ペンとカードとニコラス・ニコット

 世界に数あるホテルの中でも、ここは最高のスイートルームだなとニコラス・ニコットは思った。

 船に乗り込んだ直後は、酷い揺れに胃袋がひっくり返り、朝食を床にぶちまけることになったが、今は揺れに慣れたのか、それとも海が凪いでくれたのか、ある程度は落ち着いている。

 他のルームメイトは、早々に揺れにダウンしたか退屈に負けたかで、薄いシーツに包まりいびきをかいている。起きているのは自分だけだ。

 こういう空き時間に故郷の母に手紙でも書くものかなと思いノートを広げたが、乗船時の一際ひどい揺れでペンを海に落としたことを思い出し、ノートを放ってテーブルにカードを並べ始めた。

 船に乗り込んでから10時間。未だ目的地には着こうとしない。ニコラスは汗でべたついた金髪を拭った。

「満喫しているじゃないか、ニコ」

 声のした方を向くと、上官のオーエン・ウィローがニヤついた顔で立っていた。

「そちらもお楽しみのようで、中尉」

 ニコラスも微笑して応えた。ウィロー中尉は若い兵士にも気さくに話しかけてくるため慕われており、物心つく前に父親を亡くしたニコラスにとっても、父のような存在だ。

「ああ最高だね。気分が高揚しすぎて酒も喉を通らんよ」

 そう言って、ウィローがニコラスの正面の席に座った。

「カードか。俺が相手でよければ、ポーカーでもやらんかね?」

「あいにく、ルールを知りません」

 ニコラスは苦笑した。

「俺が教えよう。講義の時間は十分ある」

 ウィローがニコラスからカードを受け取り、お互いに配り出した。

「お前さんは南部の出身だったか?」

 配り終えたカードを手に取り、ウィローが言った。

「そうです」

「良いところだよな。俺もそっちの出身なんだが、土地も人も穏やかだ」

「それだけ田舎ってことですけどね」

「都会よりは幾分かマシさ。町中は排ガスで溢れてるし、人の頭にも雲が掛かってる」

 ウィローは頭の横で指をクルクル回して見せた。

「中尉は、中央に行ってからは長いんですか?」

「ああ……20年になるかな」

 ウィローが頬杖を突く。

「親の顔色をうかがうのに嫌気が差して家を出たはいいが、今では上司や国の顔色をうかがう生活だ。対象がランクアップしただけじゃあないか。何のために家を出たんだか」

故郷くににはそれ以降?」

「……帰っていない。まあ、手紙でのやりとりはしているがね。結局、親に甘えてるんだと考えると、情けない話だな」

「……手紙」

 ニコラスは呟き、先程放ったノートを横目に見た。中尉からペンでも借りるべきか?

「お前さんは、この戦争が終わればまっすぐ故郷くにに帰ることだな。都会に残ってもこの先良いことなんてないぞ」

 そう言ってウィローが笑った。ニコラスは「考えておきます」と苦笑した。

 それからしばらく、互いに雑談をしながらポーカーに興じた。現在ウィローが3勝。ニコラスが0勝。ルール説明にかこつけてイカサマでもされてないだろうかとニコラスは訝しんだ。

「……【決戦兵器】なんて、本当にあるんですかね」

 ぽつり、ニコラスが呟いた。ウィローは「さぁてな」と言ってカードを2枚交換した。

「かの国家が国中の科学者を結集して、戦況をひっくり返そうという話だが、俺はこちらの統率を乱す流言か何かだと思うがね。ま、上層部はそうは思わなかったようで、こうして軍を差し向けたわけだが」

