第25話 真っ逆さま
船に朝食が用意してないから、すこしドライブして水族館なんかを海から眺めてから港にもどることにした。十月の海は寒くて泳ぐどころではないし。船にいても釣りもダイビングもしない人間には退屈なだけだ。
途中喫茶店でモーニングをとって、レンタカーを返した。澄んだ秋空が気持ちよくて、ぶらぶらと空を見ながら歩く。
「まえジェラートを食べたお店、いまはワッフルのお店になってるんですけど、興味ありますか」
「初デートの待ち合わせ場所ですね?ワッフルですか。甘い誘惑」
「ただの提案です」
「誘惑に逆らえない人間なので、苦しゅうないですよ?」
なにも考えないで、あたたかくて甘くて、カリっサクっなワッフルに、気分をほんわかさせる湯気の立つ紅茶でおやつタイムをノンビリすごす。平穏無事だ。人間にはこんな時間も必要だ。いつもなにかに追い立てられるように過ごしていたら、人間がとげとげしくなってしまう。いまは角が取れて丸い人間になった気分だ。体形がではない。
「このあとは遊園地でジェットコースターですか?」
「もうジェットコースターの季節は終わりましたよ」
「いまはなにをやってるんですか」
「ミニエスエルですね」
「ウソつき」
「ごめんなさい」
「つぎのこと考えてないんですか」
「解散ですかね」
「さすがに刺しますよ」
ナイフとフォークを手にとって、ワッフルを口に運ぶ。甘い。そして紅茶。
「じゃあ、動物園?」
「せっかく幸せなのに動物園なんて行きたくありません」
船に一晩泊まってなんだか疲れたから、どこにも出かけないことになった。久保田さんの部屋へ移動する。
「あーあ、夢みたいでした」
「よろこんでもらえてよかったです」
キッチンのテーブルについて、固まる。彩り豊かだった夢が、色あせてモノクロになってしまった。
「うっ」
「なんですか」
「嫌なことを思いついちゃったんですけど」
天国にいる気分だったのに。地獄に叩き落とされそうな予感。でも、思いついてしまったらもう遅い。いまさら立ち止まっても、ここはすでに地獄だ。
「忘れた方がいいです」
「もしかして、ほかの女の人も昨日みたいにクルーザーに乗せて泊まったりしましたか」
「しませんよ。クルーザーなんて簡単に借りられるものじゃないですし」
「美作さんも?」
「なぜ美作さんを目の敵にするんですか」
「わからないんですか。そうですか。もう全面戦争に突入ですよ、こうなったら」
ああ、もう。これで真っ逆さまだ。モノクロの夢の世界に、ヒビが広がる。
「わたしのことキレイとかほめるくせになにもしてくれないからですよ。同期なんて何人もいるはずなのに、美作さんの話しかしないからですよ。風邪ひいたときに介抱するのが手慣れてたからですよ。お互いになんでもわかりあってる雰囲気をかもしだしてるからですよ。わたしと一緒のところに美作さんと遭遇したとき気まずそうにして、でも美作さんは余裕で微笑んでて、敗北感を味わったからですよ」
もっといいたいことがきっとあるはずなのに、ポンコツの頭が引き出しを開けてくれない。
「なんか反論があるんですか」
「まずは落ち着きましょう」
「美作さんとはどうなんですか。なんかあるんですか。あったんですか」
「いや、親しいのは、同期の中でも同じ飼育員だからってだけで」
「じゃあ、美作さんとはなんにも一ミリもないんですか」
「あ」
夢の世界は完全に砕け散った。
「あってなんですか。あって。なにがあったんですか。正直にゲロったらどうなんですか」
「いや、うーん。聞かない方がいいというか。プライバシーというか」
「そんなこといわれたら、不安でいられませんよ。なんなんですか」
もう目に涙がたまっている。人生最高の日がつづくかと思っていたのに。いつの間にか立ち上がって久保田さんの肩にパンチしていた。
「美作さんに結婚を申し込まれたことがあるんです」
衝撃で全身に鳥肌が立った。もう涙は目から流れ出ている。
「で、断ったんですか。断ったんですよね。いつもみたいにキッパリ、シャッキリ、ポッキリ。断るっていったんですよね!えぇ?どうなんですか」
腕をふりまわして、どことも知れず久保田さんに当たり散らす。
「いやー、それが、うまくやっていけそうな気がす」
「うわぁー」
大きく腕を思いっきり引いたら、肘にひどい衝撃が走った。
クラゲの水槽に肘を叩きつけていた。
水槽は傾いてゆき、台からゆっくり落下し、床ではじけた。
すごい音だ。
アクリルが割れて飛散し、
あとから大量の水が床にさーっと流れ出した。
イスやテーブルの足に流れがあたって、白いしぶきをあげた。
クラゲは床にだらしなく伸びた。
水槽の残骸は転がり床をすべった。
人生最悪の日だ。
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