24.夢魔の主

 音が止んだ。二人は、そっと上の階へと登っていった。エイザは四階にいた。そして、二階から四階まで、全ての階に、打ちのめされて床に崩れ落ち、あるいは灰となるまで焼き尽くされた、夢魔の姿があった。それらを踏まないように避けながら、のろのろと登っていった二人を、エイザは四階の階段の前で出迎えた。

「外から見た限り、上の階が最上階だろう」

「エイザさん、怪我とかは……してませんか」

「大丈夫だ。かすり傷一つ負っていない。さあ、先へ――」

「あ、あの! お願いですから、無茶だけはしないで……ください。私、もう誰も消えるところを見たくなんて……」

 こころの言葉に、エイザは小さく笑って答えた。

「戦いが始まったら、目を閉じて。そして、人間の世界に戻ったら、こう唱えるんだ。全て夢だったと。恐ろしい悪夢だった、と。忘れるんだ、この塔のできごとは」

「そんな……」

 絶句するこころからエイザは視線をそらした。そして優利を見た。優利は、エイザの顔を見つめていた。

「君は……」

「忘れません」

 その言葉に、エイザの笑顔が固まった。

「オレは……あなたのことも……覚えています」

 エイザは笑うのを止めた。だが、だからといって、怒ったり、泣いたりすることもなかった。ミカやラビーのことを話したときに見せた、静かで真剣な表情をして、言った。

「君は、私に似ているのかもしれない。だからこそ、私に似ないで、全てを忘れてほしいところだ。けれど……君が感じただろう怒りだけは、ずっと覚えておいてほしい」

 エイザは、優利の反応は待たなかった。踵を返し、上の階へと向かう。優利はすぐ、その後をついていく。そして数段登ると顔を後ろに向け、こころに呼びかけた。

「姉ちゃん。行こう」

「……うん」

 優利に声をかけられ、こころも動き出した。階段を、ゆっくりと上っていく。半分ほどを登ったところで、遅れを取り戻すように、早足になって上がる。そして、優利の隣にこころが並んだ辺りで、視界が開けた。

 いや、開けたというほど、部屋は広くはなかった。むしろ、部屋の大半が、何かで埋め尽くされている。こころはミカの火が入ったランタンを手に持ち、軽く掲げた。

「ひっ……!」

 そして、目に飛び込んできたものに、思わず悲鳴を上げた。

 そこには、巨大な何かがうずくまっていた。部屋の半分以上を埋め尽くす体には、こころの手ほどもある鱗がびっしりと生えていて、手足は太く、尻尾もあった。そして、コウモリの羽のような翼が、その体の上を覆っている。その体は、ミカの火を受けて、金色に光っていた。

「り、竜だ……」

 震える声で、優利が言った。こころは知らぬうちに後ずさりしていた。体の震えが止まらない。そこにいるというだけで、恐ろしさが後から後から湧き出してくる。

 圧倒され、怯えるこころと優利。恐れに身動きが取れない二人をよそに、エイザが竜の前へと歩み出た。竜の頭は、部屋の真ん中にあった。目を閉じて、眠っているようにも見えた。

「ヒカリよ。女王様はどこだ」

 エイザは竜へとそう問いかけた。えっ、とこころは戸惑いに声を上げた。

「あれが……あれが、ヒカリさん? 夢魔の主は……人間じゃ、なかったの?」

「……まさか、あれも夢の力? 夢の力は、願いさえすれば何だってできる。しかもヒカリさんは、女王様のリンゴの力を得てるって……だから、あんな姿に?」

「ヒカリ、答えよ! 女王様はどこだ!」

 二人が話す間、目を閉じたまま何も言わない竜に、焦れたようにエイザが大声で呼びかけた。すると、竜はその目をゆっくりと開いた。そして、不機嫌そうにひとつあくびをこぼし、「うるさいなあ」と言った。その声は、見た目に反して、普通の女性の声をしていた。

「私になんて口を聞いているの? いまやイコタはただ夢の力を生むだけの果樹。この国の女王様は私よ」

「口を慎め! ただ夢の力を振り回すだけのお前が、女王になどなれるものか。女王様は夢の力を生み出せるから、女王になれたのではない。その力を妖精たちに分け与えてくれたからこそ、みなに慕われ、女王と呼ばれるようになったのだ!」

 エイザの言葉に、怒ったように竜は吠えた。

「私を崇めなさい! 私を女王だと認めなさい! でないと、あなたも消してしまうわよ!」

 竜が吠え立てる一方、エイザはみ拳を構えた。戦うつもりなのだ。優利が息を飲んでそれを見守ろうとした、そのとき。優利の隣に立っていたこころが駆け出し、二人の間に割って入った。

「止めて! 二人とも、止めて。エイザさんも、これ以上はもう戦わないで……!」

「……目を閉じているように、言ったはずだ!」

 エイザは、こころに対しても怒りをぶつけるように言った。だが、こころも引かなかった。

「ヒカリさん……エイザさんを、妖精たちをこれ以上消すのは止めてください!」

「……あなた、人間の子供ね。見たわよ、夢の扉を開けたところ。ミカが連れてきたから、てっきり私を倒すために戦わせるのかと思ったけど」

「私たちは戦いに来たわけじゃない、ただ家に帰りたいだけ。でも、できることなら、妖精の国の人たちを助けてあげたい。あなたが女王だと認められたいから、だから妖精を力で抑えつけているというのなら、私が、あなたを女王だと認めます。だから、どうか……これ以上、妖精たちから、夢を奪わないで……!」

