オリエンス商会社員の奮闘 ~勇者は今日も人任せ~

青羽礼莉

日常編

第一章 「魔法基礎は専門外です」

01 アカデミーへ

 ◆1




 勇者。

 世界の危機を退けた者の代表に、その称号は与えられる。輝かしい栄冠と羨望の眼差し、そして、期待、不満、しがらみ。その他さまざまな厄介事とともに。





 押し寄せる喧騒に、視界が明滅している。

 目の前の光景を直視できず、レンリ・クライブは瞼を閉じた。

 今すぐにこの部屋を飛び出したい。荷物をまとめて会社に帰り、自室のベッドで惰眠を貪るのだ。

 しかし、いくら現実逃避を試みようと、この喧騒が止むことはないし、始業のベルが鳴ったと言う事実は変わらないのだった。


 レンリ・クライブ、24歳。顎のラインまであるチョコレート色の髪に、少し癖のある長い前髪。伏し目がちな黒い瞳が控えめに主張しているだけの、特徴のない平坦な顔。

 その印象に違わず特筆するところのない人生を歩んできたと、彼は自負している。少なくとも、3年前、現在の会社に入社させられるまではそうであった。


「おーにさーんこーちらー、てーのなーるほーおえー!」

「見て見てー! できたできたー!」

「やーいやーい!」

「もーーー!! 今日こそは許さないんだからーーー!!」


「……はあ」


 室内の狂ったような騒がしさをしばし眺めた後、盛大な嘆息を一つ。これは、この男のアイデンティティーのようなものである。


「これだから子供の相手は嫌なんです」


 苛立たしげに吐き捨てた言葉を、聞いている者は他にない。奮い立たせたばかりのやる気は、ここへきてものの数秒で跡形もなく消え失せていた。

 見知らぬ大人の入室に気がついている子供はまだいない。いっそ、このまま黙って部屋を出てしまおうか。授業をどうするかは、その後で考えればいい。くだらない思考ばかりが浮かび、彼の気は沈む一方だ。

 彼の頭を悩ませているもの。それは、たった今眼前でボールやら紙飛行機やらを投げ合っている子供たちであり、教室中を駆け回っている子供たちであり、椅子や机の上で踊ったり歌ったりしている子供たちであり、戯れているのか争っているのか抱き合って転げ回っている子供たちである。即ち、騒がしい大勢の子供であった。


 とは言え、いつまでもこうしていたのでは仕事にならない。会社に苦情が入るのは目に見えている。声を張り上げることは得意ではないが、子供たちを落ち着かせる方法が他に思いつかないのだから、仕方がない。

 意を決し、口を開きかけた時、一人の子供と目が合った。


「あれー? お兄さん、だーれ?」




 ◆2




話は一日前に遡る。

 商業都市カルパドール。世界三大都市に数えられるようになって間もない港町の郊外に、ひっそりと立つ小さな会社、『オリエンス商会』。3年前よりレンリが所属している会社で、どこにでもある交易会社である。表向きは。


「ねえ。子供って好きかしら?」


 朝の挨拶もそこそこにそう切り出してきたのは、この会社の社長であった。

 目鼻立ちは非の打ちどころがなく完璧で、白地の肌と相俟って、まるで絵画からそのまま出てきたよう。しかし、活気と自信に満ち溢れたサファイアブルーの瞳が、その生命が偽物でないことを物語っている。

