22.地底の光

 海の中から水面に上がると、そこは洞窟だった。海の中にまで続く大きな洞窟は、クゴンレ島の中に入り江を作っていた。そこに小さな港があり、海から出たこころと優利は、港の桟橋に乗り上がった。

「ガウリィさん……ここまで、ありがとうございました」

 こころが言う。ガウリィは、半身を海の中に浸けたまま、首を振った。

「ここまでしかお供できないことが、むしろ悔しいです。でも、ここから先は地底……妖精は夢の力を奪われるという地です。岸のように強い力を持った妖精ならば、己を保っていられるそうですが……私には、とても」

「ここまで来られた。それだけで、充分です」

 優利の言葉に、ガウリィはようやく硬い表情を解いた。

「ありがとうございます。では……さようなら。私たちのことを、忘れないで」

 ガウリィの体が、海の中に沈む。水が跳ねる音だけが最後に響き、辺りはしん、と静まりかえった。

「……ここから、だね」

「うん……」

「まずは、カシェさんが言ってたとおりに動いてみよう。地底の牢獄……だったっけ」

 それは、作戦を立てているとき、カシェが話したことだった。

「港から、坂道を降りて、分かれ道を左……だったよね」

 その先に、地底の牢獄があるのだという。そこに向かえば、もしかしたら、力を貸してくれる妖精がいるかもしれないのだ、と。ここから先、どう動けばいいのか、情報は一切ない。自分たちだけで行かなければならない道のりだが、せめて誰かから話しを聞きたかった。

「行こうか」

「うん……行こう」

 こころと優利は、お互いを励ますように言って足を踏み出した。



 港から出ると、その先には、真っ直ぐ伸びる道があった。道は狭く、頭上まで硬い岩肌に囲まれている。下り坂になっていて、下りるにつれて、天井との距離が開いていく。分かれ道に出る頃には、天井ははるか頭上、ミカの炎でも照らせないほどに遠ざかっていた。

「ここを左だね」

 分かれ道に立ったこころが言う。優利は一瞬遅れて「うん」と言った。

「……どうしたの? そこから何か見えた?」

 返事までの間が気になって、こころがそう尋ねると、優利は道の先を指差した。こころは、優利が指差す右の道を見た。そして、息を飲んだ。

 そこには、とても大きな空間があった。道の途中から岩壁が、無くなったような景色になっている。どうやら広い谷間に繋がっているらしい。そして、その広い空間には、黒い塊がうごめいていた。夢魔だ。

「あの夢魔……なんだか変じゃない? 形になってないっていうか……」

 優利が言うとおり、夢魔は、これといった形になっていなかった。泥の塊のように広がったかと思うと、うねりながら、なめくじのように移動している。襲いかかってきた夢魔とは明らかに様子が違っていた。

「こっちには、気づいてないのかな……」

「気づかれないうちに、牢獄の方に行こう」

 こころが促し、先に立って進む。優利はその後ろに続いた。牢獄への道は変わらず壁に囲まれ、狭苦しい感じだった。

 まだまだ下っていく道を行くと、周囲の様子が変わってきた。

 壁に燭台が置かれ、小さな火が灯っている。弱々しい火の明かりに照らされた岩肌には、横穴のようなものがたくさんあった。中を見ると、がらんとしていて、何かがあったり、誰かがいたりする様子は無い。

「なんなのかな、これ」

 こころが薄気味悪そうに呟く。優利は首を振った。分からない。ただ、勝手にできた穴ではないだろう、と何となく思った。

 そして、道を行くうちにすぐ、優利の直感は正しいことが分かった。

 横穴の中に、幾つもの鉄の棒が垂直に刺さっているものが見つかった。二人はすぐに、それが牢屋だと分かった。穴の中に、それまではなかったものがあったからだ。それは、一本の錆びた剣だった。二人は、その場に釘づけけになってその剣を見た。

「優利……」

「妖精の騎士が持ってたのかな。……剣以外にも何かある。指輪かな……すみっこの布は、服だと思う」

 優利は、震える声で言った。言葉にしないと整理できなかった。頭の中は、マヒしてしまったように固まっている。ここに、妖精がいた。そして恐らく、出られないまま――

「優利、あのね。カシェさんがここに行けって言っていて、それを聞いて、もしかしたらここに……私、力になってくれる妖精の騎士がいるかもしれないって、そう思ったの」

「……うん、オレも」

「でも……これじゃ……騎士たちは、みんな……」

 悲しみと恐れにこころが唇を震わせた、そのとき。どこかで、微かに何かが動いたような、足音と衣擦れの音が聞こえてきた。はっとして二人が音のをした方を振り向く。それは、道の先に続くどこかの穴から聞こえたような気がした。二人は走り出した。力になってほしいなどとは思わなかった。ただ、そこにいる誰かが、消えないで、生きていてほしかった。

 そして――二人は見つけることができた。

「誰か、そこにいるのか?」

 その声は、鉄の棒で塞がれた横穴の一つから聞こえてきた。こころと優利がそのアナの前に立つと、そこには一人の妖精がいた。ぼさぼさの黒い髪を伸ばし、ローブのような赤い服を身にまとっている。その服を見て、こころはあっと声を上げた。

