた。

 炊事係の矜持というよりは、普段と同じ事をして理性を保とうとしているようだった。当番表で美登利の手伝いは毎食ふたりずつと決まっている。今朝は沙由李と伽怜で、どちらも無理だった。響瑚が魚を焼き、風子が漬物を刻んでいた。



「でも、大事にならなくてよかったわ」



 花が呟くと、万千が目を吊り上げ噛みついた。



「大事よ! 転落事故だわ! 打ち所が悪かったら死んでしまったかもしれないのに!」


「いやぁ、びっくりびっくり」



 伊鈴に悪気はない。ただ花が手をぴしりと叩いた。

 


「だけどお医者様がすぐにいらしてくださって、よかったわ」


「金糸雀倶楽部ってやっぱり特別なのね」



 花に玉枝が素直な気持ちを零す。

 花は花なりに、穏便に朝の事件をまとめようとしているようだ。



「食欲はあるの?」



 隣で黙りこくっている鷲子に訊いてみた。鷲子は頷いたものの、それが義務とでも考えているように見えたので、食事中も気を配る必要がありそうだ。


 荒々しい足音と共に、睦子が2階から駆け下りて来た。



「ちょっと聞いて。あの人、罰が当たったんだわ」



 睦子の手には宝石箱が恭しく掲げられ、やがてそれは花たちの席上テーブルにそっと下ろされた。私は背凭れに腕をかけて振り返る形になる。



「あの人、伽怜さん。寝ている私から鍵を盗んで部屋に入ってしまったのよ。そしてやよ様の宝石箱を開けたの。見て」



 睦子が憤慨した様子で蓋を開ける。

 箱の大きさより圧倒的に宝石が少ないのは、私たちがそれぞれひとつずつ、称号として与えられた宝石を身に着けているからだ。



「無くなっているの?」


「いいえ。あの人、御自分の《青玉サファイア》を返却なさったの」



 各々、宝石箱を覗き込む。

 鷲子だけは俯いている。



「辞めたいのならそう仰ればいいのに。鍵を盗んだり、大切なやよ様の宝石箱を勝手に開けるなんて、なんて恥知らずなのかしら。それで足を滑らせたのなら、いい気味よ」



 睦子は激高して、汗をかいている。



「まあまあ、災難だったんだからそのくらいにしな」



 炊事場から響瑚が顔を出した。



「伽怜は地元じゃお姫様みたいだから、いろいろと耐えられなかったんだよ」


「階段から落ちたら痛いわ。もう充分じゃなくて? 睦子さん」



 響瑚を追い越して、御盆に人数分の御茶碗を乗せて運ぶ美登利には貫禄があった。窘められて、睦子はくしゃっと泣き出した。花が睦子の腕を擦り慰める。



「睦子さんは、金糸雀倶楽部を愛していらっしゃいますものね」


「あの鍵も、宝石箱も、お姉様方から受け継いだとっても大切なものだわ……それを……これから、これからっていう時に……!」


「伽怜さん、ラジオ放送には間に合うかしら」



 万千が御茶碗を並べるのを手伝いながら呟いた。

 睦子がキッと睨みつける。それに気づかず伊鈴が溌溂と言い放った。



「間に合うでしょう! 気を取り直していきましょう!」


「莫迦を仰らないで! あの人はもう金糸雀じゃありません!」


「あの……」



 伊鈴はさて置き、伽怜には火消しが必要だ。

 声をかけた私も睦子に睨みつけられたが、怯えたのは私ではなく隣で俯いたままの鷲子だった。でも鷲子は〈歌姫カナリア〉だから、怯える必要はない。



「私です。入ったのも、宝石箱も私です」


「え……?」



 一気に視線が集まる。

 とりわけ睦子は非国民を見る目だった。



「夜中に喉が渇いて、水を飲もうと部屋を出たら、開いていたので入りました。興味があって」


「あの人が開けた後なのでしょ?」


「いえ、開いていて、いろいろと中を見て過ごし、部屋を出てから伽怜さんは起きてきました」


「私はきちんと鍵をかけたわ」


「宝石箱も開いていました。それで傍に宝石が落ちていたので入れました」


「あの部屋には勝手に入ってはいけないし、やよ様の宝石箱はこの鍵を持つ団長以外、絶対に開けてはいけないのよ」


「知りませんでした」


「言ったわ!」


「聞いてません」


「言ったわよ!」


「言われていません」


「昨日は忙しかったから、あなたが鍵をかけ忘れたのではなくて?」



 御茶碗を配り終えた美登利が御盆を抱いて言った。それで睦子の憤怒が私から其れた。実際、美登利は仲裁に入ったのだと思う。



「私は、鍵を、かけたわ」



 睦子が声と指を震わせて宝石箱を示し、泣き崩れた。



「それに、大切な掟だもの……絶対に説明したわ」


「睦子さん、とりあえず御飯を食べて落ち着いて頂戴。あなたは団長になったのよ。みんなの金糸雀倶楽部を、喧嘩で始めてしまっていいの?」


「うぅ……っ」



 5年のふたりは長く過ごした者同士。そこへ沙由李が手を添え、睦子を労わる。



「あら?」



 美登利が宝石箱に手を伸ばした。睦子は美登利には強く出られないようで、ただ悔しそうに涙を拭っている。



「これ……《金剛石ダイヤモンド》?」


「え?」



 美登利の指に《金剛石ダイヤモンド》が光る。

 沙由李が身を乗り出し、響瑚が駆けつけ宝石箱を覗き込み、睦子は蒼褪め席上テーブルに手をついて体を支えた。

 


「なぜ、あるの……?」

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