第8話 宗像というバカでかい腕

 ホテルの分厚い一枚ガラスにうっすらとひびが入るほどの局地的な突風。

 まるで鎌鼬に切り裂かれたように見るも無残な姿になったカーテンを俺は唖然として見ることしかできなかった。

 リビングとベッドルームを隔てていた扉はあっけなく吹き飛ばされる。

 そして、ずしりとベッドがきしむ音がして、何かが俺の身体に影をおとしている。

 圧倒的な鬼気に声すら上げられない。

 黒い装束を身に着けており、狼が彫られた木の仮面は深い蒼色で塗られている。

 すっと伸びてきた腕に殺されてしまうと身構えたが、それは殊の外、優しい動作で俺の腕をつかんだ。

「ここはもう数分としてもたないかもしれない。 一瞬であの世行きになりかねないから逃げるよ」

 落ち着いた男の声がした。

 誰なのだと身構えていることなどお構いなしに、ぐったりとしたままで動けない俺の身体を彼は軽々と抱き上げた。

 はっとして周囲に目をやると、桂が倒れこんでおり、意識がない。

 真規の姿が見えず、焦っている俺に、その男は大丈夫だと言うように顎で先を示した。

 真規が俺の新しいチェロを抱えて、肩には小次郎をのせてこちらへ向かってきている姿が目に入った。

「桂はどうするの?」

 何か違和感があった。真規を連れて逃げる選択肢は準備されているが、桂は違うと言われている気がしたのだ。

「こちらも慈善事業ではないからね。 君が居なければ彼女は見逃されるはずだ」

 諦めろというニュアンスがして、俺は仮面の下の見えない男の表情が怖いと思った。

「見逃されないかもしれないのでは?」

「そうだとしても、『違うもの』を連れてはいけない」

「だったら、俺は逃げない。 しーちゃんが帰ってきて、しーちゃんの考えを聞くまでは動けない」

「困ったね。 静が戻るより早くここをたたかれることになると思うよ? 静が動きにくくなるんだけどねぇ。 まぁ、君が悩むのも仕方ないか。 良いかい? どうして、この場所がばれたのかわかるかい? もっと言うのならば、どうしてあの場で君が襲われ、君のその能力が暴かれたのか考えてみたことは? これまでと何が違ったと思う?」

 表情の見えない相手の落ち着きすぎた声は俺の心の中の何かを刺激する。

 数年ぶりの日本であり、数年ぶりの再会の後からおかしい。

 これまでとの違いは時東桂がそばにいることだけだ。

 冷や汗が首筋を流れ落ちて行く。

 真規に救いを求めるように視線を動かすと、ふいに視線をそらされた。

「高階新君、時間がないから、端的に説明する。 今この時をもって、君は己自身が生きるためのメリット、デメリットで関係性を選ぶ必要がある。 血縁や友人などの枠組み、情で判断してはならない。 わかりやすく例えようか? 新君、君を生かす術をもっているのなら敵側に身を置くことも考えろと言うことだ。 味方がいつも君を生かしてくれると思わないことだよ。 厳しいことを言うが、『君を生かす者だけを信じろ』というのが僕のアドバイスだ」

 何だよそれという俺の言葉は緊張のあまり声にならなかった。

 真規が意識のなく床に倒れこんでいる桂の身体の上から毛布を掛け、こちらを見て、行きましょうと仮面の男に声をかけている。


「気づかれた」


 仮面の男の声に緊張が走った。思った以上に早いなとつぶやき、俺を抱き上げている腕に力が入った。


「新君、君に意識がなかったのなら僕は即座に彼女を殺していたと思う」


 えっと声を上げそうになったところで、俺は心臓が氷りつくほどの光景を目にした。

 真規の腹部から鋭利な切っ先がのぞいている。その背後に居るのは桂だ。

 真規が身をよじり、桂を突き飛ばしたところで膝を折った。

 真規と名前を呼ぶと、歯を食いしばって痛みに耐えながらこちらに顔をあげてくれたが、その顔色が恐ろしく白い。

 気が狂いそうだ。何がどうしてこんなことになるのだ。

「時東桂ちゃん、君のおかげで彼は唐突に現状を理解することだろう」

 この緊急事態にあって、仮面の男はくすりと笑っている気がしてぞっとした。

 

【暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ】


 仮面の男の声が変わった。何と言うか、鈴の響きに似た音に聞こえる。


「大禍津日神、吾に道を示せ」


 今度は現実味のある男の声だと思った瞬間、一気に暗闇に飲み込まれた。

 息ができないと気づいた時、俺は自分が水の中にいると知った。

 男の両腕には刺された真規と俺がいる。

 彼が両腕で襟首をつかんだまま、水の中を泳いでくれている。

 水だと認識できるのは呼吸ができないからわかることで、見たこともないほどの透明度を誇る水だと思った。

 あと少しで水面に出るという所で、俺の身体は白い腕にからめとられてしまった。

 驚きすぎて、阿保かというくらい水を飲んでしまった。

 溺死とはこうして成立するのだと確実に理解し、激烈な呼吸困難に陥った。

 迅速に岸へと上げられ、白い腕にがっつりと飲んでしまった水を吐けというように背をたたかれ、苦しいながらもその白い腕が敵ではないと知った。

 咳き込みながら飲み込みすぎた水を吐き出すと、肺が開かれたようで幾分か呼吸が楽になった。

「真規!」

 刺し傷があるのに、水の中を移動したのだから出血が止まらなくなっていると思ったのだが、白い手達が傷口を抑え込んでくれていた。その上、おそらくそれが治療だとわかるほどに顔色が戻ってきている。

 意識はまだもどってはいないが、ちゃんと呼吸しているのがわかった。

 良かったと、真規の胸の上に額を押し付けた。

 悔しいのと哀しいのと虚しいのと憤りがまとまって襲い掛かってきて、涙が零れ落ちた。大切な幼馴染を俺は危険にさらしている。

「俺のせいだ……」

 奥歯が音を立てるほどにかみしめて、必死に声を殺す。

 岸へと遅れて上がってきていた仮面の男がゆっくりと俺の背後に立った。

「そう、君のせいだ。 君が居るから皆が巻き込まれる。 君が居るからすべてが二分する。 それがわかって、君はどうしたい? 死んで詫びるかい?」

 仮面を外した男は、俺の横にそっと腰を下ろした。

 優し気なたれ目をしてはいるが、その瞳には冷ややかな何かがある。整った鼻梁に、ちょっとふっくらした唇。濡れた長い髪を無造作にかきあげてから、黒一色の長羽織をその場に脱ぎ捨てた。

「泣いて、詫びて、それで済むのならば世界は平和なんだろうけど、あいにくとそんなに楽な世界ではないしね。 いくら君がとんでもない宝を身に宿していたとしても、現状、君は恐ろしいほどに弱い。 危機を感じ取ることも、避けることも、暴力に抗うすべもない。 このままでは君が殺されても迷惑、君が生きていても迷惑。 実に迷惑千万な代物だね」

 男は白い手から黒ぶちの眼鏡を受け取り、それを装着しながらため息だ。

 指先をパチンと鳴らすと同時に長い髪は短髪にかわり、容貌も壮年にある男性らしい物とかわる。

 白い手達に仮面を渡しながら、黒装束はちゃんと白に見えるように仕掛けていたねなどときいている。

「正直、僕はあまり君にかかわりたくなかったのだけれどね。 静には借りがある」

 だから仕方なくだというように胸の前で腕を組んだ。

「静は危なっかしい立ち位置すぎる。 それに、うちの二強に何をさせるつもりか、考えたくもないよ」

 よいしょっと立ち上がって、彼はゆっくりとこちらを見た。

「さて、同じ迷惑なら、君はどっちの迷惑を選ぶんだい?」

 殺される迷惑か、生きる迷惑かときいているのだとわかった。

 表情や声色から、彼が何を考えているのかと読み取るのはかなり難しい。

「まだやれるなら、やりたい」

 俺は生きる迷惑しか選べない。

 そうかと彼はつぶやいて、腰に手を当てたままで、しばらく洞窟の天井をながめていた。

「名乗っていなかったね。 僕は宗像時生。 静の悪友みたいなものだよ」

 身長は180㎝手前で、それほどまでがたいが良いわけではない。武闘派というよりは知能派なのかもと予感するが、この目の前の男はとんでもなく強いということだけは確実にわかった。


