5 - 裸の感情

 都内にある中央病院は、昨年大きなテロ事件があったせいで改装工事があった。


 すでにその工事は終わっており、かつてあった建物より綺麗な外観に変わっている。


 芽衣咲と春香は学校から寄り道せずにこの病院にやってきた。


 エントランスを入り、総合受付に立ち寄ろうとすると、すぐそばを先ほど学校で会ったふたりの刑事が通る。



 「君たちも病院に来たのか」


 「はい、彩華のことが心配で」


 「彼女は無事だ。まだ意識は取り戻していないが、命の心配はないそうだ」


 「本当ですか⁉︎ 良かった・・・」



 山本の言葉に春香は胸を撫で下ろし、大きく安堵のため息をついた。



 「残念だが、まだ面会は禁止だ。会うことはできないよ」




 隣にいる島原が、あとで落胆しないように真実を伝える。


 意識が戻っていないことと、もし目を覚ましたとして、精神的なダメージが大きいことが想定される。ある程度落ち着くまでは、家族以外の面会は禁止することが妥当な判断だろう。



 「わかりました。あの、彩華のお母さん来てますか?」


 「ああ、さっき話を聞いてきたよ。病室にいるんじゃないかな? 五階だよ」


 「ありがとうございます。行ってみます」



 山本と島原は病院をあとにする。


 芽衣咲と春香はふたりの背中を見送ったあと、ロビー奥にあるエレベーターに乗った。



 「良かったね」


 「うん、良かった。でも、どうして彩華がこんな目に遭ったのか、私は知りたい」


 「調べる気なの?」



 春香は芽衣咲の問いに答えなかったが、その表情は怒りに包まれているようだった。強い決意が目に宿っている。


 エレベーターは五階に到着し、ふたりは廊下をまっすぐ歩くと、ナースステーションの前にやってきた。


 看護師に関口彩華の病室はどこかと尋ねるが、家族以外には教えられないと断られてしまった。


 だが、このフロアにいることは間違いないのだ。


 春香はナースステーションを離れ、廊下をさらに奥に進む。芽衣咲は黙って彼女のうしろをついて歩いた。



 「春香ちゃん?」



 壁際で電話をしている女性がこちらを見た。四〇代の女性で、春香と面識があることから、彩華の母親だろう。


 娘が自殺を試みた知らせを受けたとき、どのような気持ちだったのか。


 苦しみに気付いてあげられなかったことを責めたかもしれない。気持ちを考えると、胸が苦しい。



 「お久しぶりです」



 春香は頭を下げる。彼女も責任を感じているのか、長い時間顔を上げようとしなかった。



 「お見舞いに来てくれたの? ありがとうね」



 春香に感謝を伝えてから、彩華の母は芽衣咲を見る。



 「清水芽衣咲です。春香のクラスメイトで・・・」



 彩華とは話したことすらない。この状況で、なぜ芽衣咲が見舞いに来たのかと問われると、説明が難しい。



 「春香ちゃんのお友達なのね。来てくれてありがとう」



 この状況でも、彼女は優しく芽衣咲に語りかける。



 「今は家族以外には会わせないように先生に言われてて、今日はまだ病室に入ってもらうことはできないの。ごめんなさいね」


 「いえ、彩華が助かったことを知れて良かったです。私、高校生になってから彩華と違うクラスになって、全然話すこともなくて、こんなに苦しんでること、気付いてあげられませんでした」


 「仕方ないわ。毎日顔を合わせる私でも、あの娘が考えてたことがわからなかった。少し前まではすごく楽しそうにしてたのに・・・」



 少し前まで楽しそうにしていた。そこから絶望に突き落とされるまでに一体何があったのだろうか。



 「実は、春香ちゃんだから話すんだけど、こんな日記が鞄に入ってて」



 母が取り出したのは、一冊の日記帳だった。差し出されたそれを春香は手に取り、恐る恐るページをめくる。


 間違いなく、そこには見覚えのある彩華の文字が並んでいた。中学生の頃より綺麗な字を書くようになったようだが、特徴はまさに彼女のそれだ。


 日記の序盤は、二月から始まっていた。内容から察するに、今年の二月だろう。


 内容は前向きなものばかりで、好きな人ができたと書かれてある。相手が誰か言及されていないが、両想いになり、恋人同士になったようだ。


 そして、四月五日、毎日が楽しくて仕方なかったと書かれている内容が、次第に下降をはじめる。


 彩華の日記には、人の名前がまったく出てこない。


 彼氏との楽しい日々が、突然裏切りによって終わりを告げ、学校で虐めを受けるようになった。


 ノートに落書きをされ破られ、教科書をゴミ箱に捨てられ、授業をまともに受けることもできなかった。


 だが、周囲の人間がさらに助長しないように虐められていることを隠そうとする彩華がいた。


 四月二六日、一昨日で日記は終わっていた。


 親に真実を打ち明けて相談することもできず、ひとり苦しみに耐える彩華の声が並べられてあった。


 そのページには、涙が落ちた染みがついていて、彼女が葛藤の中で苦しみながら吐き出せない想いが書き殴られている。



 「彩華・・・」



 春香は最後まで日記に目を通し、耐えきれずに涙を流す。


 クラスが違ったから、会うことがなかったから、そんな理由で親友が地獄の日々を送っていることに気付いてあげられなかった。


 後悔が肩に重くのしかかる。



 「私、調べる。虐めをしていた人間を見つけて、学校に訴える。彩華が回復したときに、戻ってこれる場所を作っておきたいから」



 春香は日記帳を綾華の母に返すと、自らの思いを宣言した。



 「気持ちはありがたいけど、それで春香ちゃんが嫌な思いをするならやめてほしい。彩華もそんなこと望んでないと思う」



 虐めをした人間は、自らのせいでひとりの生徒が飛び降り自殺をしたことで恐れているだろう。


 被害者の心配ではなく、自らの将来と保身のために。


 そんな身勝手な人間をこのまま許すことはできない。同じ思いをさせてやりたい。



 「大丈夫です。私はひとりじゃないから」



 春香は芽衣咲を見つめ、その目は協力してほしいと懇願している。


 危険かもしれないが、まったく知らないといえど、芽衣咲も彩華の苦しみを思うとなんとかしてあげたいと思った。



 「うん」



 芽衣咲は頷いて、春香に協力することを心に決めた。



 「心配しないでください。慎重に動きますし、警察も調べてますから」



 彩華の母は言葉を発することなく、ただ頭を深く下げた。


 肩を震わせていることは、見なかったことにしよう。

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