タイムリープして救おうとした恋人が、すでに乙女ゲームの悪役令嬢として人生を謳歌していた件

そばあきな

前編

 それは、突然の訃報だった。


「…………彼女が、死んだ?」


 その後の言葉は、もう耳に入らなかった。

 友達が心配してかけてくれた電話だったというのに、その場に崩れ落ちて俺は泣き続けたからだ。


 そうして俺は、大学三年から付き合っていた彼女が交通事故に遭って死んだことを知った。


「ねえ、この会社とかどうかな?」

 大学四年になる前、そう言って笑っていた彼女のことを思い出すと目頭が熱くなる。

 いつも笑顔を絶やさず、俺を癒してくれた彼女はもういないのだ。

「会社案内を見た感じ、いいなって思ったんだよね」

 そう言って記憶の中の彼女が笑いかける。

 ――あの頃の俺たち、というかたかだか二十年と少ししか生きていない同年代の就活生たちが、どの会社が良くて、どの会社が悪いかなんて瞬時で判断できるわけもない。

 彼女がその時目標にし、無事に内定を貰って入った会社は、いわゆるブラック企業と呼ばれる場所だった。

 俺が就職した会社が世間一般で言うホワイト企業かはどうかは知らない。でも、彼女が就職した会社と比べたら圧倒的にホワイト企業だったのだろう。

 彼女はパワハラに耐えながら毎日サービス残業を繰り返し、最後には正常な思考もできないまま事故に遭って死んでしまったのだ。


 お互い別の会社に就職し、社会人としての生活が落ち着いてきたら結婚も考えたいねと笑いあっていた。

 ただ、ここ数か月は彼女との日程が合わず、しばらく疎遠になってしまっていたのだ。

「ごめん、今週も休日出勤なの」と何度断られたか分からない。最後に彼女と顔を合わせたのはいつだったか分からないほど、俺たちはそれぞれの生活で精一杯だった。


 ――――そして、俺はもう二度と彼女に会うことは叶わないのだ。


 もし過去に戻れるなら、俺は彼女の死を命がけで止めるだろう。

「ねえ、この会社とかどうかな?」と笑いかけた彼女に対し、「いや、そこはやめた方がいい」と諭すし、その後の未来でも彼女を護ろうとするだろう。

 ただ、あの日の俺は違っていた。

「――――ううん、君が行きたい場所が一番いいと思うよ」

 彼女の意見を肯定したくてそう言った、あの日の自分が腹立たしい。


 そして、過去に戻れるなんてそんな奇跡じみたことが起きるわけもなく、日常はまた当たり前のようにやってきた。



 抜け殻のように数日間過ごして、俺は気付いた。

 結婚まで意識していた彼女のいない日々に、もう意味なんてない。



 彼女の訃報を聞いた一週間後、午前八時。

 珍しく一点の曇りもない、星の綺麗な夜だった。そんな空を窓越しに眺めてから、俺はホームセンターで買った頑丈そうなロープを、自分の身長よりも高い位置にある電灯にくくり、ロープの片側に作った輪に自分の首を入れた。


 今から彼女の元に行けるなら、悪くはない夜だ。

 そんなことを思いながら椅子を倒すと、すぐに目の前は真っ暗になった。



 ただ、そこで予定違いのことが起きた。


『――お前に力を与えてやろう』


 謎の声に起こされるようにして俺は目を覚ます。

 そこにはただ、自分の姿も見えないほどの漆黒の闇が広がっていた。

 自分がどこにいるのかも分からないまま、謎の声は構わず語り掛けてくる。


『まずは生かされたことに感謝したらどうだ? ……といってもまあ、何が起きたかよく分かっていないか。説明してやるからありがたく聞くがいい』

 どこか高圧的なその口調にムッとしかけるも、実際俺は何が起きたかよく分かっていない。大人しくその声に耳を傾けることにした。


 その声によると、俺はどうやら声の主に命を救われてこの場に呼ばれたとのことだった。

 さっきまで俺は、首を吊って死のうとしていたはずだった。というか椅子まで蹴ったところまで覚えているから、ロープが切れていない限りは確実に死んだはずだった。しかし今の俺は死なずにここにいる。


 それは、今俺に語り掛けている声の主が気まぐれで助けたかららしい。


 しかし、死のうと絶望していた人間を一度助けただけでは、その内また死なれかれない。

 だから助けた俺がまた絶望しないように、とある能力を与えてくれたのだと言った。


『首元にネックレスがあるだろう? それを使うことでお前は時を巻き戻すことができる』


 その声に導かれるように首元に触れると、確かにそこにはつけた覚えのないネックレスらしき金属の輪があった。


 そして、謎の声がこのネックレスの使用方法について教えてくれた。


 このネックレスには、宝石らしき小さな球状のものがついている。

 その球の数がそのまま時を巻き戻せる使用回数となっており、触れた限り三つついていた。なぜネックレスかというと、俺が首吊りをして死んだから首にあるらしい。これが例えば腹に包丁を刺しての失血死なら、腹に何か印が出るらしい。それはちょっと嫌なので首吊りでよかったと思った。