「おいおい、誰の許可があって、ここにそんなん入れたんや?」


 離れた所から、目の前にいる時生より数段軽やかな男の声がする。

 暗闇から姿を現したのは白と紅の混ざり合ったような長羽織を身に纏った長身の男だ。すらりとした手足をしているのに、近づいてくるとよくわかるが、引き締まった無駄のない肉付きをしている。時生より、絶対に強い。腕っぷしという意味でかなり強い気がした。

 

「一心、許可ならだしたぞ?」


 背中側から女性の声がして、はっとして振り返ったら、大樹の根元で小柄な女性が寝そべったままでこちらを見ていた。


「志貴、居たのなら、早く声をかけてくれる?」


 時生が苦笑いして、寝そべったままで動く気もない少女に向かって振り向いた。

 別人かというほどに表情が柔らかい。さっきまでの悪夢のように冷たい表情はどこへやらだ。

 一心と呼ばれた青年も志貴という女性も仮面をしており、素顔が見えない。

 彼らのそろいの仮面はちょっと変わっている。時生がしていた木でできているフルの仮面とは違って、彼らのは顔の上半分だけ覆うものだ。まるで白い陶磁器でできたような光沢のあるすべりのある表面で、目の端のあたりが紅色で染色されている。それだけで、時生より格が高いことがわかる。そして、彼らはコンビなのだろうともわかった。


「時生がずいぶんとその子猫くんをいたぶるなぁと思って黙ってみていたよ。 それに、私なしで王樹の泉がすんなり部外者を受け入れると思っていたのか?」


 志貴と呼ばれた女性の声は格段に若い。俺とそう大差ない年齢なのだろうが一番ふてぶてしいというか、年功序列がぶっこわれているような気がした。

 大人二人を相手にして、彼女は頬杖をついたままで長い黒髪を結ぼうともせずに、自由気ままだ。よく見ると、彼女の背中側には白銀の狼が伏せ状態で控えているのがわかった。その狼と目が合って、俺は身震いがした。

 むくっと首をもちあげた狼がさらにぐっとこちらをにらみつけてきて、俺は思わず息を飲んだ。

「正厄……」

 どうしてこの狼の名前が口をついて出たのかわからずに、俺は思わず口元を手で抑えた。

 その様子に志貴がけらけらと笑って、狼の首に腕を回して威嚇をはじめようとしていた狼を制した。

「なるほど、これは厄介だ。 件の関係者ということは理解した。 さて、尋問を開始するとしようか? 誰の計算通りで、誰の算段が狂ったのか知っているのなら話せよ、時生」

 志貴の声に、時生が苦し気なうなり声をあげた。志貴は指先一つで一心を動かしていたのだ。すっと背後から時生の首に短刀が押し付けられていた。一心の背には冷たい炎のような気迫が宿っている。

「僕に対しても問答無用ってわけ? 志貴、対応ひどすぎない?」

「物を知りすぎているというのは時に危ないものでしかない。 私はこう見えても、黄泉を好き勝手に利用されるのは我慢ならないからな」

「何がこうみえてもだよ。 見たまんまじゃないか」

「時生、天秤にかけるものを間違ったのなら、私は一心に命じるよ」  

 時生が両手をあげて、大ため息だ。身体が一回り小さくなるほどの息を吐きだした時生は一心の腕をぽんぽんとたたいた。

「天秤にかけてはいない。 ただ、高みの見物をすることも数日で許されなくなる。 だったら、いっそのこと、こちらから参戦すべきだという見解で今こうしている」

「見捨てようと構わないが、いずれその厄介は宗像にもまわってくるとでも?」

「あぁ、根底からやられかねないと思っている。 うちは近年稀にみるほどのキャラクターを抱え込んだ。 下手をすれば開祖を超えてる顔ぶれだよ。 これだけ集められて何も起きないと?」

