第19話BLUE ON BLUE ~敵対行動~ Part.7

 掌で刀身に触れると、メアは助言に従って少しずつ、内にある魔力の堰を緩めていく。それこそ最初はちょろちょろと、木の葉から垂れる水滴程度の量から始め、徐々に徐々に流し込んでいく。無論、微弱すぎる魔力では獄炎の火種さえ起きはしなかったが、ある一定の量を超えた瞬間に、メアの眉がぴくりと跳ねた。


「発動したか」

「うむ。じゃがまだまだ種火もいいところ、もう少し火力を上げるのじゃ」


 今のところは、精々ロウソクで炙っている程度の熱量だったので、グリムも迷わず首肯したが、直後にメアが火力を上げるなり、彼は慌てて止めることになる。一気に増した熱量には、さしものグリムも驚きを隠せない。


「ストップ! ストップだ、メア!」


 メアも慌てて獄炎を収めて、刀身から手を離す。彼女も目を剥いて驚いていたが、本当に瞬く間の出来事だった。黒銀の刀身はあっという間に赤熱し、水に至っては見事に湯気を立ち昇らせている。


「こいつはたまげた、まさかここまで一瞬で熱量が上がるとは……」

「妾も驚いているのじゃ、付与エンチャントによる増幅効果がこれほどとは知らなかったからのう」


 予想を越えた出来事に二人揃って息をついたが、落ち着いてみれば明らかな成果がそこにはあった。ちょっとした珍事はあったが、それでも湯を沸かすことに関しては成功といえる。

 ただし……


「完全に沸騰しちまってるな、これ。お湯どころか熱湯だぞ」

「そうか? 問題ないぞ、妾には丁度良い温度なのじゃ」


 明らかな熱湯を手でかき混ぜるメアは、満足そうに嘯くと桶を軽々と持ち上げる。

 人間なら火傷する熱湯でも、魔族の肌には適温なのかも知れない。確認しようかグリムは一瞬考えたが、あの湯を使うのはメアなのだと気が付いて彼は疑問を放っておいた。一から十まで世話が必要なほど子供でもあるまいし、熱すぎるなら勝手に冷めるまでまつだろう。


 なんて悠長に構えていると、桶を抱えて寝室へと入っていったメアから声が掛かった。湯を沸かすことばかり考えていた所為で、身体を洗う準備をしていなかったらしい。


「グリムよー、すまぬがタオルを取ってもらえぬか」

「ああ、ちょっと待ってろ」


 まだ熱残る大剣を長椅子に立てかけると、彼は新しいタオルを手に寝室へと入る。すると、合図無く入室してきたことを、彼女は冷たい眼差しで咎めていた。


「……お主、これから身を清めようという乙女の部屋に、断りなく入るとは無礼じゃろ」

「なら、タオルくらい自分で用意するこったな」


 丁寧に投げ渡されたタオルを受け取ると、なんだかんだ言いながらも手を貸してくれるグリムに感謝して、メアは「それもそうじゃな」とはにかんだ。

 ただし、ノックなしの無礼を許したわけではないので、次がれる言葉は厳しめだ。


「礼は言うが、いつまでここにいる気なのじゃ。覗きにしては大胆が過ぎるぞ、お主がおっては身体を拭けぬではないか」

「はいはい、出て行きますよ。たまらねぇな、まったく……」


 諸手を挙げながら愚痴を溢し、グリムはだらだらとダイニングに戻ると、そのまま長椅子に腰を下ろす。メアの言葉を借りるわけではないが、肉体的にも精神的にも、今日は色々起こりすぎたと彼も同じく感じていたのである。

 なので、正直このまま一休みしたいというのがグリムの本音なのだが、扉越しの魔王女様がそれを許さなかった。半分開いている寝室の扉から聞こえてくるのは、タオルを湯に浸す艶めかしい水音を背景にしたメアの声だ。


