さいわい、やさしくて

七山月子

第1話 趣味のない私

靴を集めるのがそんなに格好いい趣味なのだとしたら、私は確かに無趣味だ。

せいぜいこうやって思いついた時に粘土をいじって、不恰好な犬や猫を造るくらいの趣味しか私にはないんだから。


勝太は毎日違う靴を履いているが、私がそれに気づいたのは彼が自分の足元を見せびらかして言った一言によってだった。

「果歩は俺を見てないよね」

そんなことないよ、なんて言ったところで勝太の不機嫌は治らないことも知っていた。趣味がない人はこれだから、と締めくくられたその日のデート。食べたラム肉のソテーが急に不味かったことを思い出したように吐き気がした。気分が悪いその日を終えたら、朝が来てふいに思いついて粘土を引っ張り出したのだ。

私は単純だろうか。勝太の言葉を借りれば、短絡的で浅はか、であるらしいし。


粘土細工の猫髭を造ろうとして、一体穴は何個開ければいいのかと考えていたら集中力が切れた。手元には中途半端な猫の姿をして、私を見つめる物体があるが仕方ない。外へ出よう。休日はまだ始まったばかりなのだ。


誰と会うわけでもないんだから、メイクはしないでいいか、と鏡を見たら頬にニキビが出来ていた。ひどく大きく赤く腫れたそれを、まじまじ観察していたら、確かに私は勝太を見ていなかったな、と納得した。勝太はいつも正しい。


薄黒い曇り空の下を、パーカーワンピ一枚被って歩くと、遊歩道に出た。桜の木が植わっている石畳のそこには小川が流れていて、もう少し歩いた先には鴨が悠々と浮かんでいる。

まばらに歩行者と自転車が通り越していく。私の視線は自然と上の方へ上の方へ向かう。雀が列を成して三角形になり回遊している。と思えば散りばめたビーズのようになってそれからまたわっと集まる。風花みたく舞い踊っている。それが白いキャンバスの曇り空にあるものだから、美しい。


視線が上に行く人は、ロマンチスト。下に行く人は卑屈。真ん中を見るのが、常識人。

いつだったか、勝太が笑ってそう言っていた。だから勝太といる時は真ん中を見るように必死で、いつもどこに自分がいるのか、わからなくなった。


雨が降る時、一粒目はどこに落ちるのだろう。ひとまず鼻の先に降ったこの雨粒しか私は知り得ないが、きっと一粒目ではないのだろうな。

その雨は力強く小川の川面を叩きつけ出し、フードを被って凌げるほどの量ではなくなってきたので、近くにあった喫茶店に滑り込んだ。


「いらっしゃい」

赤と青が混在した花柄のターバンを小粋に巻いた女性が、私を見るなり微笑んだ。店主だろうか。ピアスは煌びやかな緑で、髪は坊主だ、ふくよかな胸をエプロンに納めて苦しそう。なんだか合わさっていて格好いい。

カウンター席に着くと、後ろの壁で区切られたスペースにも席があるみたく、時折笑い声が聞こえる。喫茶店にしては居酒屋のような造りだ。


「突然降ってきたね。雨宿りに選んでくれてありがとね。飲み物どうする? 」

店主が気さくにそう言っておしぼりを渡してきたので、受け取って広げたら、そこに何か刺繍があった。文字だ。

「純喫茶同好会? 」

つい、声に出して読んでしまうと、店主はうふふと笑って、

「純喫茶好き? 」

と訊く。

私は、はい、だかいいえ、だか曖昧に頷いた。それを店主は、はい、と取って目を輝かせた。アーモンド型のはっきりした目。なんとなく、好きだな。と思った。


純喫茶同好会っていうのはウチの店の名前なんだけどね。どうせなら、同好会を本当に発足しましょ、って常連の香山くんって子が言い出して。メンバー募集中なの。あなた、名前は? 果歩ちゃん? どうかな、入らない?


はい、だかいいえ、だかわからない頷きをもう一度してから、粘土細工を完成させないといけないことを思い出して、入ります、とはきはきと答えた。


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