「面倒ごとはもううんざりだ」

「それは僕だって同じだよ。 けれど、来るべきものが来たと腹をくくる必要があると進言する」

「聞きたくもないね」

 志貴は舌打ちをして、一心にさらにやれと指をくるりと動かした。

 一心はそれを見て、時生の腕を後ろ手に締め上げた。時生もそこそこの手練れであるにも関わらず、あっという間の芸当だ。

「あぁ、もう! わかったよ! 志貴と貴一のための龍笛を護り抜いて隠し通してくれていたのが高階静という男だよ。 彼は万葉と同列だ。 これで理解してもらえると助かる!」

 同列ねとつぶやきながらさらに締めようとしていた一心に少女がもう良いというように手を挙げて、時生を解放した。

 同列とはどういう意味なのか、俺にはさっぱりつかめない。カズハとは誰だ。

 一心は少し目を伏せて何かを考えた後で、ちょっと待てと時生の肩をつかんだ。

「同列とされている奴は公式見解では5人いるはずだ。 あと一人は?」

 一心の声色がかなり低く、いらついた響きを含んでいた。答次第では仲間同士がやりあうことになりかねない。まさに一色触発の雰囲気だ。

「残り1人は若宮直人だ」

 時生がこぼした名前に俺は思わず、えっと声を上げてしまった。

 あの若宮直人のことだろうか。同姓同名。いや、そんなに都合が良い流れになるわけがない。間違いない、あのエレベーターの中で出会った彼を指しているのだろう。

「それで全員か?」

 一心の問いに、時生がそうだと答えると、今度は志貴が面倒くさそうな声をあげてから大ため息をついている。

「若宮直人はいただけないな。 あいつは嫌いだ」

 志貴が身を起こすと、胡坐をかき、髪をかきむしった。

 それは十分にわかっていると時生が苦し気な声をあげたが、一心がそれを遮るように手を挙げた。

「志貴、この話をここで掘り下げることに何のメリットもないわ。 俺が預かっても構わへんか?」

 一心がそう言うと、志貴は小さく頷いて、もう何も言わなかった。

「で、君のお名前は何て言うの?」

 一心に問われ、俺は高階新だと答えた。だけど、ほんの一瞬だけ、一心という男が身構えたような感じがして、俺は首をひねった。

「時生、お前!」

 一心がくるりと背後を振り返り、急に時生の胸倉をつかんだ。

 時生がそれに対して、苦々しい表情を浮かべた。冷静沈着の塊のはずの時生の額に一気に冷や汗が浮かび上がっていた。

「時生、こいつは爆弾やろうが!」

「それでも避けきれん!」

 一心がふざけるなよと時生の身体を突き飛ばして、時生はその場に受け身を取ることもできず叩きつけられた。

「こんな爆弾を志貴に寄せやがって!」

 まだ怒りさめやらない様子の一心に時生は「それでも!」とつぶやいて身体を起こして、ゆっくりと片膝をついた。

 志貴はその様子に何も声をかけずにじっと見守っていたが、一言だけつぶやいた。

「元より楽な千年などあるとは思っていない」

 そのつぶやきに一心がふっと息を吐いた。そして、すっと時生に手を差し伸べた。

 時生がその手をとると痛ててと口にしながら立ち上がった。

 俺は目の前で繰り広げられる展開に息を飲んで見守るしかできない。


「爆弾では……ありません」


 その時だった。

 弱々しい真規の声がして、俺は自分の真横に目を向けた。

 真規は傷口を抑えながら、身体を起こすと、俺の肩に手を置いた。


「頴秀は爆弾ではありません」


 真規が俺のことを頴秀と呼んだ。自分を指している呼称だとすぐに理解できたし、頴秀という響きは恐ろしく耳になじみ、胸の奥のしまい込んでいた感情を揺さぶるには十分すぎた。

