8.ミカの火

 ラビーの家は、展望台になっている広場の片隅にあった。岬のようにせり出した崖の上にある家は、他の家に比べても、作りが頑丈そうで大きく見えた。ただ、鳥籠に似た外観に変わりはなく、円柱の上にドーム型の屋根を乗せたような形をしていた。中は一階から三階まであって、こころと優利は、梯子を登って三階へと登っていった。

「わあ……」

 三階へと上がった途端、こころは目を丸くした。天井は一面ガラス張りになっていて、温かな陽光が降り注いでいる。部屋の壁沿いには木の棚がいくつも並び、棚に乗せられた丸形や長方形のプランターには、形も色も様々な花が咲いていた。部屋の中は湿った土と、爽やかで甘い花の香りが満ちていて、まるで植物園のような光景だった。

「お花が好きなんですか?」

「はい。それに、この子たちは、薬草にもなります。夢の力は無くとも、妖精が持つ夢の力を、ほんの少し、増大させることができるのです。これを使って、傷や病を癒やすのです。……けれど、一を二にすることはできても、ゼロを一にすることはできません。夢の力を使い果たした妖精には、無力なものです」

 そう語りながら、ラビーは壁際の戸棚へと向かっていった。そして懐から鍵を出し、戸棚の錠を開けた。途端、戸棚の中から光があふれた。こころと優利が目を細めて見る前で、ラビーは戸棚の中から何かを取り出した。

「これが……あの方の残した火です」

 そう言って、ラビーは手に持っていた物を、両手でうやうやしく差し出した。そこにあったのは、一つのカンテラだった。木枠に挟まれたガラスの覆いの向こうに、金色の火が灯っている。金色の火は意思を持つように、初めに放った光を収め、瞬くように輝いていた。

「ミカさん……」

 こころが、囁くように言いながら、カンテラを受け取った。優利は横から、じっと揺れる火を見つめていた。二人の視線に応えるように、炎は左右に大きく揺れ、火の粉を上げた。まだ、ここにミカの意思が残っている――そのように感じられ、こころは涙ぐみながら、カンテラをそっと抱き締めた。

「……ラビーさん。オレたち、ミカさんに言われたんです。妖精の女王のところに行けって。人間の世界に戻るには、そうするしかないって。どうやったら、女王様のところに向かえますか?」

 ラビーは少し考え、そして答えた。

「妖精の国は、四つの町があります。火の町、風の町、水の町、そして地底の町……女王様は、いま、地底の町に囚われていると、そう聞いています。そして、地底の町に向かうには、水の町から船で行くしかないでしょう」

「船? 私たちでも乗れますか?」

「日頃なら、人間の子供の客人ならば、乗せてもらえたでしょう。しかし、水の町は、地底の町に一番近い町です。あの場所はいま、悪夢の力にさらされ、嵐が吹き荒れ、大雨が降っているそうです」

「そんな中で、船なんて出ているんですか?」

「あなたがたは、妖精の友です。ガウリィという水の妖精を、尋ねてごらんなさい。ガウリィならばきっと、あなたがたを歓迎し、そして、力になってくれるでしょう」

 そう言うと、ラビーは戸棚の引き出しを開け、中から一枚の巻紙を出した。巻紙は紙ではなく、分厚くて表面が滑らかな皮でできており、山や島が描かれていた。

「この国の地図です。……少し、火をお借りします」

 こころがランタンを差し出すと、ラビーはランタンの下に地図を持っていき、そしてランタンにかざした指を上下に軽く振った。すると、小さな火の粉がランタンの底から現れ、地図の上に落ちた。じゅっと音がして、地図に焦げ目が付く。

「これで、いつでもランタンがどこにあるか……あなたがたがどこにいるかが、分かります。そして、あなたがたがこれから向かう水の町は、ここです」

 ラビーが指し示した先には、五つの島がある海だった。島と言っても、空に描かれた無数の島々――雲の島よりも大きな島だった。

「水の町は、海の中にあります。この谷の底には、川が流れており、そこから出る船に乗るのです。……長い旅に、なることでしょう。まずはここで、旅の支度をしていきなさい」

「いいんですか? ありがとうございます!」

 二人はラビーに深々と頭を下げた。ラビーは軽く頷き、そして二人を、下の階へと案内していった。


 ラビーの家の一階は、キッチンがあり、テーブルや椅子が置かれていた。人を招いたりすることもあるのだろう。木の板を何枚も貼り合わせて作られたテーブルは大きく、椅子は四つも置いてあった。

 ラビーの勧めで、こころと優利はテーブルの席に着いた。ラビーはキッチンに立ち、料理を作り始める。料理と言っても、人間の世界と違ってキッチンにはガスや電気のコンロなどないので、ただ材料を切ってお皿に盛り付けていくだけなのだが。

 しかし、その料理は見ているだけで涎が出そうなほどに美味しそうだった。テーブルに並んだ料理は、輪切りにされたレモンが添えられたサラダに、燻製くんせいされた鳥肉、綺麗にカットされたみずみずしいナシだった。

