12(アイスキュロス)

 夏期休業中も、図書室の開いている日が何日かある。

 その日、わたしはちょっとした気分転換にその場所を訪れていた。調べものがあったのだ。決してさぼりとか、暑すぎるからとかいう理由じゃない。よろずの神様のうちの、どれかに誓って。

 図書室にはもちろん冷房が効いていて、いささか飽きあきしてきた夏の季節が一時棚上げ状態になった。室内にあまり人はいなくて、数えるのに片手で十分間にあいそうなその人たちは、机に向かって静かに勉強をしている。

 わたしは静けさにいったん体を馴らしてから、本棚のほうに向かった。壁には注意書きや、おすすめの本、新着図書の案内なんかが貼られている。

 いくつかある棚のうち、奥のほう、埃みたいに秘密のたまっていそうな場所に、その本はあった。古典コーナーのギリシア悲劇――『アガメムノン』。

 わたしはその場で、ぱらぱらとページをめくってみた。

 当然だけど、これが原作なのだ。アイスキュロスが二千五百年以上も前に書いて、当時実際に上演もされた戯曲。もちろん、誤伝や遺失、翻訳の問題なんかもあるけど、これが「そのもの」であることに変わりはない。

 アイスキュロスは紀元前五二四年、ギリシアのエレウシスで誕生した、とされている。没年は紀元前四五六年。伝説では、「人でないものに殺される」と予言されていて、実際にそうなった。何故なら、その禿頭はげあたまを岩と勘違いした鷲に、亀を落っことされて亡くなった、と言われているからだ。自分のことでなければ、なかなか愉快な死にかただ。

 二十代から作家として活動しはじめ、コンクール(ディオニュソス祭)に初優勝したのは四十代の頃。当時としてもまあまあ遅咲きの人だったのだろう。以後の優勝は、十二回を数える。生涯に書いた作品は九十篇以上だけど、伝存しているのは七編のみ。ちなみに、三大詩人のもの全部をあわせても三十三篇でしかない。これが、ギリシア悲劇と呼ばれるもののすべてだった。小さめの本棚にみんな収まってしまうサイズだ。

 悲劇『アガメムノン』は紀元前四五八年に、優勝作品として上演されたことがわかっている。アイスキュロスの死ぬ二年前のことだ。で、この劇は三部作の第一作にあたっていて、続編は『コエーポロイ』と『エウメニデス』。三つをあわせて「オレステイア三部作」と呼ばれている。全体がオレステス(アガメムノンとクリュタイメストラの息子)の復讐劇として描かれているからだ。

 アイスキュロスの墓碑には、悲劇作家であったことについては何も書かれていなくて、ペルシア戦争に参加したことだけが誇らしげに言及されている。そのペルシア戦争の時、ほかの三大詩人であるソポクレスはまだ子供で、エウリピデスは生まれたばかりだったそうだ。

 ――以上が、アイスキュロスと『アガメムノン』についての豆知識である。

 わたしは本を閉じて、それを持ってカウンターに向かった。もちろん、夏休み中でも本の貸し出しは行っている。

 図書室のカウンターには、見覚えのある先生の姿があった。

「あらぁ、小森さんじゃない」

 と、その先生は声をかけてきた。一応は、小声で。

 静谷美樹子しずたにみきこ先生。国語教師で、演劇部顧問、それから見てのとおりの司書教諭でもある。ただし演劇部顧問というのは名ばかりで、実際は完全放任主義をとっていた。

 ウェーブのかかったふわっとしたロングヘアで、いつも気だるげで眠たそうな様子をしている。猫の尻尾みたいに語尾をのばす、特徴的なしゃべりかたをして、かなりフェミニンでもあった。確か、まだ結婚はしていない。

「静谷先生、おはようございます。お仕事、お疲れさまです」

 と一般的な礼儀にしたがって、わたしは挨拶する。

「そんな堅苦しく、かしこまらなくたっていいのよ」

 静谷先生はふわふわした笑顔を浮かべて、あっさりと言った。

「部活のほうはどうかしら? みんな、がんばってる?」

「そりゃもう、ハンプティ・ダンプティみたいに」

「お馬や兵隊を集めてがんばったのは、王様のほうじゃなかったかしら?」

 小首を傾げて、先生は言う。もちろん、そんなのはどっちだっていい話だった。それから、

「もしかして、本を借りたいの?」

 と、先生はようやくそのことに気づく。

「はい、お願いします」

 わたしは持ってきた本を先生に手渡した。放っておくと、この先生との会話はどんどん脱線していってしまうのだ。風の吹かない台風にでも巻き込まれたみたいに。

「『アガメムノン』ねぇ、ずいぶんクラシックな本を借りるのね」

 それが今度の演劇部の舞台だと覚えているのかどうかは、怖くて訊けなかった。

 ところが、ここで静谷先生はちょっと意外なことを言った。

「そういえば、演劇部の生徒で同じ本を借りていった子がいたわね」

 わたしは一瞬、きょとんとしてしまった。瓢箪から将棋の道具が一式出てきたみたいに。……本当は馬の駒なのだけど。

「――誰ですか?」

「ほら、あの子、何ていったかしら?」

「部員の名前くらい覚えておいてください」

 わたしは口頭で注意した。

「そうねぇ、ちょっと可愛い顔をしてて、ペットにしちゃうのにちょうどよさそうな――」

 教師にあるまじき発言ではある。

「二年の男子で、いつもちんまりしてて、僕は消極的ですって顔に書いてあって」

「――もしかして、宮坂くんですか?」

 わたしが訊くと、先生は湿気った花火みたいな、ひどく景気の悪い音で手を叩いた。

「そうそう、宮坂くん。宮坂孝太くんね。本を借りていったのは確かにその子だったわよ。どう、ちゃんと覚えてたでしょ?」

 どう、と言われても困ってしまう。

 けれど、そうか。宮坂くんが『アガメムノン』を借りていったことがあるのか。

「――ふむ」

 とうなずいて、でもわたしは自分でも何にうなずいたのかわからなかった。この事実を、どう考えればいいのだろう。宮坂くんはたんなる興味でそれを借りていったんだろうか。ただ、舞台についてもっと詳しく知るために。

 それとも――

 何か重要な関わりでも、あるんだろうか?


