第二話 祖父との悲しい思いで

 あの日から。


 あの日から、茜は泣けなくなっていた。自分には泣く資格なんてないんだ。どんなに悲しいことがあっても泣いていい人間じゃない、そう思うと途端に涙はひっこんでしまう。あとに残るのは、苦い後悔の気持ち。


 もしできることなら、祖父に謝りたい。あんなことを言ってごめんなさい。何度も何度も心の中で謝ってきた。でも、その祖父はもうこの世にはいない。


 あの日、茜は放課後、祖父と一緒に映画に行く約束をしていた。

 封切りしたばかりで、とても人気のあったアニメ映画。


 特に子どもたちが映画館に駆けつける放課後や土日のチケットは全然とれなくて、それを祖父とスマホで何度もねばってようやくチケットが二席分とれたのだ。

 クラスメイトにもまだ誰も見にいった友達はいなかった。茜が一番乗りになるはずだった。


 学校でも散々友達にうらやましがられて、「えへへ、いいでしょ。おじいちゃんと頑張ってチケット取ったんだ」なんて自慢して、授業が終わるとわくわくしながら走って家にまで帰ってきた。


 でも、自宅に戻るといつもなら祖父しかいない家の中から、誰か知らない男の人の声が聞こえてくる。


 リビングに行ってみると、誰か知らない人がいた。祖父と向かい合わせに座って将棋を指している男が振り返る。祖父と同年代とおぼしき男の人だった。祖父は穏やかな人だったけれど、その人は祖父とは対称的に声も身振りも大きく、闊達に笑う人だった。その人は茜を見て、


「お、誠司の孫か。大きくなったなぁ」


 目をくしゃっと和らげて笑うと、立ち上がって茜の頭を撫でてきた。


 祖父の包み込むような優しい撫で方じゃなく、わさわさと髪を荒らすような撫で方に茜は少しむっとなったことを今も覚えている。


 その人は祖父の幼なじみで、数年ぶりに地元に帰ってくる用事があったためついでに祖父の家へ寄ったのだという。夜にはもう地元を発ってしまうらしい。

 そんなわけで、映画に行く約束は急遽延期になってしまった。


「私たちももう、こんな歳だ。コイツとはもう二度と会える機会はないかもしれない。だから、ごめんな茜。映画はまた今度行こう」


 そう言って祖父は申し訳なさそうにしていた。

 だが、せっかく頑張ってとったチケットだったのに、楽しみにしていたのにと茜は涙が止まらなくて、祖父にきつい言葉を投げかけた。


「今日じゃなきゃ駄目だったのに! おじいちゃんの馬鹿! おじいちゃんなんて、大っ嫌い!! おじいちゃんなんて死んじゃえばいい!!」


 そう茜が叫ぶと、祖父はとても悲しそうな顔をした。


 一瞬、すごく悪いことをした気持ちになった茜だったが、吹き出した気持ちはもう落とし所が見つからなくて、さらにきつい言葉を祖父に投げつけると家を飛び出してしまう。


 でも、あてもなくぶらぶらと近所を歩き回っているうちに、次第に怒りもおさまってきて、日が沈む頃には祖父に謝ろうと決めていた。


 当時の自宅は、古い引き戸タイプの玄関だった。夕焼けの赤い光に照らされた玄関ドアを睨みながら、祖父へどうやって謝ろうかと頭の中でなんども謝罪の言葉を反芻して、意を決して引き戸を開ける。


 その茜の目に飛び込んで来たのは、玄関の上がり框のうえに倒れ込んだ祖父の背中だった。


「おじい、ちゃん……?」


 祖父は、ピクリとも動かなかった。





 夕焼けに赤くそまる玄関。そこに倒れたまま動かない祖父の背中。

 あの日の光景が今も目に焼き付いて離れない。それなのに、そのあとのことは記憶が曖昧だった。


 葬式の席で母が、祖父は遠方から来た友人を玄関まで見送り、部屋へ戻ろうと玄関の上がり框をあがったところで脳卒中を起こして亡くなったのだろうと話していたのだけ、ぼんやりと覚えている。


 そんな一連の古い記憶を思い出して、茜はもう一度深いため息をついた。


「ああ、もう今日は寝ちゃおう」


 苦い記憶を振り払うように頭を振ると、茜はがばっと起き上がる。傍らに置いてあったコンビニの袋から缶チューハイを取り出して開け、喉にいっきに流し込んだ。

 こういうときは、おもいっきり酔って寝てしまうに限る。

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