25 - 成功の知らせ

 一週間が経った。


 水曜日の仕事帰り、山本はある居酒屋の前で彼らがやってくるのを待っていた。


 明秀大学附属高校で騒動があってから、山本は上司から単独行動を注意されたが、犯人を逮捕し、人質に取られた生徒を無傷で救出したことを同僚から称賛された。


 本当は圭、斗真、凛があの状況を打開したわけだが、すでに警察組織に所属していない民間人による勝手な行動は後々彼らも非難される恐れがあり、山本は手柄を奪ったようで罪悪感を持ちながらも真実を隠した。


 そのお返しといってはなんだが、久々に彼らと集まる約束をしたのだが、それならかつての犯罪対策課のメンバー全員で集まろうと斗真が声をかけた。


 偶然にも全員の予定がついたことで、急ぎ行きつけの居酒屋に予約をとったが、同僚が気を遣って早く帰してくれたため、予定より早く着いてしまった。当然まだ誰も来ていない。


 彼らと出会ってからすでに五年の月日が流れ、仕事上の付き合いだけでなく、プライベートでも相談にのることもあった。子供といってもおかしくないほどに歳が離れた部下たちだったが、本当の家族のように、同僚という垣根を超えた関係になったと想っている。


 「山本さーん」


 山本が感慨に浸っていると、遠くから元気な女性の声がした。その方向を見ると、笑顔で手を振りながら歩いてくる桜と、その隣に斗真の姿があった。


 まだまだ実年齢に比べると幼い容姿の桜だが、服装や雰囲気は確実に大人の女性になっている。これも恋の力だろうか。



 「おう、仕事は順調か?」


 「はい、バリバリやってます」



 桜は両手を握って脇を締める。動作はまだまだ可愛らしい。



 「斗真、いろいろと助かったよ。ありがとな」


 「いえ、こちらこそ」


 「で、ふたりのプライベートはどうなんだ?」


 「大切にされてます。素敵な彼氏に」



 桜が無邪気に笑う隣で、斗真は恥ずかしそうに俯く。


 彼らの関係は安泰だろう。



 「あ、宗馬さんが来ましたよ!」


 「ご無沙汰しています」



 白シャツにブラウンのジャケットを羽織った宗馬がビジネスバッグを右手に持って現れた。彼は会社員として優秀な成績を収め、安定した地位を築いている。



 「久しぶりだな。子供は元気か?」


 「はい、もうヤンチャで大変です」



 宗馬は子供を大切にする良き父親であることだろう。妻の聡美に頭が上がらないと言っていたが、夫婦は妻が強いくらいでちょうど良い。経験者がこう思うから間違いない。



 「すぐそこで藤と凛を見ました。もう来ると思います」



 晴れて夫婦となったふたりは仲睦まじく暮らしているようだ。この夫婦の場合も妻が実権を握っていることは想像に易い。苗字が藤に変わった凛だが、仕事では小鳥遊を名乗っているそうだ。


 噂をしていると、藤と凛が手を繋いで歩いてくる姿が見えた。



 「ああいうのいいよね」


 「そうだね」



 桜が斗真に小声で呟いた言葉をはっきりと聞いた。プライベートではタメ口で話す仲になっていることが喜ばしい。



 「おっす!」



 相変わらずの挨拶をする藤に、宗馬は懐かしさを覚えた。しかし、隣にいる妻に声が大きいとダメ出しをされてすぐに謝ることになった。



 「ふたりとも、今回の件手伝ってくれてありがとう」


 「全然。私はあの子たちを助けてあげたかっただけだから」


 「おう、俺でいいならいつでも手伝うぜ」



 変わらない。このメンバーで集まると、すぐに当時の記憶が蘇り、その場所に戻ることができる。この関係をこれからも長く続けていくことができればと願う。



 「あとは圭だけか」


 「圭ならすぐに来ますよ。ちょっと用事が長引いています」


 「ん? そうか」



 なぜ宗馬が圭の用事を知っているだろうかと疑問を持ったが、圭が遅れてくることはもはや必然、時間通りに来ることの方が気持ち悪いとさえ感じる。



 「なら、先に入りましょうか。もう予約の時間ですし」



 司令塔の斗真の提案に賛成し、メンバーは居酒屋の扉を開けた。


 まだ夕方も早い時間であり、店内に客はひとりもいない。予約席と札が立ってある座敷のテーブルに向かい、六人はそれぞれの席につく。


 この場にいるべきもうひとりの仲間は元気にしているだろうか。圭の話では、日本を遠く離れた故郷の高校でバスケットボールのコーチをしているらしいが、彼であれば近況を知っているかもしれない。あとで聞いてみよう。