 記憶の片隅にあるあたたかな背中と赤い髪の誰かの笑顔。

 その声がもう少しで甦ってきそうだ。

「泣かないで」

 真規の指が頬に触れてはじめて自分が泣いていることを知った。

「涙、あふれるな!」

 こらえろ、のみこめと言い聞かせるのに、とめどなくあふれてくる。

「責められるべきは君じゃない」

 真規に抱きしめられると、もうだめだ。

 頭の中がぐちゃぐちゃになってしまいそうだ。

 真規のふところから飛び出してきた小次郎が肩に飛び乗ってきて、俺の頬をなめてくれる。


「僕らが頴秀を護るように、あなた方も愛する人達を護る。 僕らとあなた方で何が違いますか? 本当に間違いがあるとすれば、僕らがこちらにいることだけです。 だけど、まだあちらへは戻れません。 だから、力を貸していただけませんか?」


 真規の真剣な声色に俺は顔をあげた。

 真規は一心でも時生でもなく、まっすぐに志貴を見ていた。


「こちらの指揮系統はそこにいる一心と時生が動かしていると知っているだろうに、どうして私に願う?」


 真規はにっこりと笑んで、ただ一言つぶやいた。


「あなたが肝だと考えているからです」


 志貴は形の良い唇を片方だけ引き上げた。

 すっと立ち上がると、弓道をしている人間のような装束を身に纏っていることがわかった。ただ、何かが違っているようにみえるのは、半襦袢の襟が片方だけ深紅に染色されていることだ。

 その上、彼女が身に着けている袴の色は純白なのだけれど、透かし柄のように銀糸で梅の花が丁寧に縫いあげられている。

 くすりと笑って指を鳴らすと、白い手が一斉に現れて、紅白の二色の長羽織をささっと彼女の身に纏わせた。膝裏近くまである長さの髪も手早くまとめ結い上げられていく。

 背で幾重にも編み込まれた黒髪を何カ所も深紅の組紐で束ね終わると、そっとそれを右肩から持ち上げるようにして流した。

 ゆっくりとした手の動きで仮面の上から目のあたりをそっと覆うと、瞳の色がこげ茶から一気に琥珀色へと変化した。

 

「言ってくれるじゃないか。 さて、一心、どうする? お前はああいう子が好きだろう?」


 ゆっくりと志貴が左手を伸ばすと、いつ移動したのかわからないが、一心がその手を取ってそばに居る。

「嫌いではないけど、メリットあるかぁ?」

 一心は盛大にため息をもらしながら彼女の手の甲に口づけた。

 すると左手首に白銀の腕輪が現れた。細工の飾りは精巧で、腕が動くたびに軽やかな鈴に近い音がする。

「時生、これだけは嘘をつかずに答えろ。 最善はどっちだ?」

「志貴、抱え込むのが最善だと判断している」

「腹の中で飼いならせと?」

「それが最善と判断したから、動いたつもりでいる」

「飼いならすのは私か? それとも貴一か?」

「僕は貴一の役割だと読んでいる」

「そりゃ、面白い」

 志貴がきゃきゃきゃと笑い、のったと言った。

 ついでにこちらの厄介ごとも片づけてくれると尚良いなと彼女は付け加えた。

「時生、これだけ面倒ごとを抱え込むんやから、高階静と若宮直人の境界線を明確にしてくれるんやろな?」

 一心が口をはさんだ。この物言いで、若宮直人という存在が彼らにとって凶となるのはよくわかった。

「わかってるよ。 それくらいは何とかする。 ただ、若宮直人の扱いは静に任せるつもりでいる。 ここからはもう政治になる。 取引につぐ取引だ。 意にそわないことも発生するかもしれないけれど、同じ轍はふまない」

「ええやろう。 それと、あと一つ。 新君、いや、そこにおる頴秀君をせいぜい静音くらい動けるようにすることが俺からの最低条件な」

「静音!? あの爆裂戦闘系の娘と同等なんてのはいくらなんでも難題だろう……。 善処するが、彼の素質を見てから、誰に託すべきか熟考するよ」

 時生が俺の顔を見て、首の皮一枚つながったんだぞと言いながら肩を落とした。

 真規と俺は互いの顔を見合わせて、苦笑いするしかない。

 

「しばらくは道反から出すな。 治療も稽古も地下に限定で、上へあげるな。 彼らに接触可能な人間の選別は一心に任せる。 うちにいると薄々わかっていても表立っての証拠がなければ、手を出しにくいだろうからな。 ということで、私は黄泉へ出て暴れてくるから、一切を任せたよ、時生」


