第9話

 喫茶店のコーヒーを改めて啜るとドブのような味がした事を覚えている。コーヒーが酷かったのか僕がそう感じただけなのかは定かではないが、いずれにしても飲み干すのは躊躇われた。しかし、その目の前に置かれたコーヒーは、薄く潰れた懐から出した金で買ったもので、一口付けてそれっきりというのは身が斬られる思いがしたのだった。

 金がないと心も貧しくなるもので、何かにつけて意地汚く、執念深くなってしまう。

 軽い懐を思いながらコーヒーを見る。深く、漆黒の液体は底が知れず、逆に僕が覗かれているような気さえする。こんなものに金を払ったのかと悔しくて堪らず、それでも体内に入れなければならないと決心し勢いをつけて飲み干すと、口の中に苦いような、酸っぱいような、薄いような、濃いようなコーヒーの味が満ちた。目眩を覚え、急いで店を出て、角にある茂みに吐き戻す。惜しい惜しいと我慢して呑み込んだコーヒーが胃液と共に散乱し、雑草を汚しているのが目に入った。胃に入れた以上の物を出してしまっては本末転倒も甚だしく、つくづくがめついた自分の愚かさに嫌気が差す。嫌悪以外の感情が見つからない。

 自意識の存在が煩わしく、自我というものの存在に堪えられなくなりそうだった。僕は覚束ない足取りで酒屋へ向かいウィスキーを買った。できるだけ値段が安く、アルコールの強いものを選んだ。帰るまでに我慢できず封を切って口に入れると、強い刺激が舌を通り、腹の中へ下っていく。胃がかぁっと熱くなり、血が巡っていくのが分かった。もう一口、二口と進める。少し安堵したような、苦しみが霞んでいくような感覚となる。不安や悲観がみるみると塗り潰され、酩酊による錯乱に身を任せると、全て上手くいくような楽観に陥り、気分よく、足取り軽く、何もない自室に戻る事ができた。僕はそのまま余った酒を浴び、そのまま気を失った。目が覚めたのは夕方だった。吐き気と頭痛が自らの愚行を責めるも、僕は、蓋が空いたままのウィスキーにすがり、再び苦悩を遠ざけるのだった。

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