 自分に向き直り、泣きながら訴えるこころを、竜はじっと見た。そして、おもむろに口を開いた。

「あなたは、私を女王だと認めるの? 私のことを……好きになってくれるの?」

「ええ……あなたが、望むのなら」

「本当に? だったら……こっちに来てちょうだい。私の目を見て誓ってくれるなら……妖精たちに、女王のリンゴを分け与えてもいいわ」

「駄目だ、そいつの言うことを聞くな!」

 エイザが後ろから叫ぶ。だが、こころは一歩、前へと出てしまった。竜の鼻先にまで来たこころに、優利は「姉ちゃん、近づいちゃ駄目だ!」と叫ぶ。それでも、こころは止まらなかった。もう一歩前に出ると、両手を大きく広げ、竜へと呼びかける。

「私はあなたを、女王だと認めます。好きになってほしいと言うのなら好きになります。だから、どうか……」

「そう……だったら……」

 竜はゆっくりと身を起こした。そして――いきなりその太い腕をこころへと向けて素早く伸ばした。

「姉ちゃん!」

 優利が叫ぶ。こころは一瞬で、竜の手に掴まれていた。こころを掴んだ竜は、甲高い声で笑った。

「あははは! 馬鹿な子ね、みんな止めてるのに騙されるなんて!」

「お前、なんということを! その子を離せ!」

「離すわけが無いでしょう。この子は私を、この先ずっと女王だと崇めるのよ! その代わりこの子に言ったことは守ってあげるわ。あなたたちは見逃してあげる。大人しく、ここから帰ってくれるのならね!」

 エイザは、獣のような唸り声を上げた。その手に炎が灯る。優利も、鞄からナイフを出して鞘から抜いた。それを見て、竜はまた笑い声を上げる。

「そんなちっぽけな炎とナイフで、竜に勝てると思う?」

「優利、君は手を出すな。そこで見ているんだ!」

 エイザはそう言うと、竜に向かって突進していく。竜はその動きを鼻で笑うと、こころを掴んでいた手を、エイザの前に掲げた。

「……! 卑怯な!」

「恨むのなら、うかつなことをしたこの子を恨むのね!」

「……エイザさん……ごめんなさい、優利……!」

 こころはぎゅっと目を閉じた。自分のせいで、二人が危険な目にあってしまう。どうにもできないことは分かっている。それでも、何とかしたい――懸命にこころは願った。

「夢の、力……!」

「……あら、なに?」

「夢の力が使えるなら……どうか、力を貸して、ミカさん!」

 こころはさらに強く祈った。すると、その懐から強い光が放たれた。竜は悲鳴を上げてこころを離した。手から解放されたこころは床に転がり、慌てて優利が駆け寄って、こころを助け起こした。

「姉ちゃん……ミカさんの火が」

 優利が言う。ミカの火は、黄金の光を放っていた。しかしその光はすぐに消えてしまった。そして光が消えると、竜が後ろで吠え声を上げた。

「お前! 妖精の火を……よくも私の手を焼いてくれたね! もう許せない、お前たちも私に刃向かった騎士のように、消してやるわ!」

 竜が口を大きく開く。竜の口には、鋭い歯がぎっしりと並んでいる。噛みつかれればひとたまりもないだろう。竜は二人に噛みつこうとその大口を開け、頭を突き出してくる。

「下がるんだ、二人とも!」

 迫る竜の口の前に、エイザが立ちはだかった。殴りかかるように引かれたエイザの手に宿る炎は、膨れ上がって一つの火の玉になっていた。エイザはそのまま、竜の口目がけて腕を振るった。すると、ドン! と爆音が鳴ると共に、炎が竜の口の中で弾けた。竜は恐ろしい悲鳴を上げ、ギラついた目をしてエイザを睨みつけた。そして、片手を振り上げて、エイザ目がけて振り下ろした。だが、エイザはさっと身をかわし、振り下ろされる腕を避けた。どしんと塔全体が揺れたような振動が伝わり、起きようとしていたこころと優利は、また膝をついてしまった。

「私に逆らうな! 大人しく消えてしまえ!」

「断る! これまでどれほどの妖精たちが消されてきたことか! その妖精たちのぶんだけ、お前に炎をくれてやる!」

 言いながら、さらにエイザは炎を投げ放った。爆発に、空気がビリビリと震える。一度だけではない。何度も、何度も繰り返される爆発の中、こころと優利はお互いを助けながら身を起こした。

「エイザさん、凄い……このまま、あの竜を倒せるんじゃないか?」

「……ああ、駄目! このまま、火を使ったら……エイザさん!」

「こころ?」

「あれを見て!」

 こころは、竜の背後を指し示した。手を振り回してエイザを打ち払おうとする、竜の背後に何かがあった。優利も、それに気づいた。

「あれは……木だ、リンゴの木がある!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る