18.妖精たちの思い

 ニリの島で降りたこころは、手紙の配達先のガーギの家を探して島の中を歩いていた。ニリの島は、イリの島よりも小さく、家も少なくて見通しが効いたため、すぐに目当ての家は見つかった。

 その家は、周囲の家より一回りは大きな家だった。水の町の家はどれも白い石を積んで作られていたが、その中でも、ガーギの家は立派なもので、高い屋根の上、嵐の中で金色の魚の形をした風見鶏がくるくると回っていた。

「この家だね……」

 家には表札というものは無いので、間違えていないか心配でしかたがなかったが、こころは息をふうっと吸って、気合を入れて郵便受けを開けた。すると、ガランガラン! と何かが大きな音を立てた。

「うわっ!」

 こころは思わず声を上げる。郵便受けのドアには、大きな鈴がつけられていた。なんのためにこんなものが、とこころが思っていると、家の玄関のドアがいきなり開いて、中から一人の妖精が出てきた。

「……おや! ガウリィちゃんが来たのかと思ったら……まさか人間さんかい!?」

 出てきたのは、体格のいい水の妖精だった。腕や肩は筋肉で盛り上がっており、歩く歩幅も大きい。驚いて固まっていたこころは、すぐに気を取り直して「こんにちは」と挨拶をした。

「私、こころって言います。ガウリィさんのお手伝いをしてるんです」

「そうだったのかい。ああ、鈴が鳴ってびっくりしただろう。手紙を直接受け取りたいからこんなことしてるんだけどね。酷い雨降りの中、ご苦労さま」

 こころは手紙を鞄の中から出すと、ガーギへと手渡した。封筒と手紙は、水に濡れても大丈夫な素材でできているらしく、手紙に当たった雨粒が、その表面をころころと転がりながら落ちていった。

「うん、確かに受け取ったよ……あれ、差出人はガウリィちゃんか」

「はい。どうしても、自分の気持ちを伝えたいと」

「そうかぁ……この前話しを断ったとき、ちょっとキツイこと言っちゃったけど、ちゃんとこうして気持ちを伝えてくれて嬉しいよ」

 嬉しそうに目を細めるガーギ。手紙を渡せたことにほっとしたこころは、軽く頭を下げてその場を離れようとした。

 だが、踏み出した足をこころは止めた。誰かに見られている気がする。なんとなく、感じた視線の方を見ると、家のドアを小さく開け、誰かがこころの方を見ていた。背の低い、小さな妖精だ。こころの様子にガーギが気づき、家の方を見て苦笑した。

「ああ、うちの子供ですよ」

 ガーギがそう紹介したときだった。ドアが開いたかと思うと、勢いよく、小さな影がが飛び出してきた。子供の妖精だ。子供の妖精はこころの方へと走ってきて、そして大きな声で

「人間さん! あなた、人間さんだよね!?」

 と言った。その声の調子は、どこか切羽詰まったようなものがあり、こころは困惑して頷いた。

「人間ってすごい夢の力が使えるって本当? だったら、この国を助けてよ!」

「え……」

「こ、こら、なんてこと言うんだ!」

「だって、だってこのままじゃ、父さんが消えちゃうよ! 夢魔と戦った騎士はみんないなくなるって聞いたもん! 父さん騎士だったんだ、このままじゃ夢の力が無くなっちゃうよ!」

 こころは息を飲んだまま、何も言えなかった。子供の剣幕が、言葉が、あまりにも切実で、自分はこれから弟と人間の世界に帰るのだ、と言うことができなかった。

「俺たち妖精の問題に、人間さんを巻き込むんじゃない! ほら、家の中に入るんだ!」

「嫌だー! 人間さん、助けて! 助けてよー!」

 涙を流しながら叫ぶ子供の口を、ガーギは後ろから抱えるようにして塞いだ。子供は暴れながらまだもごもごと何かを言っていたが、

「この子のことはいいから、さあお行きなさい!」

「で、でも……」

「この子にはあとで言って聞かせますんで! 人間の子供にそんな力はないって! だから、早く!」

 こころは、言われるままにその場を離れるしかなかった。しかし、ガーギの家の前から立ち去っても、耳の中にはずっと、ガーギの子供の声が響いているような気がした。

(あんな子供でも、この国が消えそうになってるって分かって、誰かに助けてほしいんだ! どうして私、助けるって、言ってあげられなかったの?)