 そして、巻き戻す方法だが、巻き戻したい時に俺がもう一度同じ死に方――俺の場合は首吊りだ――をすることによって、任意の時間に巻き戻すことができるとのことだった。


 指で確かめた通り、球は全部で三つあった。そのため全部で三回分使用することができるが、今から俺がどこかの時間に戻るのもその内の一回に含まれるとのことだったので、実質自由に使用することができるのは二回分だった。


 ただ、と謎の声は念を押すように言葉を響かせる。

 この能力にはいくつか制約がある。もちろん使用回数以上は使用できないだとか、何かの理由でネックレス自体を紛失、破壊した場合ももちろん使用できないなどもあるが、周りの人間の記憶に関しても注意しておくべきことがあると声は言った。


 このタイムリープでは、パラレルワールドのように別の世界線に行って分岐するわけではなく、同じ世界線の過去に戻って上書きを行っていくのだそうだ。

 そのため、一度過去に戻った時、過去の世界にいる人間は時間が巻き戻ったことには絶対に気が付くことはないらしい。例外は、わずかながらあるらしいが。

 そのため、自分がタイムリープできることを伝えても誰も信じないし、証拠に目の前でタイムリープして見せても、その先にいるのはまた巻き戻って記憶のない人達なので、証明などもできないとのことだった。


 言われなくても、誰かに伝えるなんてことはしない。

 俺の頭がおかしいと思われるのが関の山なのだから。


 せっかく面白い能力を与えたのだからせいぜい楽しませてくれ、と声が遠ざかっていく。

 言われなくても有効活用されてもらうさ、と俺は心の中で唱えていた。


 頭の中でどの時点がいいのか考える。

 そして、彼女と就職する会社について話していた大学三年だった頃の時間を告げると、再び意識は落ちていった。



 一瞬の闇の後、再び視界が明るくなる。



「――で、こういう職種の面接を受けようと思っているんだけど……」

 隣で聞こえた彼女の言葉に、俺は勢いよく声のした方を向いた。


 右を見ると、就活を期に黒髪に染め直していたはずの彼女よりも少し明るい髪色をした彼女が、隣の椅子に座り俺にパンフレットを見せていた。

 一度首元のネックレスに手を持っていき、触れてみる。指で確かめると、三つあったはずの丸い宝石は二つになっていた。


 ――どうやら、本当にタイムリープは成功したらしい。


「――本当に、タイムリープができるなんて」


 小さく呟いた俺の言葉に、彼女が驚いたように目を見開いた。


「……え、なんで」

 その言葉に、驚いて顔を向ける。





 ――一度過去に戻った時、過去の世界にいる人間は時間が巻き戻ったことには絶対に気が付くことはない。例外は、わずかながらあるらしいが。


 



 俺の方を見て信じられない、と言いたげな表情を浮かべる彼女を前にし、俺はそんなことを考えていた。



「私、この頃にハマっていたゲームがあるんだけど、死んだ後このゲームの中のキャラクターになってたの」


 そう言うや否や、彼女が鞄から何やらゲームのパッケージを取り出した。なんで今持っているんだとは思ったが、ツッコんでも意味はないと思ったので口を閉ざし、俺は差し出されたパッケージを眺める。

 どうやらそれは、魔法学校に転入してきたヒロインが、そこで出会う生徒や先生と交流し仲を深めていく恋愛シミュレーションゲーム、いわゆる乙女ゲームと呼ばれるゲームのようだった。

 たしかに、生前の彼女がそのゲームをプレイしている姿をよく見かけた。

 彼女が見せてくれたゲームのパッケージ。パッケージ裏、明らかにヒロインではなさそうな端の場所に写る目が吊り気味の気の強そうな令嬢が、その「アザレア・スノーベリー」らしかった。


 彼女は死後、そのゲームに登場する「アザレア・スノーベリー」という令嬢に転生していたらしい。


「ただ、私が前世……というか今は現世か……私が現世の記憶を思い出したのが、ちょうどこのゲームが始まる入学する直前の時で、私はアザレアの運命を知ってたから敵を作らないよう平和に生きていこうとしていたのに、アザレアは高飛車な性格で敵を作っていたみたいで、入学前から色んな人から嫌われていて大変だったのよね」