 薄いピンクのブラウスに、紺色のスーツ、赤いネクタイ。アイスブルーのロングヘアを靡かせ、颯爽と歩く長身の女。名前をスカーレット・オリエンスと言った。


「嫌いです。って、いきなり何の話をしてるんです?」

「カルパドールアカデミーへ行ってもらいたいという話よ」

「はあ。あのう、スカーレットさん。ここは人材派遣会社ですか?」

「何も今回が初めてじゃないでしょ?」

「脅威の退治に時計の修理、清掃活動、遺失物の捜索、挙句の果てには人材派遣まで。交易会社とは一体何なんですかね?」

「交易とは、商品と金品をやり取りすることよ。その商品が戦力だったり労力だったりするだけのことでしょ? 広く捉えれば、人材派遣だって交易のうちだわ」

「その理屈は、いくら何でも無理があるかと」


 自信たっぷりに嘯く彼女から、レンリは不承不承に数枚の書類を受け取る。1枚目には職務の内容が、2枚目には派遣先の地図が、そして、3枚目には校舎内の見取り図が、それぞれ記されていた。


「派遣先は、カルパドールアカデミーの初等部よ。3日前に、魔法基礎を教えていた教師が過労で倒れちゃったらしいの」

「それはそれは。その教師には同情を禁じ得ませんが。魔法基礎は僕の専門外です。代わりの教師なら、他にいくらでもいるでしょうに」

「困ったことに、その教師の容体があまりよろしくなくてね。復帰できるかも分からない状況だって言うのよ」

「はい? 何やら穏やかじゃありませんね。行きたくないんですが」

「あなたには、療養中のその教師に代わって、魔法基礎の授業を担当してもらうことになったわ。差し当たって、半月というのがアカデミー側の要望よ」


 明瞭で淀みのない言葉が続く。彼女の仕事の説明は、いつも端的にして正確。必要な情報を必要な量だけ与える。

 ただし、相手の意向は一切考慮に入れない。


「はあ。お言葉ですが」

 大きく嘆息を漏らし、レンリは一足遅い反駁を開始した。


「確かに僕は、3年前までベルベリアのアカデミーで教師をしていました。ですが、教えていたのはあくまでも一般教科ですよ。魔法基礎は全くの専門外なんです。それも、子供が嫌いな僕に初等部に行けだなんて」

「大丈夫よ。あなたにならできるわ。教科書を読み聞かせて、たまに魔法を実演して見せるだけでいいのよ」

 何でもないことのように言われ、良くも悪くも教師の仕事に思い入れのあるレンリは看過できない。


「あなた……。教師という仕事を舐めていますね?」

「授業は明日からね。教科書を預かってるから後であなたの部屋に届けるわ。今日の仕事は休みにしておいたから、明日の用意をしておいてね」


 彼女を相手に会話が噛み合わないのは日常である。レンリは、差し迫って確認するべきことだけを簡潔に口にした。


「つまり、断ることは許されないと」

「正解」

「何だってそんな面倒な仕事を受けてきたんですか?」

「基本給8千グランに諸々の手当を加算。成功報酬として200パーセントの増額。さあ、ここで問題。あなたを派遣することで、我が社が得られる利益の総額は?」

「僕の手取りにすれば半年分はくだらないですね。ってあなた、金に釣られただけじゃないですかー!」

「前期の業績がよくなかったから、今期はちょっと頑張ろうと思ってね。割のいい案件はどんどん引き受けることにしたから、よろしくね」

「勘弁してくださいよう……! いくらあなたに見境がないと言っても、半月というのはさすがに長すぎです。その間、この会社は人員が一人足りなくなるんですよ。そのこと、あなた、分かってます?」


 この会社の女社長は、時折思いもよらない仕事を持ち込んでくる。話の流れで引き受けたり、取引先やその関係者からご指名を受けたと言っては、交易会社に相応しくない案件を請け負ってくるのだ。そして、当然、それらはレンリたち社員に回ってくることになるわけである。


 ここまで唐突に厄介そうな仕事を押し付けられたのだ。レンリの気分は決して良いものではなかった。本気で白紙にしようなどとは考えていないが、彼女の返答次第では、さらなる小言を見舞ってやろうと構えていた。

 しかし、スカーレットの口から発せられたのは、そんなレンリの心中に困惑をもたらすものであった。


「あのね、レンリくん。この案件ね、魔法教会からの依頼なの。依頼というていの命令ね」

「はあ……?」

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