「のうグリムよ、どうじゃった?」

「……主語が無けりゃ答えられねえよ、何を指してる」


 要領を得ない問いに、グリムは疲れた声で応じる。

 メアの沈んだ声の雰囲気からして、なにか悩み事らしい気配がしていた。


「妾の獄炎じゃ。お主は父上と戦い、そして父上の獄炎を間近で感じた数少ない人間じゃからな。妾と比べた感想を聞きたいのじゃ」

「感想って言われてもなぁ」

「遠く及ばぬ事は承知で尋ねている。じゃが、他者から見てどれ程の開きがあるのかを知っておきたいのじゃ。故に、たんなき感想を頼――」

「――しょぼい」


 喰い気味に返せば寝室から慌ただしい音がして、半開きの扉からメアが顔を出す。どうやら異議があるようだが、目を閉じたままのグリムは求められた忌憚なき意見を止めはしない。


「魔法発動までが遅すぎるし魔力のコントロールも大雑把、威力だって不安定。親父と比べたら天と地どころか、比べることすらおこがましいな。とてもじゃないが実践レベルとは思えない、ゴブリン達を追っ払えたのも運が良かっただけなんじゃねえのか? とりわけ酷いのが魔力の制御。魔法には必ず魔力を使うってのに、そこの制御が甘い所為で、威力にも発動速度にも悪影響が出てる。はっきり言って、俺が見てきた魔法使いの中じゃドベから数えた方が――」

「待て待て、待つのじゃ!」


 悲痛な声に遮られて、グリムはようやくメアの方へと目を向けた。彼女は若干、涙目になっているが、これが現実ってものである。


「まぁ今のが、忌憚なき意見ってやつだ」

「……確かに遠慮無用と申したのは妾じゃが、もう少し言葉は選んでもらいたかったのじゃ」

「俺にしては上品な言葉選びだったんだがな。いつもなら、もっとクソミソに叩いてるトコだ」


 魔法の扱いは、メアが抱えているコンプレックスであろうことは察していたので、グリムは一応気を遣ってはいた。真に忌憚なき意見を口にしていたのであれば、少女の耳には耐えられない汚言葉おことばでもって伝えていただろう。


 だが厳しい言葉とはいえ、グリムの意見に最も賛同しているのはメアなのだ。

 彼女自身が長らく感じていた自分の能力に関する評価、それを見事に言い当てられては反論など出来ようはずもなく、彼女が口にできたのは悔しさを込めた感謝である。


 第三者からの意見というのは貴重だ。魔王女という地位に生まれ、等しく接する者が少なかったメアにとっては特に貴重だっただろう。だからこそ、自然と感謝が口ついていたのだが、グリムはとぼけた声音で返すのだった。


「おいおいメア、まだ半分だぞ」

「な、なんじゃと⁈ まだ悪い点があると言うのか⁈ いくら妾でも、そんなに欠点ばかり挙げられては流石に傷つくぞッ!」

「安心しろ、欠点なら挙げ終わってる。正直、かなりレベルが低い――」


 そもそも魔法使いのくせに魔力制御がド下手って時点で、それ以下がないくらいの欠点と言え、例えるなら、塩と砂糖の見分けがつかない料理人くらい恥ずかしい存在である。

 そう、魔法を使う者としてメアはまだまだ未熟だ。

 だからこそ、忌憚なき意見がマイナスばかりとは限らない。


「――だが、伸びしろはあると思う」

「の、のじゃ……? 伸びしろとは、どういうことなのじゃ?」


 思いがけずかけられた褒め言葉に、メアはぽかんと口を開ける。そして同時に浮かぶ笑みは、戸惑いながらも喜びに満ちていた。


「言葉通り、お前は発展途上って意味だよ。付与エンチャントした時、剣を通してお前の魔力に触れて感じた。少なくとも魔法の才能は間違いなくもってるぜ」

「そ、それはまことか?」

「魔力量は、どんなに少なく見積もっても俺の十倍以上。それに獄炎ってのは、上位魔法と同等か、それ以上の難度を持ってる魔法なんだろ? そんな高難度の魔法を、不完全とはいえ十代で扱えてるのに才能がないってのは、ウソだろう」

「じゃが、父上と比べて――」

「――だから、比べる相手を間違えてんだよ。お前の親父は百年以上生きてて、しかもそのほとんどを人間との戦争に費やしてる。経験値が違うんだから勝負になるわけねえだろ」


 言い換えればメアの悩みとは、昨日今日剣を握った素人が、どうして熟練の剣士に勝てないんだと駄々をこねているのと同じこと。見方を変えれば、そこにあるのは自惚れではないか?