 志貴は一心を引き連れて踵を返した。

 ちょっと待て。今、黄泉へでて暴れてくると言わなかったか。

 俺は思わず、ごくりとつばを飲み込んで時生の顔を見上げた。


「あぁ、志貴は悪鬼を殴殺してくるだけだから気にしないで。 それに、妻溺愛夫が連れ立ってるから問題ないよ」


 俺は妻溺愛夫という表現にあんぐりと口を開けてしまった。 

 あの一心という男がうら若き志貴の夫というのか。 

 もう何が何だかわからない。

 確実に今、俺の表情は困惑に満ちているはずだ。


「宗像志貴はみてくれは17歳だけれど中身は結構いってるし、成人している一人息子がいるんだよ。 ちなみに、宗像一心には逆らわないことを進言しておくとしよう。 もう目の当たりにしたからわかっているだろうけれど、彼は君たちの良く知る静と互角か、それ以上が確定しているような男だから、気を付けてね。 僕は千回生まれ変わっても彼には勝てないから、こんなだ」


 土埃で汚れた着物をわざとみせてくる時生の穏やかすぎる笑みは俺と真規の背筋を凍り付かせるには十分すぎる。

 一つわかったことは、宗像の人間達がいかにやばい一族であるかということだ。

 時生はさっと負傷している真規に肩を貸してくれて、王樹の泉から出ようと促してくれた。

 その道すがら、黄泉使いという存在を知り、さらにあの凶事の際に鮮烈な印象が残っているほどに強かった彼らが宗像一族だったこともここではじめて知った。

 その上で、一番やばい黄泉使いが『宗像志貴』だと時生は言って、乾いた笑い声をあげた。どれだけ最強と呼ばれる黄泉使い達であったとしても、逆立ちしても彼女には勝てないのだと教えてくれた。


「宗像はこれまで散々な目にあってはその度に血の涙を流しながら立ち上がってきた血族だから、簡単に敗れはしない。 ただ、この先、君たちが確実にぶつかることになる悪夢から君たちを完全に覆い隠せるほどの魔法のアイテムがわりになってはあげられない。 だから、時間稼ぎがどこまでできるかはわからないが、生きる迷惑を選択したのなら、強くなるしかない。 言っている意味はわかるよね?」


 時生の言葉に俺達はうなずくことしかできなかった。

 それからと時生は付け加えてこう言った。


「彼女はちゃんと急所をはずしてくれていた。 良かったな、きっと根のところでは敵ではないよ」


 時生は悪戯っぽく笑った。

 桂のことを言ってくれているのだとわかり、俺と真規はわずかにうつむいた。

 敵側に居ることでできることもあるのだろうと時生が俺達の顔を交互に覗き込んで笑った。

 

「高階新を殺すかどうかが、判断基準だからね」


 時生がそう言ったあたりで、ふいに世界がかわった気がした。

 空間が異動した。確実に場が動いたのを体感した。

 

「さて、宗像の本拠地、道反へようこそ」


 急に視界が開けて、各敷高そうな日本家屋が現れた。

 その入り口には赤い髪をした少女が立っていた。

 あの時に出逢った少女で間違いない。この勝気な目を俺は知っている。

 やばい敵を前にして、苛烈なほどの疾風を身に纏って、炎をひねり出していた姿を目の当たりにした。仲間を傷つけさせはしないというあの気迫も忘れてはいない。だからこそ、緊張してしまう。

 

「地下の部屋へ彼らを案内しておいてくれるかい?」


 時生は別に用事があるらしく、少女にスイッチするらしい。

 眉をひそめたままでこちらを見ている少女の表情はかわらない。

 だが、時生に命じられたことに対しては小さく頷いていた。

 ついて来いというように彼女がわずかに先を歩いていく。


「しーちゃん、ここへたどり着けるのかな……」


 俺の言葉に真規が大丈夫とだけ答えてくれた。

 そうだよなと、小さく頷き、彼女の背中を目で追った。

 これから、ここで、俺達の生活がはじまる。

  

「強くならなくちゃ」


 


 






  



 


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