第25話UNSTOPPABLE ~強行追跡~ Part.5

 やはり夜の森には音がよく響く。


 ホリィや他の村人たちと共に村を脱したメアは、馬車の荷台から木々の向こうに隠れてしまった村を臨もうとしていた。聞いたこともない連続する炸裂音や、明らかな破壊音ばかりが耳に届けば、耐えようとしても不安が頭をもたげてしまう。


 メアでさえ心配なのだ、そうなればホリィも同じ感情を持っていても不思議ではない。


「……おにいちゃん、だいじょうぶだよね?」

「無論じゃ」


 ホリィに手を握られても彼女を見ることはなく、メアの視線は横へと流れる木々ばかりを見つめていた。見通せるはずがないと分かってはいても、村に残り戦っているグリムのことがきになって仕方が無い。


 と、今度は強めに手を引かれ、流石のメアも視線を落とした。


「メアおねえちゃんは?」

「……む? 妾が、どうしたのじゃ?」

「えっと……、だいじょうぶ?」

「平気に決まっておるじゃろ、ホリィ。グリムは強い、妾はあの男を……あの、男を……」


 子供ながらに気遣っているホリィの瞳を受けて、メアは答えあぐねていた。


 車輪が一度回るたび


 風が頬を撫でるたび


 そして瞬きするたびに

 メアは胸の奥がざわつくのを感じていた


 彼女の心はグラグラで、地揺れ並に安定性を欠いていては平静などとは程遠い。現に今だって、心配してくれているホリィが続けて声を掛けてくれているのに、その言葉の一部さえも耳に入っていなかったくらいである。


 しかし、思い詰めて森を眺めていたおかげで、メアはいち早く馬車に迫る異変を察知することができた。これを不幸中の幸いと呼べるかは怪しいところではあるものの、とにかく彼女は同乗している村人の誰かが頭に疑問を浮かべるより先に、木々の隙間から漏れてくる緑色の光に反応していた。


「あの光は――?」


 そう誰かが口にするころには、メアはすでに馬車から飛び降り光の前へと躍り出ている。

 あの光の正体はまったく掴めていないのだが、それでもアレが危険であることくらいの想像は付き、メアは光から逃れようとしている村人達に叫んでいた。


「馬車を止めるのじゃ! 妾の傍から離れるなッ!」

「しかし、このままでは……ッ!」

「その老馬ではどのみち躱せぬッ! 頭を下げて身を守るのじゃ!」


 日中にホリィを庇ったときと同じく、メアの身体は思考を置き去りにして動いていた。


 ただ出来ることを

 ただやれることを


 その行動が正しいのか、そして適切な判断か否かなどは頭にはなく、自らが守るべきを守るために、彼女は持てる力を振るうだけだ。


 迫る緑光の矢面に立ったメアが、その双掌に燃やした獄炎を突き出せば、壁となった蒼焔そうえんが激流に鎮座する巨岩さながらに身を挺して、荒ぶる綠光を二つに割っていた。


 吹き飛ばされそうになるのを踏ん張っているメアの足は、その赤いヒールのつま先で地面に深い直線を掘っている。歯を食いしばり、あまつさえ牙までも剥いているその表情は、いっそ王女というより餓えた獣に近いものがあったが、だからこそ彼女は踏ん張り続けられていた。


 否、そうでなければ、とてもじゃないが持ち堪えられなかったろう。体裁を気にしていられるような圧力ではなく、僅かにでも緩めば呑まれると理解していたから、咆哮を上げることさえいとわない。


 受け止めていたのは一秒か、二秒か……


 だがメアは広く張った蒼焔の壁を保たせるために、腹の底から魔力をひり出していた。

 ほんの僅かな時間だった気もするが、メアや他の村人達にとって地獄のような数秒だったのは間違いないだろう。それはさしずめ、大蛇の腹に呑まれている感覚にも似ていて、綠光が抜け去った景色には誰しもが息を呑んでいた。


