15.水の町

 水の町がある島に近づくにつれ、嵐は酷くなっていく。風は強く、波は高くなり、大粒の雨が容赦なく降り注いでくる。

 ミェルは、こころと優利の頭から、一枚の布を被せた。茶色い布は分厚く、表面につやがあり、雨が染みてこなかった。二人は、一枚の布の下で身を寄せ合って、ひたすら水の町の港に着くのを待った。

 船は大きく上下に、左右に揺れながらも、着実に水の町へと近づいていく。船内に雨や海水が入りこんで来ていたが、船は嵐の風を受け、ミェルの巧みなオールさばきもあって、海面を跳ねるように進んで行った。

「もうすぐだ! 下りる準備はいいかい!?」

 ごうごうと音を立てて吹く風の音に負けない、大声でミェルが叫んだ。こころは布を持ち上げて前を見た。島はもう、目の前だった。光を放つ灯台があり、その奥に、港が見える。港は風の町のものよりも立派で、白い石で作られた埠頭がいくつもあり、大きな船が泊まっていた。

 ただ、港の様子は、何かおかしかった。白い埠頭は、水の中に浮き沈みしているように見えた。

「港が……沈んでる?」

「あちゃー、しばらく来てないうちにこんなことになってたなんて。こりゃマズいな」

「ミェルさん、あれはいったい?」

 優利の問いかけに、ミェルは顔を曇らせて答えた。

「空の雲を見てみなよ。あの真っ黒い雲は、もうずっと前から雨を降らせ続けてたんだ。ありゃただの長雨じゃあない。夢魔の主の悪夢だ」

「悪夢の力で、こんなことになるなんて……」

「ずっと、っていうことは、かなり長い間降ってるんですよね。悪夢の力って、そんなにずっと使い続けられるものなんですか?」

「悪夢だからってわけじゃないだろうけど。夢魔の主は、女王様から夢の力を奪ってるんだ。でなけりゃこんなこと、できっこないよ」

 ミェルは言いながら、船の帆をたたみ、オールを使って埠頭へと船を近づけていった。近くで見ると、埠頭も、そこから続く道も水浸しになっているのがよく見えた。海の近くだけではなく、その先にある石畳の道も、全てが水の下だ。

「君たちをここに残してくのは心配しかないけどね。俺は行くよ。妖精は、生まれた場所から遠くへは行けないからね」

「ここまで、ありがとうございました」

「……シェムさんによろしく」

 口々に別れを告げ、こころと優利はミェルの船を下りた。そして、お互いの体を掴み、支え合いながら埠頭の上を歩いて行く。そうしないと、頭の上から襲いかかってくる高波にさらわれて、海に落ちてしまいそうだった。

「まずはガウリィって妖精を探さないと」

「けど、ガウリィさんはどこにいるんだろう? 妖精……ぜんぜんいないね」

 こころの言うとおり、港には誰もいなかった。倉庫らしい建物があったものの、ドアを叩いても返事はない。仕方なく港を離れ、緩やかな上り坂になっている道を歩いて行く。雨水が絶え間なく流れ続けているせいで、道はまるで、川のようになっていた。足を取られ、何度も転びそうになりながら坂を登っていくと、二人は小さな広場に出た。

 広場は、風の町にあった広場と似ていた。十字路の真ん中にある丸い広場には、大きな建物がいくつか面している。広場の中央には、何かのオブジェだろうか、こころや優利の背より高い、針のような塔があった。花の咲いていない花壇や、ベンチもあった。

 いつもならきっと、ここに妖精たちが集っていたのだろう。しかし、ここにも妖精の姿は無かった。まるで、雨が全てを流し去ってしまったかのように。誰もいない広場の真ん中近くにぽつんと、二人は立っていた。

「……誰かいませんかー!」

 いきなり叫んだこころに、優利はびっくりして小さく跳び上がった。ただ、こころの気持ちはよく分かった。火の町でも、風の町でもすぐに誰かに会えた。けれど、水の町はまるで、何もかも死に絶えてしまったようだ。ゴーストタウン、という言葉が優利の頭をよぎる。土砂降りの雨が、生き物の気配を全て消してしまったかのよう。それとも、もしかしたらもう――そんな想像に、優利がぞっと身を震わせたときだった。

「――そこに誰かいるのかい?」

 広場に面した建物のドアがばたんと開いたかと思うと、そこから誰かが飛び出してきた。青い髪を一本に結い上げ、体にぴったりと張り付くような服を着ている。服には幾重ものフリルが施されていて、どこか魚のひれを思わせる恰好だった。

「もしかして、水の妖精?」

「そういうあんたたちは人間かい? まあまあ、そんな水浸しになって! あたしらはいくら水の中にいても平気だけど、人間は風邪、っていう病気になるそうじゃない。さあ、こっちに来て、中にお入りなさいな!」

 二人はありがたく、好意を受け取ることにした。水の妖精が出てきた建物に入ると、中は広々としたロビーになっていた。天井から光る水色の石が吊り下げられていて、それが室内を照らしている。入って正面にはカウンターがあり、壁際には、テーブルと椅子がいくつも置かれていた。