 「とりあえず生でいい?」



 凛の質問に頷いたのは斗真と桜を除いた四人。


 彼らはお酒を好まないが、大人の付き合いというものがある。ふたりは飲み易いチューハイを注文した。


 その注文を終えたところで、圭が扉を開けて店内に現れた。



 「こっちだ、圭」



 宗馬が手を挙げて居場所を伝えると、圭はまっすぐ座敷に向かってくる。なぜかネクタイを締めてスーツを着ていた。刑事でいた当時に比べると、しっかりと着こなしている。



 「なんでスーツなんだ?」



 藤の質問に答える前に、圭は革靴を脱いで座敷に上がり、空いていた座布団の上に座った。



 「就職が決まったんだ」


 「本当に⁉︎ おめでとう!」



 驚いたのは山本、藤、凛の三人だけだった。



 「斗真がビジネスマナーを教えてくれて、父さんの会社に入ることができた」


 「圭はちゃんと入社試験を受けて、社長の息子としてじゃなく、ひとりの社会人として内定をもらったんだ。入社はもう少し先だけど、俺の部下になる」



 社長であり圭の父である俊哉は、最初から入社を許可する予定だった。しかし、圭がそれでは周囲の社員に示しがつかないと自ら入社試験を受けることを申し出た。


 まったく社会経験がない彼が、一流企業の内定を得ることは簡単ではなかったはずだ。


 山本はそこで合点がいった。


 斗真は圭にずっとビジネスマナーの訓練を行っていたことを桜が知らないわけがない。宗馬は、圭が部下として入社してくることを知らされていたわけだ。



 「斗真、ありがとう。これでやっと、前に進むことができる。宗馬さんも、これからよろしくお願いします」



 圭は座布団に正座して彼らに頭を下げた。その姿は、他人を信じることをやめ、ひとりで戦ってきたあの頃の圭からは想像できない光景だった。



 「圭の努力だよ。おめでとう」


 「プライベートでは友人だ。かしこまらなくていい」



 斗真と宗馬は笑顔で圭を見つめる。



 「やべ、俺なんか泣けてきた」


 「なんで誠也が泣くのよ」



 隣で藤の肩を叩く凛の目に薄らと涙が浮かんでいる。



 「圭、お前の人生はこれからだ。これから自分のため、家族のため、そして、麻衣ちゃんのために生きるんだぞ。山縣さんもきっと喜んでる」


 「ああ、そのつもりだ。まだまだ時間はたくさんある」



 明日にでも墓に行って報告をしよう。俺の人生は山縣さんのおかげで希望を持った。


 我が子が旅立つような寂しさと、これからの希望に満ちた人生が成功することを祈る親のような感情に浸る山本は、大声で店員に生ビールをひとつ追加で注文した。大声でないと、鼻声になりそうで怖かった。



 「山本さんは定年まで捜査一課で刑事やるの?」



 凛は答えを聞かなくてもわかる質問を山本に投げかけた。



 「あと五年、最後まで現場を走り回るつもりだ。俺に管理職は向いてない」



 犯罪対策課課長だった頃の山本は立派にその重責を成し遂げたが、本人はもう二度と御免だと思っている。



 「圭、アリシアとは連絡取ってるのか?」



 全員が久々に聞く名前だった。短期間でも共に戦った仲間の近況は自然と気になってしまうものだ。



 「最近はあまり。けど、毎日楽しんでるみたいだ。来年には親友が出所するから、それまでお金を貯めるって張り切ってた」



 アリシアが前向きに生きていることが知れて良かった。彼女もまた、様々な苦しみを味わった。その分、明るい未来が待っていることを祈る。


 刑務所にいる萌音もまた、刑期を終えたら自らの人生を選択することができる。もしそのとき、助けが必要なら圭はサポートするつもりでいる。



 「なら今日は事件の解決と、圭の就職祝いだな。俺が奢るから好きなだけ食って呑め!」



 山本は気分が良くなって大風呂敷を広げた。きっと妻も今回の散財を咎めることはないだろう。


 こんなにも嬉しいことはない。閑職に追い込まれたはずの人事異動は、素晴らしい出会いをもたらし、その出会いは全員の人生を大きく変えた。


 人数分のアルコールが揃い、それぞれがグラスを持つ。



 「よし、それじゃ、圭の就職と、皆のこれからの人生がうまくいくことを祈って乾杯!」



 他に客のいない店内にグラスが当たる音が響く。


 これから何度この音を聞くことになるだろうか。一度でも多く、心地よいこの瞬間に立ち会いたいと思う山本だった。

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