毒を食らわば杯まで

猫田芳仁

1 ならず者の酒場

「すみません、冒険者の酒場ってここでいいんですか」

「うーん、惜しい。うちはならず者の酒場だよ」


 狭い店内にそうっと入ってきた少年の顔が青ざめる。カウンター内でグラスを磨く尖り耳の男は決してならず者には見えなかったが。人は見かけによらない。こともある。少年はまだ店内に踏み込まず、だが興味深そうにのぞき込んでいる連れの少女にひきつった顔で「違うって」と伝えた。無言でうなずく少女。バーテンが「冒険者の酒場なら大通りのギルド横に」と道案内をしてくれようとしたのだが、文字通り「どやどや」という感じで数人の客が入ってきて、それに流される格好で少年少女は店の奥まで流し込まれてしまった。ちぐはぐな格好をした客たちはがはがは笑いながら2つだけあるテーブルの片方につき、思い思いに注文し始めた。そのなかでもとびきりおっかない顔つきをした豪奢な赤毛の男が少年たちに気づき、声をかけてきた。


「冒険者の酒場なら大通りのギルド横だ」


 いい人だった。

 ぺこぺこ頭を下げて出ていこうとする少年だったが、それを引き留めたのはあろうことか同行者の少女である。


「わたし、ここがいい」

「えっ、でも冒険者の酒場に行く予定だったし」

「ここがいい。すみません。あんまり高くないもの2杯ください」

「ちょっとモニカ」

「お酒とお酒じゃないのどっちがいい?」

「いや、出ますんで僕ら」

「お酒ください。あんまり強くないの。テオデリヒ下戸だから」

「モニカ!」

「じゃあ彼氏くんレモネードはどう?」

「彼氏じゃないです。でもレモネードはいいと思います。わたしだけお酒ください。強いの」

「モニカ!!」


 テオデリヒ少年の抗議は受け入れられることなくバーテンが飲み物を用意し始め、テーブル席の怖いお兄さんたちは興味津々で2人を見ている。モニカも興味深そうに怖いお兄さんたちを見ている。テオデリヒは本当ならばモニカを引きずってでもここから逃げ出したいところである。不可能だが。モニカに抵抗されると情けないがテオデリヒにはなすすべがない。バーテンともお兄さんたちとも目を合わせないように視線をさまよわせたテオデリヒは、もっと面倒くさそうなものと目を合わせる結果になった。

 ただでさえ暗い店内の、さらに暗いカウンターの端。闇がわだかまるようにしてその男はいた。

 貴族然とした黒い礼服に蠟でこしらえたような白い顔をした黒髪の男だ。唇は血のように赤い。女性ならばきっと美姫であったろう。彼は妖々と微笑み、黙って手招きをした。幽霊だろうか、とテオデリヒは思った。そのくらいに現実味がなく、不気味な男だった。にもかかわらずモニカは手招きに応じてそっちに歩いていく。テオデリヒは自分だけ中途半端なところに立っているわけにもいかず、しぶしぶ後を追う。バーテンもこっちに飲み物を持ってきてしまった。もうこの幽霊のそばに腰を据えるしかなさそうだ。

 近寄ると幽霊ではなく実体はあったが、冷え冷えとした独特の気配があった。おそらく死霊系の術師か、そうでなければ亡者そのもの。テオデリヒの緊張はいや増した。彼とモニカの故郷で死霊術は邪法扱いで禁止されている。つまりは犯罪者だ。モニカは気にした風もなく「名前は?」「最近来たの?」といった男の質問に平然と答えている。


「魔法の勉強をしにこっちに来たんだね」

「うん。わたし、魔法好き……どんな魔法も。でも、地元は保守的だから変わった魔法が習えないんです」

「こっちだと、どんな邪法も規制されてないからやりたい放題だよ」

「黒魔術も? 東方秘術は?」

「難癖付けてくるやつはいるけれど、そういうときは実力行使でぽきっとね」

「ぽきっと」


 何やらよくないことも吹き込まれている。早急に引き剝がしたいテオデリヒである。


「魔法が開かれているおかげで生活魔法の質もいいんだ。……テオデリヒくん、レモネードのグラスを持って御覧。気を付けてね」


 急に話を振られてびくりとしたテオデリヒだが、意を決してグラスに触れる。


「……冷たい!」

「例えばこの酒場は飲み物をただで冷やしてくれる。少しお金を払えば氷も入れてくれるよ」

「氷も……?」

「いくらなんですか」


 男が教えた金額はあまりにも安かった。モニカがさっそくバーテンを呼んで氷を注文すると、彼がグラスを軽くつついただけで中に氷の塊ができた。これにはテオデリヒも目を輝かせる。レモネードにも氷を作ってもらった。一気に半分ほど流し込むと、炭酸の刺激も相まって焼けるような冷たさだ。モニカもいつもより早いペースでグラスを口に運んでいる。


「モニカくんはそんなに強いお酒を飲んで大丈夫かい」

「曾祖母がヒュドラで父がドワーフなんです。大丈夫」

「それはすごい。定期的に飲み比べ大会が開催されるから参加するといいよ。勝てば賞金も出る」

「稼げてただで呑める……?」

「そう。わたしも祖父がドラゴンだからいつか勝負しようね」

「します。勝ちたい……」

「わたしも勝ちたい」


 呑み助同士の協定がすみやかに結ばれている。モニカは軽く流したが祖父がドラゴンとはどういうことだ。モニカの血筋もわりかし異常なほうだが、そのドラゴンの位によってはとんでもないやつである。テオデリヒの困惑をよそに、男はモニカにおすすめの飲み歩きルートをけっこうな熱量で語り、モニカは意気揚々とその内容を手帳に書き込んでいる。待て。その手帳はなにやら貴重な紙だとかで魔法用に取っておくんじゃなかったのか。手帳には近隣の「酒に強いやつリスト」も書き加えられている。待て待て。なくなるぞ。紙が。いるのかその情報は。

 言いたいことをすべて言い終えたらしい男は自分のほかにモニカとテオデリヒの勘定も支払い、「またね」と手を振って店を出て行った。モニカも「また」と言っていたので、この酒場にはたびたび訪れることになりそうだ。テオデリヒはげんなりしつつ、バーテンに尋ねた。


「……あの人、どんな人なんですか」

「あのねー、この辺の領主様」

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