「妖精って……人間と同じもの食べるんだ」

 優利が呟くと、ラビーは、

「妖精も、この世界では、他の生き物と同じです。他の世界では、誰かの夢の中に現れるので……食事は、しなくてもいいのですよ」

「あの……それじゃ、妖精の国に来た俺たちは? いまさらですけど、ここ、夢の中……なんですか?」

「……そうですね。少し……長い話になります。料理を食べながら、お話ししましょう。どうぞ、召し上がってください」

 ラビーに促され、二人は料理を食べながら話を聞くことにした。二人が木のフォークを手に取り、料理に突き刺すのを見て、ラビーは語り始めた。

「この妖精の国では、人も妖精も、イメージで成り立っているのです」

「……イメージ?」

「自分が、どのような存在なのか、自分自身で思い描くこと。全ての生命は、無意識のうち、自分の形を自分で決め、心の中で描いているのだと、言われています」

 優利は、思わず自分の手元に目をやった。手の甲に、制服の袖がかかっている。制服といっても中学校のものではなく、小学校のころに着ていたものだった。それまで、息つく暇もなく色々なことが起きていたせいで、自分がどういう姿をしているのかさえ見てこなかったので、自分がそんな恰好をしていることに初めて気がついたのだ。

 優利は自分の手から、姉の方へと視線を移した。こころは、中学校の制服を着ている。同い年なのに、自分だけが小さな子供になったみたいで、何だか優利は嫌な気持ちになってしまった。

「妖精の国では、食べ物が無くても、本当は、死んでしまうことは無いのです。……実のところ、私はあまり、食事を取りません。ですが、この町の妖精たちは、果物を食べ、果物のジュースを飲みます。それが、彼らにとって、自分の存在を実感できる行いだからです」

「へえ……そうなんですか」

 優利は返事をしながらも、いまいち飲み込めないでいた。こころも黙って、その言葉の意味を考えている。二人の様子に、ラビーは「少し、難しい話だったかもしれませんね」と言い、

「大切なのは、強く想い願うこと。夢の力が形になるには、想いが必要になるのです。強い想いを、夢に込めたとき、とても大きな力が生まれます。だからこそ……ミカは、とても強い、夢の力を扱えたのです」

「……ミカさんが、あんなにもすごい夢の力を使えたのは、想いが強かったから……だったんですね」

「それほどまでに、あの方は、あなたがたを思い、人間を愛したのでしょう。昔から、そうでした」

 そう語るラビーの瞳は、どこか遠くを見ているように見えた。懐かしい、大切な物を見るような目だった。

「ラビーさんは、ミカさんとお知り合いだったんですか?」

「……はい。あの方は、とても素晴らしい、妖精の騎士でした」

「妖精の騎士……妖精の騎士って、どういうものなんですか? ミカさんは……騎士だったころのミカさんは、どういう人だったんですか?」

 こころも優利も、中学生のフリをしていたミカのことしか知らない。特にこころは、話す時間はたくさんあったのに、本当のミカのことを何も知らなかった。だからこそ、余計に、ミカのことが知りたくなったのだった。

「妖精の騎士とは、この国を、妖精が持つ夢の力を、他の世界から守る者に、女王様が与える、役割なのです。ミカは、騎士として働くうち、人間に強く惹かれるようになった、と……そう言っていました」

「私たち……人間を?」

「はい。人間は、ときに、どの種族よりも悪賢く、夢の力を狙うこともある。けれど、それでも、人間たちは、妖精をとても愛している――あの方は常に、妖精と人間は、友であるとも言っていました」

 果たして、人間はミカにそこまで言ってもらえるほどのものだろうか。優利はそんなことを思った。ミカが黄金の炎と化したあの時、あることを言っていた――夢魔の主は人間である、と。優利はそれを覚えていた。ただ、ミカの想いを受け止めているこころの前で、そんなことは言えずに、口をつぐんでラビーの話に耳を傾けていた。

「ミカは、多くの子供たちと共に、夢を見てきました。夢の力は、人間の世界では、火を起こすことも、風を吹かせることも、できません。けれど……確かに、妖精と共に見た夢は、子供たちの、夢を形にする力を育てるのだと。そう、確信していたからこそ……あの方は、最期に、この国を見せたのでしょう。この世界の夢が、子供たちの未来の、力になってほしかったからこそ……」

「……なんとか……ならないんですか?」

 フォークを置いて、こころは尋ねた。ほとんど食は進んでいない。ミカを思うと、食事も喉を通らないのだろう。

「夢魔の主が、女王様を連れ去ってしまったからこそ、こんなことになってるんですよね? 女王様を……連れ戻せたりしないんですか? 私たちが会えるのなら、連れて逃げることだって……」

「いけません。夢魔の主に、逆らっては」

 ラビーは厳しく言い放った。その言葉には、有無を言わせない響きがあった。

「彼の者に逆らわず、懇願すれば、命までは取らないでしょう。夢魔の主は、夢の力を独占したいのです。あなたがたが去るというのなら、追わないはずです」

「でも……」

「約束、して下さい。あなたがたの命を、ミカは命がけで、救った。だからこそ、あなたがたは、何があっても……生きて、人間の世界に、戻るのです」

 こころは、口を閉ざしてうつむいた。それにはい、と答えるのが嫌だと言う風に。ラビーも、それ以上は何も言わなかった。


 そこから先は、ほとんど誰もしゃべらなかった。ただ、フォークと食器が当たる小さな音だけが、ぽつぽつと、部屋に落ちていくばかりだった。

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