「しかし、基地が建てられているという話は確かなんですよね?」

「そうだな。【決戦兵器】が本当にせよデマにせよ、あの半島を抑えん限りは、お偉方も枕を高くして眠れんようだ」

「…………」

「不安かね?」

 黙り込んだニコラスに向かって、ウィローが柔らかな口調で言った。

「……いえ」

「隠さなくていい。俺は不安だ」

 ウィローの言葉に、ニコラスは顔を上げた。

「今まで色々な戦場に出たが、不安にならないことは無かった。今回はとりわけ不安だ。不確定要素が多すぎる」

「中尉……」

「だがな、ニコ」

 ウィローが諭すように言った。

「不安を感じやすい奴ほど、どんな戦場でも生き残れるんだ。不安を覚えれば、常に辺りに気を配り、慎重になれる。そうだろう?」

 ニコラスは頷いた。カードを2枚交換する。

「だから、お前さんは今回の作戦中、常に不安を抱えていればいい。危険を恐れ、警戒を怠らず、最後は生き残り故郷くにへ帰る。それで任務完了だ」

 ウィローがそこまで言った時、船中に大きなブザー音が響いた。

「……自由時間は終わりだな。ゲームはここまでにして、残りの生徒を叩き起こすとしよう」

 そう言って、ウィローが持っていたカードをテーブルに置いた。

 ロイヤルストレートフラッシュ。

「やっぱイカサマしてましたよね?」

「運は貯金だ。ここで浪費するわけにはいかない」

 ニコラスとウィローは、互いに笑った。



 ニコラスは、戦場を全速力で駆けていた。

 彼は今、逃走を図っている。

 何から? 何もかもからだ。

 敵兵から。戦場から。任務から。倒れた味方から。

 そして──【決戦兵器】から。

 「クソッ!! クソッ!! クソッ!! クソッ!!」

 流言なんかじゃない。流言なんかじゃなかったんだ。

 上層部が掴んだという話は本当だった。確かにかの国家は【決戦兵器】の開発を目論み、科学者を半島基地に集めていた。

 唯一の誤算があったとするならば、すでに【決戦兵器】は完成していて、実戦段階に入っていたということだ。

 ニコラス達の小隊を含めた上陸部隊は……そいつの格好のデモンストレーションに過ぎなかった。

「クソッ!! クソッ!! クソッ!! クソッ!! クソッ!!!」

 みんな【決戦兵器】の前に倒れた。

 エリックも。ジョージも。ケインも。ロイも。ライナーも。

 ウィロー中尉も。

 ニコラスが生き残ったのは、ただの偶然に過ぎなかった。海岸に上陸した際、ニコラスは何となく「嫌な感じ」がした。嫌な感じがしたので、一瞬、行進の足が遅くなった。

 次の瞬間には、エリックの頭がクラッカーみたいに弾け飛んでいた。

 そこから先のことはよく覚えていない。一つだけ確かなのは、ニコラスは倒れた仲間の仇討ちをしようともせず、闇雲に逃げ回っているということだけだ。

「いやだ……いやだ! いやだいやだいやだいやだいやだ!!」

 ウィロー中尉は運を貯金だと言った。

 自分が今こうして生き長らえているのは、先程のポーカーで負けまくったからか?

 だったら、俺は二度とポーカーでなんか勝つものか!

「っ!!」

 重低音が大地に響いた。【決戦兵器】の「足音」だ。

 奴は、自分を追ってきている。ニコラスは、自分の体温が急激に下がったのを自覚した。まるで、流氷が浮かんだ海の、さらに深い海中に引きずり込まれたような気分だった。

 どうしてこんなことになった?

 俺も、みんなも、中尉も、故郷くにに帰りたかっただけじゃないか。

 上陸した海岸が悪かったのか?

 乗船した船が悪かったのか?

 こんな作戦に参加したのが悪かったのか?

 招集を無視して、ずっと故郷くにに残るべきだったのか?


 ニコラスの故郷は、貧しい農村だ。

 祖父の代では農作物の取引でそこそこの賑わいを見せていたそうだが、恐慌を境に故郷へ入ってくる人が激減した。

 折り悪く、異常気象も重なった。収穫は減り、自分達で食べる分を引いたら、売れるものはほとんど残らなかった。

 祖父も父も病死した。医者にかかる金は家になかった。

 故郷に居ても先はないと考え、若い人間が何人も町へ逃れていった。

 ニコラスもその一人だった。母の説得を押し切り、友人達に付いて故郷を出た。


 それはきっと間違いだったのだ。

 母の言う通り、貧しくても地道に、平穏に暮らしていれば、嫌なことに巻き込まれずに済んだのに。

 今こうして、死地に立つこともなかったのに。

 後ろを振り返った。

 【決戦兵器】の「目」が光るのが見えた。

 ああ、神よ──


『やり直したいですか?』


「──!?」

 突如、聞こえた声にニコラスは足を止めた。

『やり直したいのであれば、誓約書にサインを』

「な……なんだ!? 誰だ!?」

 ニコラスは周囲を素早く見回す。

 周囲に自分以外の(生きた)人間の姿はない。しかし、声は再三にわたり聞こえてくる。

『やり直したいのであれば、誓約書にサインを』

「!!」

 そこで、ニコラスは自分の前方に、何かが浮かんでいることに気付いた。

 真っ白な用紙だった。ニコラスが今まで見てきた中でも、汚れ一つない綺麗な紙切れ。

 紙切れは、金色の光を放っていた。

「なんだよ……これ……」

 まさか、自分の願いが本当に届いて、天から救いの手が差し伸べられたとでも言うのか?

 ニコラスがそんなことを考えられるのもそれまでだった。彼のすぐ後ろで爆炎と共に地面が抉れたのだ。

 【決戦兵器】が攻撃を開始した証拠だった。

「……クソッ!」

 考える暇はないと判断したニコラスは、紙に手を伸ばした。

『やり直したいのであれば、誓約書にサインを』

「サイン!? ペンは海に落としたんだ! 血でも泥でも何でも使って書くから俺を……!!」

 手が紙に触れた瞬間。

「っ!────」

 ニコラスが、光に包まれた。

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