第六話 あたたかな家

 街役場のカウンターで茜が祖父・誠司の登録情報が書かれた紙を受け取るやいなや、それを読むこともなくキヨは出口に向かい、役場を出る。そして、


「こっちだ」


 と、勝手知ったる様子で通りを歩いて行った。


 しかも役場を出てから彼のテンションがおかしい。いや、茜が申請書に書いた祖父の名前を見たときから急に彼の態度が変わったような気がする。

 それまで気軽に軽口を叩いてきた彼が、いまはずっと黙りこくっているのだ。


(もしかして、おじいちゃんのこと知ってるのかな)


 でも、どういう関係だったのかまでは尋ねるのをはばかられて、茜も黙ってついていった。


 そうして歩くうちに、なんとなく見覚えのある場所に出る。


(あれ? ここ、昔、うちの近所にあった公園によく似てる。毎日、近所の子たちと遊びに行ってたっけ)


 ところどころ色のはげたタコの形をした変な滑り台にも見覚えがあった。だが、茜の知っている公園の滑り台は、随分前に撤去されてしまって別のものに変わっている。


 奥に見える地球儀のような遊具も、けがをした子がでたとかいう理由で撤去されてしまって久しい。


 そんな懐かしい遊具たちにノスタルジックな気持ちを沸き起こされ、千夏はつい足をとめてしまう。


「どうした?」


 ついてこない茜を不審に思ったのか、先を歩いて行っていたキヨが茜の元へ戻ってくる。


「ううん、なんでもないの。なんかこの公園、懐かしいなと思って」

「ああ、そうだろうな。ここはお前んちの近くにあった公園と同じなんだろう。あいつがよく、孫を連れて遊びに行った写真を送ってくれたよ」

「……え?」


 言われた意味がわからず、茜は公園から視線を引き剥がしてキヨを見上げる。


(あいつって、誰?)


 随分、親しそうな口ぶりだったけれど。それに私の家の近くの公園と同じ?


(なんでそれを知ってるの?)


 聞きたいことがいくつも脳裏に浮かんでくるが、茜が口を開く前にキヨはすっと視線を外して再びすたすたと歩いていってしまう。


「ほら、いくぞ」

「あ、ちょ、待ってよ!」


 四つ角を曲がって消えたキヨ。その姿を追って、少し遅れて茜も駆け足気味に角を曲がると、そこには驚きの光景が広がっていた。


「なんで……この家が……」


 そこにあったのは、茜のよく知る実家の建物そのものだった。

 茜自身は大学入学と共に家を出てしまったけれど、今もあの家には母が一人で住んでいるはずだ。


「この街は、死んだ人間の思いでできているんだ。霊になったあと、全然違う家に住みたがるものもいれば、思い出の残る生前の家をそっくりそのまま再現して住むやつもいる。誠司は後者だったんだろう。でも、完全に同じってわけでもないだろ?」


 言われてみれば確かにそうだ。一瞬、そっくり同じに思えたけれど、よく見ると細部が所々違う。


 一番違うのは、軒下に赤い提灯がいくつもぶらさがっていることだ。提灯は赤く淡い光を発しており、家の中もほっとするような明るさに満ちていた。

 そのあたたかな光の中に祖父がいる気がして、茜は引きつけられるように家へと近づく。


 しかし、それをキヨが茜の腕を掴んで引き留めた。


「なに? あそこにおじいちゃんがいるんでしょ?」


 早くおじいちゃんに会いたい。会わなきゃ。会って、謝らなきゃ。そう心は急くのに、キヨは俯き加減で茜の腕を掴んだまま放してくれない。

 しばしの無言の後、彼は言いにくそうに低い声で告げた。


「……すまない。その家にはもう、お前のじいちゃんは……誠司はいないんだ」

「……え?」


 驚く茜に、キヨは伏し目がちだった視線を茜に向けて言う。


「誠司は、お前が二十歳になったときに来世へと旅だった。『もう茜は大丈夫だ。立派な大人になった』って、満足そうに言って……」

「そんな……。じゃ、じゃあ、ここにはおじいちゃんはいないの?」

「そうなるな」


 茜は、足から崩れ落ちるように地面に座り込んだ。


 せっかく会えると思ったのに。今度こそ、謝ることができると思っていたのに。でも、涙はにじむモノのそれ以上出ては来ない。それよりも、ぽっかりと胸の中に大きな穴が空いたような、いや、もともとあった穴がさらに大きくなったような気分だった。