 ……なにもない


 周囲を覆っていた鬱蒼とした木々も

 後ろに残してきた轍も

 これから逃げるべき道さえも


 蒼焔の壁の外は、まさに綠光の大蛇に呑まれてしまったかのようで、光が差してきた方向も、そして抜けていった方向も、ただただ一直線に消し飛ばされていた。

 その信じられない光景に皆が言葉を失っていて、額を汗で濡らしているメアの吐息だけが響いている。突き出したままの両腕を、ゆっくり降ろしている間でさえ、彼女は自分が立っているのかどうかさえ怪しく感じていた。


 それは一種の混乱といっていい。

 生き残った安堵と、同時に感じるもしかの恐怖は、様々な絵の具を混ぜ合わせた混沌色と同じであるから、すぐに平静に戻れるはずもない。


 ただそれでも、他の村人達と比べれば、彼女が一番冷静ではあっただろう。


「……皆の者、無事か?」


 馬車は三台とも残っているし、頭数も減っていなかった。

 一見すれば一人の怪我人も出さずに済んだように思えたが、彼らは無言のまま瞳に恐怖の色を浮かべていた。とはいえ震えが来るのも無理からぬ事だろう。周囲の有り様を見れば分かるとおり、まかり違えば、消失した景色と同様に骨も残さず無くなっていたのだから。


 だが、彼らが恐れているのは数瞬前の過去ではなく、今現在の景色であるとメアはくればせながらに知ることとなる。


「危ないところじゃったな、皆が無事なようでなによりじゃ」


 怯える村人達を勇気づけようと、自身の不安を押し殺してメアは明るく振る舞っているが、それでも彼らは口を噤んで、怯えた眼のままである。


「もうなにも心配することはないのじゃ。ホリィも、怪我はしていな――」


 だが、言いさしながら少女の頭を撫でてやろうとメアが手を伸ばした途端に、老人が唐突にホリィを引き寄せて、庇うように彼女から引き離した。


 ……そこでようやく、メアは自分の状態を知る。


 ホリィに触れようとした手が、蒼い肌と黒の毛皮に覆われていていること

 村人達が怯えているのは正体不明の綠光ではなく、目の前にいる魔族であることを


 変化魔法は似ている魔力の影響を受けやすい。

 使用者が自らの姿を変える場合は当然、自分の魔力を使うことになり、その状態で強力な魔法を使おうものなら、その放った魔力と共に変化魔法で纏っていた仮初めの姿も引き剥がされてしまう。

 獄炎を掌に焚いただんで変化魔法は解けはじめ、綠光を受ける間に完全に解けてしまっていた。


 メアの姿は魔族のそれで、言い逃れなど出来るはずもなく、彼女が黙して村人達の顔を眺めていけば、正体を目の当たりにした彼らの表情は憎悪と恐怖がない交ぜになり、無言の罵声を浴びせかける拒絶の色で染まっていた。


 老人も、そしてホリィの瞳も同様に……


 伸ばし掛けた手を握りしめて、メアは僅かに目を伏せる。

 正体を晒せばどうなるかなど分かりきっていた事だったが、心は岩で出来ているわけではない。想像していたからといって堪えられるわけではなく、胸が締め付けられるようだった。


 そうやって彼女を締め上げていくのは、哀しみか寂しさか……。


 或いは後悔の念から始まっているのかもしれないが、答えはきっと出ないだろう。そもそもメア自身が、この感情の根源を理解し切れていないのだから。

 ただそれでも、独り沈んだ哀しみに溺れそうになっていても、彼女は自分がするべきことだけは理解していた。


 この手で触れることは叶わなくても、この手で生かすことは出来るのだと――


 メアは潤んだ瞳を上げて、その指先で村人たちに進むべき道を示す。

「皆はこのまま逃げるといい。綠光は一直線に飛ぶようじゃし、坂を下っていけば先程のように灼かれることもないはずじゃ」


 それだけ言い残すと、メアは村まで続く焼けた直線道へと踵を返す。彼女の背中に刺さるのは、やはり無言の罵声と恐怖の眼差しばかりだったが、彼女は毅然と顔を上げてただ村人達の身を案じた。


「皆、無事に逃げるのじゃぞ……」


 背後に向けて呟くとメアは地を蹴り、村へと走った。

 その後ろ姿は友を助けに行くようでもあり、そして逃避しているようでもあったという。

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