第28話 久保田さん、久保田さん、久保田さん(3)
「とりあえず、うちにもどりますか」
横に置いていたバケツを手にもって立ち上がる。
「そのバケツは?」
「クラゲさんたちのお家が粉々に粉砕されてしまったので、海に帰してやりました」
「なるほど。故郷に帰れてよかったですね。きっと幸せに暮らしますよ」
「はい」
歩き出す。沙莉は久保田さんのとなり。
「相内さんはどこにいってたんですか?」
「美作さんと対決する覚悟で水族館に」
「げっ」
「でも、久保田さんいないっていわれたから、美作さんにも会いませんでしたよ」
「そうですか」
ほっとした様子。憎い。
「金子さんに励ましてもらいました」
「あれでけっこう繊細な気持ちも理解するんです」
「美作さんのことは心配いらないっていってましたよ。ずっと片思いだからって。結婚申し込んだことも知らずにノン気なものです」
「金子さんでも、話せる内容じゃないんで」
「でも、四年も五年も片思いのままにしておくなんて。ヒドイ男ですね」
「いや、こっちは普通に同期だって思ってたんですよ。まだ最近です。結婚の話は」
「いつの話ですか」
「えっと。相内さんが高崎に帰省してるとき、かな」
「ふーん、それまで気づかなかったんですか。まったく?」
「申し訳ない」
「ほとんど犯罪ですよね」
「ほかの男に目を向けた方がいいんじゃないかと思いませんか?」
またこれだ。誘導尋問。
「思いませんよ。好きな人が目の前にいるなら、ほかの人なんか目にはいらないのが当たり前です」
「申し訳ない。金子さんにいわれたんですか?堤防にいるって」
「いえ、それが不思議なんですよ。ペンスケが。堤防でぼうっとするのが好きだっていってたって教えてくれたんです」
久保田さんが立ち止まる。
「それ、声が聞こえたんですか?」
「そうなんですよね」
首をかしげる。
「わたしの話聞いて泣いてくれて」
「それは涙じゃありません」
「ううん、目から涙でてたんですよ。頭を激しく振って飛ばしてたけど」
「ペンギンは目から液体を出すことがあるんですけど、それは涙じゃないんです。ウミガメが砂浜で産卵するときに目から液体をだすのと同じなんですけど」
「あれ、涙じゃないんですか?ペンスケも?」
「涙じゃないんです。ペンギンって、まわりに海水、つまり塩水しかないわけですけど、生きるのに真水が必要なのは人間と同じなんです。それで、塩水を取り込んでおいて塩分を漉すことで水分を取ってるんです。で、漉して濃くなったほうの塩水は目から排出されるってわけです。涙みたいに目から流れるのは、海水より塩分が濃くなった塩水なんです」
「でも、気持ちは泣いてくれてました。泣けてくるって言ってたもん」
「まあ、そうかな?」
久保田さんをにらむ。誰のせいだ。文句言う資格なんかないくせに。
「ペンスケは本当に人間の言葉が話せるんですか?」
「え?えーと、空耳じゃないですか?」
にらむ。
「相内さん、キレイな目ですよ?」
「ありがとうございます。本当は?」
「本当にキレイだって思ってますって」
「そうじゃなくて、ペンスケは本当にシャベらないんですか?」
「まあ、おれにもシャベってるように聴こえることがなきにしもあらずっていうか。秘密ですよ?」
「誰が知ってるんですか?金子さん?」
「いや、二人だけの秘密です」
「ホント?」
「です」
「すごい。すごいですね、ペンスケ。久保田さんが育てたから?」
「さあ?インチキ関西弁なんて教えたことないんですけどね」
完璧にペンスケがシャベるの認めてるじゃないか。もう、下手にごまかそうとする。
「ああ、もっとペンスケとオシャベリしたい」
「やめてください。ほかの人にバレます」
「そっかー。大騒ぎになって、ペンスケ焼き鳥にされて食べられちゃうかもしれないし」
「大騒ぎになったって焼き鳥にはされませんけど」
空の色は暗くなった。ほとんど夜だ。
「昨日から今日は、人生最高の日であり、人生最悪の日でした。全部久保田さんのおかげです」
「そんなに責めないでください」
「あ、思い出した」
そう。久保田さんが急に消えてしまったからすっかり忘れていた。でも、もう限界だ。
「なにか、よろしくないことでも思い出しちゃいましたか」
「お腹空いてたんです。久保田さんの部屋にいるときから。もう我慢の限界ですよ」
「そんなことですか。よかったです。おやつのワッフルのあと、なにも食べてなかったですね。どこでなに食べますか」
「ハンバーグ。網脂でくるんだやつ」