 そう言って彼女が当時のことを思い出したのか深く息をつく。


 彼女の話を聞くに、アザレア・スノーベリーという令嬢は、ヒロインの攻略相手の一人である男の婚約者であり、ヒロインに嫌がらせを繰り返してくる、いわゆる悪役令嬢の立ち位置にいるキャラクターとのことだった。

 ヒロインが彼女の婚約者狙いであれば衝突するのもうなずけるが、このアザレア・スノーベリーというキャラクターは、そもそもにおいて転入して早々色んなイケメンに囲まれるヒロインのことを良く思っていなかったらしく、たとえヒロインが別の攻略相手と仲良くしていても、事あるごとに嫌がらせを行うらしい。

 そのため、どのルートを選んでもアザレア・スノーベリーの嫌がらせに遭い、ヒロインは彼女の嫌がらせを受けながら、攻略相手と交流を深めなければいけなくなるのだそうだ。

 彼女曰く、ゲームをプレイしたユーザーの感想でも「これはひどい」「ここまで陰湿な悪役令嬢もそういない」と評されるほどあくどいいじめをヒロインに行うらしく、そのゲームの悪を全て集めきったようなキャラクターが彼女だとのことだった。


「……でも乙女ゲームなら、ゲームのメイン人物に会わないようにするだけでいいんじゃないか?」と俺は疑問に思ったことを口にする。

「それが、そんなに簡単じゃないのよ」

 そう言って彼女は大げさに首を振る。

「ゲーム上でなら、この時間はこの場所にいるから出会わないようにするってことはできるわ。でも、当たり前だけどゲームの中のキャラクターだって、何時間も同じ場所にいるわけじゃなくて常に行動してるわ。ゲームで表示されていた時以外の時間にみんながどこにいるか分からないんだから対処しようがなかった。それに、アザレアの婚約者が攻略相手の一人なんだから、会わないようにするなんて不可能なの」

「…………そうなのか」

 彼女の気迫に気おされ、気の抜けた返事してしまう。


 さっきからずっとこの調子だ。彼女は転生後の話ばかりしている。

「どうして過去に戻ったのか」と問われ「俺がタイムリープしたから」と答えて以降、彼女は俺のタイムリープの話について触れることはなかった。タイムリープを行うまでの経緯もタイムリープしようとした理由ですらも、俺が救おうとした彼女には興味がないらしかった。


「ようやく全部問題が解決して、友達もたくさんできた。これから普通の学校生活が始まるところだったのに」

 そう言って彼女は悔しそうに嘆いていた。

 目の前にはゲームの中のキャラクターの誰かではなく、死ぬ前に交際していた恋人がいるというのに、その目に俺が映っているという気はまるでしない。

 ただ、死後転生したというゲームの世界の誰かに思いを馳せており、自分が生き返ったことを嬉しがる様子も一切見られなかった。



「――――――こんなの、望んでいなかった」



 わざとではないのだろう、小さく呟いた彼女の言葉で、俺は分かった。彼女はもう、転生した後の世界しか見ていない。

 彼女にとっての自分は、彼女の立場で言う『前世』にいた何となくの存在でしかないのだ。


 尚も俺を無視して嘆き続ける彼女を残し、俺は一人外に出る。


 彼女が悪役令嬢として転生していた、というのはにわかには信じがたいが、本当なのだろう。嘘をつく理由もないし、そうでもなければ、彼女が記憶を維持している状況を説明できない。


 あの声は言っていた。この世界の時間が巻き戻るから、この世界にいる人間は時間が巻き戻ったことには気が付かない、と。

 だが、例外があった。だから声はあらかじめ言ったのだ。


 

 そのため彼女からは、死後別の世界にいたのに、前世の世界が自分の生きている時間に巻き戻ったために、突然連れ戻されたような感覚になったのだろう。


 心が完全に離れてしまった彼女を、俺は再び取り戻すことができるのだろうか。

 否、俺は再び取り戻すことができる。


 俺にはまだタイムリープの能力が二回分残っているのだから。


 ホームセンターで頑丈そうなロープを購入し、俺は近くの公園の公衆トイレに入る。


 あの声は言っていた。俺の行なうタイムリープでは、パラレルワールドのように別の世界線に行って分岐するわけではなく、同じ世界線の過去に戻って上書きを行っていくのだと。そのため、一度過去に戻った時、過去の世界にいる人間は時間が巻き戻ったことには絶対に気が付くことはない。


 俺が一度目のタイムリープを行った時、彼女はこの世にいなかったから、彼女は記憶を維持したまま過去に戻った。しかし、今の彼女はこの世にいる。


 つまり、彼女がこの世で生きている状態で過去にタイムリープすれば、他の人間と同じように記憶は巻き戻り、彼女の転生していた記憶とやらは消えるということだろう。




 俺はその可能性を信じて、ゆっくりとロープに首をかけ、そして椅子を蹴った。

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