 決まっている。ガーギの言う通り、その力が自分には無いからだ。夢魔の主どころか、夢魔一匹とすら戦えないだろう。そんな自分が、この国を救うなんて、夢のまた夢なのだ。



 こころが悲しみに沈む一方、優利はミリの島に到着していた。ガウリィと別れ、優利は一人、島の中を歩いている。島は、さほど広くないものの、家が密集して、道が入り組んでいた。船から降りる時、ガウリィに道順を教えられていなければ、配達先の家は見つけられなかったかもしれない。

 配達先のガビルの家は、ガウリィが言っていた通り、家の前に大きな剣があった。家の壁に立て掛けたりして飾っているのを優利は想像していたが、その剣は、家の前にある庭に、無造作に突き刺さっていた。

 そして、庭には一人の妖精が立っていた。まだ辛うじて残っている、庭木を世話している最中だったようで、手にはハサミを持っていた。

「あの……郵便です」

「郵便? 俺にか」

 不思議そうな顔をしている。いきなり俺にか、と言ったということは、ここには一人で住んでいるのだろう。優利は手紙を鞄から取り出し、

「ガビルさん……ですよね。手紙です」

 と言って手渡した。庭にいた妖精はやはりガビルだったようで、手紙をすんなり受け取ってくれた。しかしガビルの目は、手紙よりも優利に向けられていた。

「お前、人間だな。何故人間がここに? いや……理由などどうでもいい。それより、こんなところで妖精の手伝いなどしていないで、さっさと人間の世界に帰れ」

「あ、えっと……帰るのは帰るんですけど……」

「この世界のありさまをお前も見ただろう。こんな世界、人間が見てもつまらないだろうし、危険しかないぞ」

 冷たく聞こえたが、その言葉は優利を心配するものだった。優利は頷きを返し、

「この世界は、つまらなくなんかないですよ。人間の世界には無いところがたくさんあるし、オレたちを人間の世界に返すために、多くの妖精が助けてくれた」

「妖精がお前を助けた?」

「はい。ミカさんにラビーさん……それに、シェムさんやミェルさんも」

「ミカに、ラビーだって?」

 その名前に、ガビルは反応した。眉を片方ぴくりと上げ、

「妖精の騎士、しかも近衛騎士の名前ではないか。お前、よく知り合いになれたな」

「知ってるんですか?」

「知らぬものはいない。俺も父からよく聞かされた。父は妖精の騎士でな……近衛騎士と共に地底で戦ったが、帰ってきたのは剣だけだった」

 ガビルは、庭に刺さる剣をちらりと見やった。

「どうして、あそこに刺してあるんですか?」

「雨に濡れて錆びてしまえばいいと、そんなふうに思って野ざらしにしていたんだ。だが……あの通り、いまも鋭いままだ。あの剣を手に父は戦ったが、結果は……いまの世界さ。いっそ戦わなければ、生き残れたものを。戦わなければ、妖精の国が滅ぶと言って、父は……」

 優利は、ただ黙ってその言葉を受け止めた。慰めの言葉をかけることはできなかった。どんなことを言っても、軽々しく聞こえそうだった。

「長々と話して悪かったな。さあ、もう行け。そして、一刻も早く妖精の国から出ていくんだ」

「……はい」

 優利は、何か名残惜しい気持ちでその場を離れた。来た道を戻りながら、この道を行って、帰ってこなかったガビルの父のことを思った。

 優利の父はいま、出張で家にいない。もし父さんが二度と帰ってこなかったら――そう思うと、少しはガビルの気持ちが分かる。けれど、それはほんの少しだけなのだ。本当に、大切な人を失ってしまった人の気持は、同じ目にあった人にしか分からないだろう。

(オレたちが妖精の国から帰れなかったら……母さんと父さんが、同じ気持ちになっちゃうんだな……)

 なんとしても、帰らなければならない。優利はそう、強く思った。

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