 そのとき、ふさっと頭を撫でられる。見上げると、キヨがなんだかものすごく申し訳なさそうな顔をして茜の頭を撫でていた。


 祖父・誠司がよくしてくれたような優しく包み込むような撫で方ではなくて、わさわさと髪を荒らすような撫で方だ。


「……キヨ。あなたは知ってたのね。おじいちゃんのことも。おじいちゃんがもうこの『たまゆらの街』にいないことも」


 キヨの手を払いのけると、茜は乱れた髪を手で直しながら彼をにらみ付けた。

 キヨは小さな苦笑で茜の瞳を受け止める。


「すまない。でも、この家の姿を見せたかったんだ。ほら、見てみろ」


 キヨが実家とよく似たその建物を指さす。


「あの家の庇にあるいくつもの提灯。あれはな。現世にいる人たちが故人を偲んだときにその想いや気持ちが照らすものなんだ。誠司の家があんなにあたたかな光にいまも包まれているのは、お前や現世にいる人たちが誠司をいまも偲んでいるからだ。誠司はこの光の中で、ずっとお前たちを見守っていたよ」


 茜は家につるされた提灯に目をやる。


「現世の人たちの想いが……?」


「ああ。あの中にはお前が灯した提灯もあるだろうな。誠司はそれを毎日見ていたんだ。お前の思いなんて、とっくにあいつには届いてたんだよ」


「おじいちゃんは、知ってたの……? 私の気持ち……」


「言葉は伝えられなくても、想いはちゃんと伝わってる」


 キヨはそう言い切った。


 提灯の仄かに明かりが、みるみる滲んでいく。いつの間にか、茜の目に涙がいっぱいにたまっていた。


 茜は堪らず叫んだ。


「おじいちゃん……・。おじいちゃん、私、言いたかったの! おじいちゃんが大好きだって! いつまでも一緒に暮らしたかったって! たくさんの思い出をありがとうって!!」


 たまった涙は頬を伝ってぽろぽろとこぼれ落ちた。


「それを伝えなきゃって、ずっと思ってて、苦しくて……でも、とっくに届いてたのかな」


「誠司がこの『たまゆらの街』を去るときも、最後まで気にしてたのはお前のことだった。でも、あんまり『たまゆらの街』に長くいると、先に来世に行った奥さんと年が離れすぎてしまうからって言ってな。あいつ、また次の人生で絶対奥さんと巡り会ってつきあうんだって意気込んでたから」


「え……奥さんって、おばあちゃん?」


 祖母は介護が必要な状態だったので施設に入っていたが、祖父が亡くなる数年前にこの世を去っていた。だから、祖母のことはほとんど記憶にないのだけど、母からはとても仲の良い夫婦だったと話に聞いたことはある。


「そっか。おじいちゃん、またおばあちゃんと会えてたらいいな」


 涙を拭えば、自然と顔に笑顔が浮かんだ。


「そうだな。きっと会えてるよ」


 もう一度、キヨは茜の頭をわさわさと撫でた。同じくらいの年頃に見える人に、そう何度も頭を撫でられるのはちょっと恥ずかしい。


 それに、そのぎこちない撫で方にどことなく覚えがある気がしていたのだけど、それがなぜなのかわかってしまった。


「おじいちゃんももう先に進んでいるんだね。私も、いつまでも過去に捕らわれてちゃだめだよね」


 よいしょっと立ち上がると、手でスカートの汚れを払う。


 祖父には会えなかったけれど、気分は晴れやかだった。空いたと思っていた心の穴は、提灯のあたたかな明かりで満たされていつの間にか塞がっていたのかもしれない。


 茜はもう一度、祖父の住んでいた家を振り返る。


「いままで、いっぱい。ありがとう。おじいちゃん」


 小さく声をかけると、家の光が一瞬強く輝く。


 茜には、祖父が応えてくれたように思えた。

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