 ――それから、わたしはあることを調べるため県立図書館に向かった。さすがにこれは、学校の図書室で間にあう仕事じゃない。

 電車に乗って二十分、バスにかわって十分、そこから徒歩で三分。地中海を旅してまわるほどじゃないにしろ、なかなか骨の折れる道のりだ。

 標識にしたがって歩いていくと、広めの公園に隣接した図書館にたどり着く。平面的で、すっきりしていて、箱的な建物。特にロマンにあふれるわけでも、近未来を演出しているわけでもないけど、文句をつけるような筋合じゃないのは確かだった。

 入口の自動ドアを抜けて、エントランスを横切り、館内に足を入れる。午前中のせいか、まだ人の気配はそれほどでもない。

 建物内部は広々していて、普通の世界とは質量と密度の違う静けさでいっぱいだった。物音はどれも遠慮がちに響いて、照明の光は透明な水底を照らすみたいに控えめだった。たぶん、世界中のどの図書館から抽出しても、その空気の種類は変わらないんだろう。

 わたしは事前に用意しておいたリストを持って、カウンターに向かった。そうして、そこに書かれた本を全部持って来てもらう。書庫にあるものもいくつかあったので、少し時間がかかった。わたしは司書の人にお礼を言って、閲覧席のほうに向かう。

 あまり人のいない、すみっこのほうの席を選んで、机の上に本を置く。何かが壊れてしまわないように、そっと。イスに腰かけて、気持ちのスイッチを切り替えるために一呼吸する。それから、さっそく本を開いてみた。

 わたしが頼んだのは、『アガメムノン』に関するすべての日本語訳だった。二千五百年も歴史があれば、当然だけどいくつもの訳がある。新事実や新解釈が、地層みたいに積み重なってくるからだ。単純なところだと、「ノーン」と長音のものや、そうでないものもある。

 それから、それらの本といっしょに凪城高校演劇部による『アガメムノン』も並べる。作者不明の、謎多き『アガメムノン』を。

 わたしはその二種類の『アガメムノン』を、一つ一つ対照していく。海岸で貝殻を拾い集めては、微妙に異なったその模様を比較していくみたいに。

 ――そうしながら、わたしは自分でも自分のしていることが疑問だった。

 どうしてわたしは、こんなにもこの劇にこだわっているんだろう。どうしてわざわざ、こんなことをしているんだろう。

 確かに、中学時代での多少の経緯はあった。そのせいで、ギリシア神話への関心も。けど何も、こんなにも固執する必要なんてない。文化祭で『アガメムノン』をやる、それだけの話なのだ。それがわたしの運命に大きく関わっているわけでも、わたしの未来を大きく変えてしまうわけでもない。

 それともこれは、わたしの知らない場所で誰かに予言されていたことなんだろうか――?

「…………」

 本に書かれた文字を追いながら、運命というにはあまりに退屈で、凡庸ともいえる作業を、それでもわたしは続けていく。



 夏休みも後半に入ったある日、体育館を使っての通し稽古が行われた。本番と同じ場所で行うことのできる、貴重な練習時間である。

 照明機材のセット、音響装置の接続、舞台上への大道具の設置――そんな雑然とした時間のあと、実際の舞台練習がはじまった。

 わたしは裏方らしく、舞台横にある機械室に引っこんだ。照明の操作は、ここにある調光卓によって行うのである。隣では、同じく裏方である音響担当の乙島さんが、ノートパソコンを立ちあげて準備していた。

 都合よくスケジュールが取れたので、演劇部で体育館全体を使うことができる。せっかくなのでカーテンも全部閉めて、本番さながらの環境を整えた。さすがに観客までは用意できないけれど、今日は静谷先生が一人で客席に座っている。あまりやる気のない顧問でも、それなりに役には立つのだ。

 人工の暗闇の中で、今は舞台上だけが明るく照らしだされていた。役者たちが(つまり、わたしと乙島さんをのぞく七人が)そこで最終確認を行っている。立ち位置とか、舞台の出入りとか、客席からの見えかたとか。

 その中の一人を、わたしはじっと見つめていた。おそらく、今回のことを発案した張本人であろう、その人のことを。

 やがて、本番通りの進行にしたがって劇が開始される。日常とは切り離された、異質な空間。架空の約束事に守られた、別の世界を出現させるための装置。

 ――古代ギリシア悲劇『アガメムノン』。

 もちろんわたしたちの生活は、舞台上のお芝居みたいにドラマチックでもなければ、荘厳でもない。コロスの合唱も、気の利いたセリフも、予言された運命も存在しない。すべての問題への、機械神的解決も。

 わたしたちが生きているのは、あくまで皮相で、形而下的で、混沌とした現実なのだ。そこに劇的な要素はない。家計簿や、草むしりや、電車通勤に、舞台との関わりは存在しない。

 じゃあ、演劇になんて何の意味もないのだろうか?

 ――いや、それでも意味はある。

 意味は、確かにあるのだ。

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