エヴァ~森の娘~

三間 久士

第1話 消えゆく命に手を伸ばした者

■その1 消えゆく命に手を伸ばした者■


 数日前から降り出した季節外れの大雨は、この日の夜、更に激しさを増した。

いつもは大人しい川を暴れ狂う龍の如く変貌させ、川岸の水車小屋や納屋、多くの麦畑を飲み込んでいった。


 そんな荒れ狂う水の中、まだ年端もいかない子どもの頭や手が、必死にもがいているのが見えた。

 避難する人々の群れの中、川岸で叫ぶ女性がいた。

川に向かって叫び、今にもその身を投げ出そうとするのを、数人の男たちが止めていた。

川に落ちた息子を助けようと手を伸ばし、嗚咽混じりの声は雨風でかき消されていたが、子の名を呼ぶ母親の力は凄まじく、男たちには止めることしか出来なかった。

 

 そんな光景を、数メートル上の崖から見ている者がいた。

馬に乗り、静観していた二人のうち一人が、それまでもがいていた手や頭がスッと水中に消えた瞬間、半狂乱になった母親の視界を上から下へと、黒い影が荒れ狂う川の中に飛び込んだ。


 川の冷たさは容赦なく躰から熱を奪い、厳しい流れと共に自由を拘束する。

更に川に飲み込まれた物の破片が皮膚を傷つけ、草や布と言ったものが更に動きを拘束した。

それでも、前へ前へ・・・

暗い水の中、飛び込む前に見た子供の手を目出して、がむしゃらに体を動かす。

息が続かず、呼吸をしようと水面に顔を出そうとするも、川の全てが邪魔をした。


「ニコ!ニコラス!」


凶暴な川の鳴き声と、聞こえるはずのない子を呼ぶ母親の悲痛な声。

それしか耳に入らなかった。

息継ぎをする度に水を飲み、体温は早急に奪われ、意識も朦朧とし始めた頃、今まで水やゴミを搔き分けていた手が、細く柔らかい何かを掴んだ。


 空とも濁流とも区別がつかない中、深い青色の瞳は、赤い嘴を持った緑の小鳥を見た気がした。


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