03-3《 187 burnt ochre 》
「はー、遊んだ遊んだ。そろそろねぐらでも確認しとくか」
湖畔で息を上げているわたしと対照的に、赤アリスは満足そうに岸に上がった。久々に大声を上げたりお腹を抱えて笑ったりしたので、疲れが一気に押し寄せる。そもそも、運動だってこんなまともにしたのは久しぶりだ。明日はひどい筋肉痛になるかもしれない。
日が陰り始め、頬を撫でる風が一層冷たくなっている。その冷たさが、火照った身体に心地好い。気が付くとわたしの靴底からスケートの刃はなくなっていて、元の──と言うにはべしゃべしゃな運動靴に戻っていた。
赤アリスが言うねぐらとは、スケートの間に見つけた小さなログハウスのことだった。
訪れたときは樹々で隠れていたため気づかなかったのだが、湖につながるように拓かれた道の先に、ぽつんと存在していた。てっきり声をかけて泊まらせてもらうものだと思っていたので、いきなりドアを開け放った赤アリスに驚いてしまった。ずかずかと上がり込む赤アリスを横目に周囲を見回し、「お邪魔します」とほとんど意味がなさそうな小声で挨拶する。誰か中から飛び出して来るのでは、あるいは帰って来るのではと窺っていたものの、どうやら無人らしい。それにしては、ついさっきまで人が居たかのように綺麗な家だった。
ゆっくり足を踏み入れて見回すと、こじんまりとしているがあたたかみのある可愛らしい内装だ。しばらく部屋を歩き回って何やら物色していた赤アリスが、暖炉に薪を投げ入れて火を点けていた。わたしも壁に並んだフックに着ていた防寒具をかける。
話題が見つからない。かと言って、せっかく再会できた上に追い返さずいてくれる彼女に何のコミュニケーションも取らないのは、自分がここに居る意味もなければ彼女に対しても失礼ではないかと感じた。しばらく壁際でじっとした後、暖炉の方に近づきながら行き当たりばったりに話しかけてみる。
「でも、びっくりしました。街にいたときはあんなにぬくかったのに、隣町がこんな雪の森になってるなんて」
「今回は特別境目が近かったよな。この森を見るに大して広くもないんだろ、何日もさまよう羽目にならなくてラッキーだぜ」
「アリ……赤アリスさんも、ここに来るのは初めてなんですか?」
「おまえ、そろそろその喋り方どうにかなんねえの? さん付けとか気色悪ィからやめろってば」
指摘に萎縮して、小さな声で謝る。それすらも面倒そうに赤アリスは鼻を鳴らしたが、押しつけられたマグカップには温かい飲み物が入っていた。ワインのような色をしているが、少しシナモンの香りがする。飲んでみるとほんのり甘くて美味しかった。
「この湖は最近できたらしくてさ。噂を聞いたときにはもうアリスも居なくなってるって話だったし、消えちまう前に来たかったんだよ。実際思ってたよりいいとこだったし、飛ばして来た甲斐があったってもんだ」
赤アリスは暖炉の前にどっかりと腰を下ろし、カップに口を付けたあと、どこからか取り出した干し肉のような物をむしって食べていた。その食べ合わせはいかがなものだろうか──と、心の中でツッコミを入れる間にふとした違和感が頭をもたげる。呆けた顔でもしていたのだろうか、こちらに視線を寄越した赤アリスが噛みちぎられ干し肉を振りながら言う。
「なんだよ、気付いてなかったのか。この湖も、あの屋台街も、元はアリスが《つくった》場所だぜ」
『見たいものぜんぶ この目から 欲しいものぜんぶ この指から』
あの歌の節が、頭の奥で反響した。意外と覚えているものだ。
「心象風景っつーの? ここじゃアリスの見たいもんが投影されて、街やら森やら……そういう場所になってんのがほとんどなんだ。誰かが思い描いた景色なんだから、思い描いてるやつが居なくなれば消えるし、他のやつの想像が重なって形が変わっていくこともある。誰も居ないのに長いこと残ってる場所もあれば、誰かが居ても端から消えたり作り変えられたりすることもある」
「それじゃあ、あの街にも……他のアリスがいたの?」
自然に、無意識に、過去形で問いかける。
「今は居ねえんじゃねえか。居たとしても、おまえみたいに力が弱っちいのとかさ。あそこはあれだ、イジンの方が影響されてるちょっと変わったとこなんだよ。住んでるアリスが居なくなっても、しばらくは消えねえんだと思うぜ」
アリスの力はそんなことまでできるのか。想像よりずっと、なんでもありな世界だ。見る人が見れば、まるで夢の中のように自由な世界だと思うのかもしれない。
自分のしたいことが好きなようにできて、見たいものを見続けられる世界。
「……ここに居たアリスさんは、どこに行っちゃったのかな」
「さあな、やることがなくなったんだろ」
──そんなもの、地獄以外の何と呼べばいいのだろう。
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