第2話

 また、質の悪い事に僕には一端の良心が備わっていて、内心で口悪く汚言を吐きかけると、しばらくして悪辣なる自己への否定が始まり、胸が痛くなるのだった。


 あの人に何かをされたわけでもないのに。


 当たり前の事であったが、僕ははじめて気が付いたように驚き沈んでいく。先まで人知れず罵り、なんなら想像の中で凄惨に殺し捨てた人間に対して申し訳なく思い、支離滅裂な罪悪感を抱くのである。乖離した思想の連なりはジキルとハイドを連想させたが、彼の小説と異なるのは、表の人格であるハイド博士とは違い、僕は矮小で貧相な人間であるという事である。善人に潜む悪意ならばエンターテイメントとしての見応えもあるだろうが、小人の陰りなどありふれていて退屈極まりない。僕は悪人としての価値もない貧しい市民でしかなく、何者にも視線を向けられる事なくぽつり浮かぶ路地裏のカビと同じだった。

 こうした鬱屈とした生き方をしているとどうも自己憐憫の念が育まれ、自分が大変惨めであるように思えた。他人と比較して、あれができない。これを持っていない。どうして僕には何も用意されていないのだろうと悲嘆し、ますます世の中が憎らしくなっていく。その怨嗟は通りすがりに留まらずあらゆる存在に向けられたのだが、中でも顕著だったのはテレビや雑誌に出るような人間に対してだった。無闇に善意に溢れたような物言いをする者や正論を振りかざす者に怒りが湧いたし、したり顔で曲論、暴論、自論をたれて人心を掌握せんとする扇動者も我慢ならなかった。一昔前なら「こんな人もいる」と許せていた人間が、段々と怨敵が如き存在となり、見たり聞いたりするだけで苛まされるのだった。だが、これは至極当然な話なのだが、いくら名の知れた人間を批判したとしてもその声が届くはずもなく、一方的に並ぶ非難が、より一層僕の気を狂れさすのだった。この世の全てが障り、我慢ならない。我慢ならないのだ。

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