「何を言うのじゃ、そのような余裕があるわけないじゃろ」

「山の頂上ばかり気にして横の景色に気付いてない。自分と同じ視線にいる奴が目に映ってないんだぜ? 自惚れ以外のなんだってんだよ」


 呆れ具合にグリムは言った。


 メアの向上心は素晴らしいことだ、それは認めよう。ただしその向上心が仇となり本来比べるべき相手を軽んじているのだから、グリムが呆れるのも当然で、本来競うべき同年代の魔物や魔族、そして人間と比べれば、メアの持つ才能は明らかに飛び抜けているというのがグリムの感想であった。


 グリム自身が持つ魔法の才はいいとこ中の上といったところで、『授かりし者ギフト』の中では下から数えた方が早いくらいだが、彼は魔族との戦いに身を投じる中で、優秀な魔法使いや回復師を大勢見てきていた。彼らはどいつもこいつも一線級の魔法使い達だったし、その経験から言わせてもらえば、メアの才能は未熟であることを考慮しても十指にはいる物である。


「焦りすぎなんだよ、お前は。魔族は人間に比べて長命だろ、寿命は二百か三百か知らねえけど、伸びしろを考えれば末恐ろしいくらいだぜ」

「……本当か、グリムよ? 本当に、妾は能なしではないのか?」

「しつけえな、嘘なんかついてどうなる」


 持っている才能は本物だとグリムが念を押してやると、メアは溢れそうになる笑顔を噛み殺して顔を引っ込めた。

 前向きになったのならば、それは良いことであるがグリムは釘を刺すのも忘れなかった。むしろ、彼にとっては、彼女の長い人生よりも、差し迫った未来の方が重大なのである。


「ただし、現状じゃ使い物にならねえってことは忘れんなよ。王都までの道中で戦闘がないとも限らねえんだ、野盗や魔物に襲われた時に素人丸出しでテンパられたんじゃ堪らねえからな。ろくすっぽ戦った経験もないだろ、お前」


 ちゃぷちゃぷと水音が響き始めた寝室へ向けて呼びかければ、明らかに機嫌の良くなったメアの声が返ってくる。


とはいわぬが戦いの修練も積んでいる。お主からすれば児戯かもしれぬが、人間の野盗程度ならば遅れはとらぬのじゃ」

「そりゃ稽古での話だろ? 俺は実戦経験があるかを訊いたんだ」


 一応質問という形をとってはいたが、その実グリムにとっては事実の裏付けみたいなものだ。薪を作る際にみた剣捌き――あれを剣術と呼んでいいかは別として――からして、彼は九分九厘、メアに実戦経験など無いと読んでいたし、彼女が諦めて白状したことにより、その読みは確信へと変わる。


「お主には敵わぬな。……どうして分かったのだ、妾が戦処女いくさしょじょじゃと」

「素人っぽさは色々あったが、一番気になったのはホリィを連れてきたお前を見たときだ」


 あの時メアが浮かべていた過剰なまでの動揺と混乱は、友が傷つき、血を流して倒れているのを初めて目の当たりにした奴がみせる反応だ。実践慣れしている者ならば、その心の乱れがさらなる危険を呼び寄せることを知っているため、動揺はしても自らを鎮め、意地でも平静を保とうとする。

 なのに、それをしない。或いは出来ないという事はつまり、命がけの場に立った経験がないという証明でもあるから、グリムが事実を見抜ぬいたのも当然といえば当然で、彼はそのまま説教を続けた。


「つぅかメアよぉ、魔法は精神と心で安定させるものだってのに、あの程度で動揺しすぎだぜ。あれくらいでアタフタしてちゃあ、どんなに魔力量と才能があっても、魔法使いとしちゃ三流もいいとこだぞ」