「ここって……何かのお店?」

「うちは宿屋だよ。といっても、この嵐で他の島からの人なんて、もう長いこと来てないけどね。さあさ、お風呂に入って体を温めておいで」

「えっ、いいんですか?」

「もちろんさ、遠慮しないで。困ったときはお互いさまよ。あたしはエサミ。あんたたちは?」

「私はこころ。それで、こっちの男の子は……」

「優利です」

「ココロにユウリか。うん、なんだかぴかぴかした良い名前だね」

 エサミはうんうんと頭を縦に何度も振り、

「お風呂に入ってる間、服を用意しておいてあげるからね。ゆっくり暖まってきなよ」

「何から何まで、ありがとうございます」

 こころが言い、優利は小さく頭を下げた。二人は体を洗うためのタオルを受け取ると、浴場へと向かっていった。


 お風呂に入って体が温まると、こころと優利は人心地ついた気分になった。エサミと出会えたこともあって、船から港に下りたときに感じた絶望感は薄れ、希望が胸の内に戻ってきていた。

 船の上で固まっていた体をお湯でほぐして二人が浴場から出ると、脱衣所の籠に、二人が着ていた服は無く、代わりに別の服が入っていた。白いシャツに、動きやすそうな厚手の黒い長ズボン。赤茶色のベストには、胸元や側面にポケットがついている。膝までを覆う革の長靴もあった。

 服を着てみると、表面がつやつやと滑らかで、ラビーから貰ったコートと材質が似ていた。着慣れない服に最初は少し戸惑った二人だったが、厚手なのに動きやすく、そして見た目よりも軽い服をすぐに気に入ってしまった。

「まあ、よく似合ってるじゃない!」

 良い気分でロビーに出た二人を、エサミは笑顔で出迎えた。

「こんな素敵な服、本当にいただいてもいいんですか?」

「いいのいいの、せっかくこの世界に人間の子供が来てくれたんだから、このぐらいはしないと。それに、あなたが持ってたあの火。とても温かな光だったわ。あの火を残した妖精は、きっとあなたたちのことを大切に思ってたのね」

 こころは胸が詰まるような想いで、首を縦に振った。事情を知らない妖精から見ても、ミカの火はやはり思いやりに満ちているのだ。そして、その火を見た妖精たちも、責めることなく同じように優しくしてくれる――そう考えるとこころは、ただこの世界から逃げるために帰ることが、悔しくてしかたがなくなった。貰ってばかりで、何も返すことができないのが、歯がゆかった。

「――ところで、あんたたち、どうしてこの町に来たんだい? きっと何か、とても大事なことがあるんじゃないのかい」

「それが、実は――」

 二人が事情を話すと、エサミは、意外なことにほとんど驚かずに事実を受け止めた。それどころか、

「やっぱりねぇ、何かとんでもないことが起きてるって思ってたんだ」

 とまで言ってのけた。不思議そうな顔になる二人に、エサミはそう感じたわけを話してくれた。

「風の町から、久しぶりのメッセージが来たのさ。夢魔の主が地底に行って以来だから、もう一年ぶりくらいになるかねぇ」

「メッセージって……風の妖精の、夢の力ですか?」

「ああ、そうさ。その言葉を受け取ったのは、ガウリィって妖精でね。それを聞くなり血相を変えて、町中の妖精を集め始めたのさ」

「妖精を集める? いったい、何のために……」

「戦うためさ。夢魔の主と」

 笑顔を引っ込め、エサミは厳しい表情で言った。その言葉に、こころと優利は驚き、思わず「戦うんですか、夢魔の主と?」と聞き返していた。

「そのつもりみたいだね。けど、みんな止めてるんだよ。騎士様たちでさえかなわなかったんだ。ほとんど夢の力を無くした妖精たちじゃ、歯が立たないってね」

「ガウリィさんは、どうしてそんな無茶なことを?」

「うーん……どうしてだろうねぇ。普段はそんな、力で物事を解決しようなんて思わない子なんだけどね。そうだ、あんたたち。もしよかったら、ガウリィと話してあげてくれないかい?」

 元々、ガウリィとは会うはずだった。二つ返事でこころと優利が頷くと、エサミはほっとしたように表情を緩めた。

「ありがとうね。ガウリィは、この宿の向かいにある郵便屋で仕事をしてるよ。といっても、いまあそこにいるかは、分からないけどね」

「分かりました。郵便屋、向かってみます」

「ああ、そうそう。あんたたちの服はいま洗って乾かしてるとこだから。時間があったら取りに来なよ」

「本当に、何から何まで……ありがとうございます」

 こころが深々と頭を下げると、エサミはからからと声を上げて笑った。

「あたしが好きでやってることなんだ、気にしない気にしない! さ、行っておいで!」

「はい。行ってきます!」

 こころと優利は声を合わせて言うと、宿の外に出た。外は相変わらずの嵐で、ドアを開けていると、雨風が室内に吹き込んでくる。二人はコートを羽織り、コートについていたフードを被ると、外へと出て行った。

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