「ミカさんと、同じ服……!」

「ミカを知っているのか? 誰なんだ、君たちは……?」

 黒い髪の妖精は、驚いた様子で言った。こころたちは口早に、自分たちのことを説明した。ミカに導かれて妖精の国に入り、夢魔に襲われては妖精たちに助けられ、ようやくここに来た――それを伝えられ、黒髪の妖精は、目を伏せて、胸の内の感情を吐き出すように、大きなため息を吐いた。

「そうか……そうだったのか。ミカも、ラビーも、行ってしまったんだな。しかもラビーは、私のような妖精を、最後まで友と呼んでくれたのか。

 だが……これで、残ったのは私とリエルだけだ。皮肉なものだ。地底に残った者より先に……」

「ということは……やはり、あなたはエイザさん? それに、リエルさんも……生きてるんですね」

 それはこころと優利にとって、救いがある話しに思えた。しかし、エイザは口の端を歪めて笑った。笑っているのに、とても苦しげな表情だった。

「リエルは……生きていると、言っていいのか」

「……何があったんですか?」

「リエルが消えていない。それは感じる。なにせ、この地底で、戦いに弱った私が生きているのだから。リエルはいまも光となって、地底の妖精に力を与えているのだ」

 そこで一呼吸置いて、エイザは尋ねた。

「ここに来る前に、分かれ道があっただろう。右の方の道は見たか?」

「え……はい。夢魔がいて、通れそうにありませんでしたが……」

「見えたことに、違和感を覚えないか?」

 二人は数秒、首を傾げて考えていたが、そのことに気づいてあっと声を上げた。

「地底なのに、あんなに真っ黒な夢魔の姿が見えていた……」

「そう。あれは……リエルの夢の力だ。どういうことか……実際に、見てほしい」

 エイザはそう言うと、鉄の棒のうち、一本に手をかけると、それを手前に引っ張った。すると、いとも簡単に鉄の棒は引っこ抜けてしまった。

「驚いただろう。この牢獄は、新しく作らされたものなのだ。地の妖精たちを無理やり従わせて、夢魔の主が命令を下した。しかし……彼らも腹が立ったのだろう。私の牢に細工をしてくれた。私を助けるぐらいなら、他の妖精を連れて逃げてくれと頼んだものだが……全てはきっと、この日のためだったのだろうな」

 エイザは横穴から出ると、牢のさらに奥へと向かった。こころと優利がその後ろを追うと、やがて一枚の、木のドアが現れた。岩壁の中に、半ば埋もれるようにしてあるドアは、いまにも崩れ落ちてしまいそうなほどにぼろぼろだ。それを開け、エイザは中に入っていく。

「この道は、牢屋を増やすときに作られた、地の妖精たちが通る道だった。いまは通る者は誰もいないが」

「地の妖精は、どこに行ってしまったんですか? 港にも、ここまでの道にも、誰もいなくて……」

 こころの問いに、エイザは「すぐに分かる」と言った。

 道は細く、エイザは身を屈めて歩いている。こころと優利は立って歩いていたが、圧迫感がひどかった。とはいえ、道は長くはなく、しばらくすると開けたところに出た。どうやら、さっき見た、大きな谷間に繋がっていたらしい。遠くに、崖のような岩肌が見えていた。

「ここから少し登る。そこなら、よく見えるはずだ」

 エイザはそう言って、ドアのすぐ脇にあった階段を登り始めた。階段は、とても急だった。石を積んで作られた階段で、それを登っている間、優利は下の方を見ていた。谷間にはやはり夢魔たちがいたが、まるで眠っているように動きが鈍く、階段を上るこちらを見ることもなかった。

 黙々と階段を上り続けると、岩壁に張り付くようにして作られた、細い道に出た。その道に立つと、エイザは空を指差した。

「あれが……リエルだ」

 それを見て、二人はがく然とした。言葉が何も出てこない。代わりに、吐き気とも、涙ともつかないものが出てきそうになって、息が詰まった。

 空には、光があった。

 それはとても巨大な光だった。地底の町を隅々まで照らしてしまいそうなほどに。だからこそ、暗いはずの洞窟の中なのに、夢魔の姿が見えたのだ。太陽のように明るいから、こころも優利も、太陽の下にいるような気分になって、そんな光が地底の天井近くにあると気つけなかったのだった。

「あれは……あれが、リエルさん……?」

「そう。ミカが最高の棋士ならば、リエルは最強の騎士だった。この地底で、夢魔の主と騎士たちが戦い、逃げるときに己の体を光と化したその時から――ずっとこの地を、夢の力で照らし続けているのだ」

 優利は、何故夢魔たちが眠ったように動けないのか悟った。あの強すぎる光が、夢魔たちの力を抑えているのだ。悪夢の力を押さえ付けるほどに強い、夢の力の光。それこそが、いまのリエルなのだ。

「そんなに長い間、強い夢の力を使えるなんて……」

「あり得ないと、私とてそう思う。けれどこれが現実なだ。リエルはいまもそこにいる。誰の手も借りず、誰も助けられないまま、私はリエルに助けられている」

 何故、とは問わなかった。こころにも、優利にも、リエルがどうしてそこまでするのかが分かる気がした。リエルはただ、友を助けたいのだ。そして、共に戦った騎士たちを倒し、妖精たちを苦しめる夢魔の主が、許せないのだ。ただただ眩い地底の光は、光と同時に、凄まじい、言葉にしがたい感情をも放っているようだった。

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