「褒めるか貶すか、どちらかにしてもらいたいのじゃ」


 メアはそう言うと無理矢理に話題を変える。グリムの口調から彼女が感じた、長くなる説教の予感は正しく、続けていたら湯が水に変わるまで彼はしゃべり続けていたかもしれない。


「妾の話は十分にした、次はお主の番じゃ」

「……俺の?」

「むっ、とぼけるでないのじゃ、グリムよ」


 メアのそれは、自分だけのけ者にされていたことにプリプリと怒る、まるで子供のような口調で、桶の水面に写る彼女は、実際頬を膨らませていた。

 濡れタオルで身体を拭きながら、彼女は続ける。


「ホリィの傷を癒やしたのは、間違いなく回復魔法だった。お主、回復師ヒーラーであることを隠しておったじゃろ」

「人聞き悪いな。隠してたつもりはねえ、訊かれなかっただけだ。それに、んなこと言い出したら、お前も獄炎使えることを黙ってたじゃねえかよ」

「むむ~、まっこと口の減らぬ男じゃな!」


 口八丁に踊らされているメアが声を張ると、半開きになっている扉の先、ダイニングからは渇いた笑い声が返ってきていた。だが、グリムはふとある矛楯に気が付いたらしく、不思議そうに尋ねてくる。


「ん? 待てよメア。お前、俺が回復魔法使えるって、知ってたんじゃねえのか? 俺はてっきり、バレてるもんだと思ってたんだが」

「異な事を尋ねるな、そのようなこと妾の知る由がないじゃろ。出会ってからの三日間、お主はろくに魔法を使わなかったのじゃから」

「え?」

「のじゃ?」


 胡乱げなグリムの声に、何が不思議なのかとメアも思わず疑問を溢していたが、ふとした気付きに手が止まっていた。

 そう、思い返してみれば矛楯だらけなのである。


 メアは、彼が回復魔法どころか火起こし魔法フリントを使うところさえ見ていないから、そもそも魔法が使えるとは考えていなかった。なのにホリィを抱えて走ったのは、村ではなくグリムの元であった点がまず一つの矛盾点。


 そして、メアにとっては恥ずかしいのは――これは矛盾点はないのだが――グリムが何処かの時点で決定的なヒントを出していた点であり、なによりもメア自身が、そのヒントを見逃していた事である。しかもそのヒントは、よほど露骨であったに違いない。でなければグリムは、あんなにも意外そうな声を上げていないはずだ。


 なのでメアは――


「む、無論、気付いておったのじゃ! 当然ジャロ⁈」


 ――と、強がった。


 ただし強がったまではよかったが、まず強がりを口にする本人が恥じらいを感じているので声は裏返ってしまっているし、それを聞いているグリムは動揺を聞き逃すような呑気な耳はしていない。なのに一言さえも言い返してこないので、メアが唇を結んで扉を覗けば案の定、彼の冷め切った視線が彼女の方へと向けられていた。

 目は口ほどに物を言う。グリムの目には、慰めの言葉がありありと浮かんでいた。


「ええい、なんじゃその顔はッ! 馬鹿にしおってえ~~!」

「別に気付いてねえなら、そのままでも良かったんだけどな」

「それが馬鹿にしているというのじゃ! と、いうよりも分かるわけがないじゃろ! 回復師ヒーラーの装備といえば軽装に杖のはず、ところがお主ときたら短剣とナイフに加えて、大剣まで背負っておるではないか。これでは回復師ヒーラーであるなどと見分けが付くはずもないのじゃ!」


 そう、メアが指摘した通り、グリムの装備は誰もが想像するであろう回復職の装備とは大きく異なっている。騎士とは思えないが確実に前線職、つまりは戦士や剣士でだろうと察するのが普通の事で、彼の姿をざっと見ただけでは、その真の役目が回復魔法にあると見抜ける者はまずいないだろう。


 だが、「それでいいのさ」とグリムは不敵な笑みを浮かべていた。

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