「ああ、なぜかわからないけど、ジューシーなハンバーグですね」
「やっぱり網脂をつかうとジューシーになる効果があるみたいですよ?旨味を閉じ込めるんです。形も崩れません。わたし調べたんです」
「へー。やっぱり網脂、意味あったんですね。よかった」
以前一度つれていってくれたことがあるハンバーグのお店。前回と同じく、煮込みハンバーグの目玉焼きのせを食べた。煮込んでも崩れないのは網脂のおかげにちがいない。
久保田さんがいて、お腹もいっぱい。やっと落ち着いた。これで安心して帰れる。
久保田さんの部屋でアイスに紅茶でくつろいで、もう少ししたら帰らないと、明日からまた課題制作をガンバらなくちゃと思っていた。玄関のチャイムが鳴った。
「今日はありがと、壮くん」
久保田さんが鍵を開けたとたんにドアが開けられ、美人のお姉さんに抱きつかれた。
「なななんあ、あにしてっですかー」
マグカップをテーブルに投げ捨て、お姉さんを久保田さんから引き離す。お姉さんは、体にピッタリ張りついたような胸元の大きく開いたアンサンブルのニットを、谷間を強調するように着て、スカートもピッタリしたミニだ。アダルトだ。敵だ。
「相内さん、落ち着いてください。まず、回れ右してください。大きく深呼吸して。大丈夫、大丈夫。危険はありません。いいですか、見た目にダマされちゃいけません。相内さんと同じ人類。同じ性別です。仲間ですよー?」
「がるるるる」
お姉さんはやっぱりセクシーダイナマイトな姿でそこに立っていた。
「下の部屋の真下さんです」
「じゃあ、わたしを置いてこの人に会ってたってことですね」
「会ってたっていうか、天井に水が浸みちゃうかもしれないってお知らせしたんです」
「でも、それだけじゃないんでしょう?エッチなことされちゃったんですか」
「人聞きの悪い。そんなことしません。パソコンの調子をみたり、シャワーヘッドの調子をみたり、空気清浄機のフィルタを掃除したりですよ」
「なんでそんな彼氏みたいなことするんですか。一緒にお風呂はいったんですか」
「はいりません。シャワーヘッドは、つまってお湯が出ないところがあったんで掃除しただけです」
「こんな隠し玉があったなんて、久保田さんは本当に油断ならない浮気者ですね」
「本人を前に変なこと言わないでください」
「この子?芸大の子って」
セクシーダイナマイト真下さんがこちらを見ている。品定めか。
「そうですよ。なんの用ですか」
「つれないなー。怖いの?」
「怖いですよ。特に今日は」
「本当だ、キレイな目をしてる。それにちょっと怖い」
がるるるる。
「わかったら、なんの用できたのか話してください」
「はい、これお礼にもってきただけ」
久保田さんになにやら手渡すと、手を振り、長い髪をなびかせながらくるっとまわって行ってしまった。階段をおりるカツッカツッという音が聞こえてくる。久保田さんがドアを閉める。
「やっぱりご機嫌が斜度六十パーセントくらいでらっしゃいますか?」
「急降下であることはたしかですね。なにもらったんですか」
「ああ、チーズケーキです。真下さんの実家北海道で牧場やってるんです。おいしいチーズが送られてくるらしくて、チーズケーキ作ると、食べきれないからっておすそ分けしてくれるんです。そのお返しで雑用があれば承ることにしてるんですけど。ごめんなさい」
「ふん。それ食べたらさっきの人みたいになりますか」
「真下さんみたい?」
「おっぱいおっきかったですね」
「なにかとげがぶっ刺さった気がするんですけど」
「とげは常に研ぎ澄ましてますよ」
「なるほど。一緒に食べましょう」
久保田さんが皿にのせて出してくれたのは、チーズスフレだ。しっとりふんわり、チーズが濃厚でおいしい。イマイマしい。やっぱり乳製品が重要なのだろうか。いや、別に小さいわけではない。でも、大きいほうが久保田さんにアピールするだろうか。
「なんでじっとこっちを見てるんですか」
テーブルを拭いて、いれなおした紅茶をすする。
「久保田さんはおっぱい好きですか」
「なんの話ですか」
「くるぶしが好きなことは知ってるんですけど、おっぱいも好きなんですか」
「たしなむ程度には」
「大酒飲みと同じ答え方ですよ。おっぱい見たいですか」
「ノーコメント、ノーコメントです」
なにがノーコメントだ。見たいくせに。今日のところはこの辺で勘弁してあげるか。
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