第5話 ハザマの世界

 歩く先輩に合わせて、ころころと自転車を押しながら着いたのは、城東高校近くの大きな公園だった。中央公園と言われて親しまれているこの公園は、城山という高さ約六十メートルの山をぐるりと囲んでいる。

 城山というだけあって、昔はその山の上にお城があったらしい。公園内の博物館にはその城の資料なんかが色々と保管されている。小学生の時に遠足に行っただけだから、詳しい展示物は忘れてしまったが。城下町の再現のジオラマには素直に感心した覚えがある。

 そんな公園の端っこ。

 駅につながる比較的大きな道路と面したその場所には大きな門が建っている。立派な和風の城門は、その昔城の表門として役割を果たしていた。とはいっても現存するそれは復元されたものらしいが。

 現在、その前にはバス停が設けられ、バスを待つ学生が行儀よく並んでいる。それを傍目に通り過ぎ、藤間と誠二は門の前に並んだ。一人は徒歩、一人は自転車を押しているという男女の二人組が門の前に並んでいると、とても変な目で見られそうなものだが、藤間曰く『門を使用する』時は、関係者以外の人目に映らないように細工がされているらしい。不思議な技術である。

 ちょっと待っててと言った先輩を、素直に歩みを止めて待つ。

 彼女は拍手を二回打ってくるりと振り返った。

「よし、通るわよ」

 門の外観は変わっていないが、その開かれた空間の向こう側の景色が歪んで見える。ここをくぐれば現世ではなくハザマの世界、ということだろう。二度目のハザマの世界は自ら赴くという、普通の人には体験できない事柄に、知らず足がすくむ心地だが、これはためらっても仕方ないと腹をくくった。

 先輩も躊躇する様子どころか、早く行きましょうという雰囲気を感じるし。誠二は短く吸った息を吐き出した。こんなものは気合いである。

「ほら早く」

 手招く先輩に急かされて誠二は一歩を踏み出した。

 同じ場所なのに、全く雰囲気のちがう場所が、そこにはあった。二回目だから気がつくのか、現世とは明らかに違う空気。それは、人の営みが感じられるか否かが大きいような気がする。

 鷲の門を入ると道がある。道の周りには玉砂利が敷かれて雑草はあまり生えていない。振り返ると鷲の門はあったが、その奥のバス停で並ぶ人たちは見えなかった。

「ハザマの世界へようこそ。あなたは二回目だけどね。鷲の門は玄関なの。私たちの領域のね」

 すたすたと歩く先輩についていく。

 道なりに進む。お堀にかけられた石造りの橋を渡り、公園内に建てられた博物館と山の間を抜け、木々の間を抜けると、左に池、右にバラ園が広がる。奥には大きめの広場があって、池をぐるりと回り込むと登山道の入り口が見えてくる。ここまでくるとちらほらと人がいた。

 この人たちも先輩と同じなんだろうか。

 自転車のハンドルをきゅっと握る。時折物珍しげにこちらを見てくる彼らの視線から外れるように、誠二は少し俯いた。

 登山道の入り口には小さな門があった。これは現実にはなかったはず。

 右手にある細い小川には板をかけただけの、木の橋がかかっている。一メートルもない橋だ。小川は山沿いに伸びていて、上には遊歩道がある。生い茂る木の葉が傘になって夏でも涼しいが、冬を迎えようという今の季節には寒々しく感じる。

 視界の端に遊歩道でカタカタと靴音を鳴らし、追いかけっこをする兄弟の幻影が見えた気がした。ここは兄と来たことがある。もちろん現世の同じ場所と言うことだが。懐かしい。

「どう、ハザマの世界の感想は。といっても、あまり現世と変わらないから聞いたところでって感じね」

「そう、ですね」

 先程感じた疎外感の事を、先輩には話さなかった。同じ景色でも、別の場所だということは、肌で感じている。

 何が違うのだろう。それは言葉にはならなかった。

「こっちよ」

 そういう先輩について小さな門をくぐる。そのまま登山道に入るのかと思いきや、景色は一変して、日本風の家屋が、目の前に鎮座していた。

「驚いたかしら。居住区にはもう一枚結界を張っているの」

 空間を捻じ曲げたとしか思えない。奥に続いていたはずの道は消えて、それなりに立派な和風の玄関が見える。

「私たちの拠点へようこそ。説明は中でするわ。頭領が待っているから」

「頭領、ですか?」

「そうよ。私たちを取りまとめる一番偉い人。この空間の管理者でもあるわ。まあ、その辺の説明も簡単にはしてくれると思うけれど」

 説明。なにを。とは問えなかった。ここまできたら、なるようになれ。なるようにしかならぬ。

 誠二は覚悟を決めた。

 決めたはいいが、ここは何処だろうという疑問は残る。うやむやにされるかなと思った質問に、先輩はあっさりと答えてくれた。

「城山の中よ、ここ。一番強力な結界なの」

 まるでファンタジー小説の中の話だ。物語は好きだけれど、現実のものとなると、途端に理解が遅れる。夢だったと思う方がいくばくか現実的だ。だが、今回の事と、秋口の事を踏まえて、どうしようもなく現実だということはわかった。

 自転車を門に入ってすぐ右に停めておく。ツツジの植え込みがあって。花が咲く季節には綺麗なピンク色を見せるに違いない。

 玄関で靴を脱いで、お邪魔しますと声を掛けるが、誰も出てくる気配はなかった。拍子抜けだ。

 案内する先輩について、奥の間に通される。外付きの廊下を歩くが、ところどころ部屋の中が見えて、外見通りの和室もあったが、たまに洋室も見えた。建物は何棟かあるらしく、渡り廊下でつながっていたり、開け放たれた裏口から別の建物が見えたりしていた。玄関を開けているなんて、防犯的にはどうなんだろうと思わずにはいられないが、こちらの常識を当てはめてはいけない。

 そんなことを考えながら、きょろきょろとしているところを、先輩には「危機感がないわね」とたしなめられた。

「ここよ」

 先輩が一つの部屋の前で止まる。木の扉だ。パッと見た感じは横開き。左右に開くらしい。

「頭領。連れてきたわ」

 彼女が中に声を掛けると、男の声が聞こえた。

「どうぞ」

 先輩が引き戸をすっと開く。部屋は板の間で、奥が一段高い。頭領と聞いたから構えていたら、奥に座っていた男は、ジーンズにカーディガンのラフな格好だった。右側に控える初老の男は、対称的に和服で綺麗に正座している。格好から座る位置は反対ではないかと、思ったが、これでいいらしい。

 先輩が口を開く。

「木原誠二を連れてまいりました、頭領」

 奥の男がその言葉に頷いた。

「ありがとう、アヤ。でも、堅苦しいのは苦手だな。姪っ子にそんな態度を取られると泣くよ?」

 男は笑う。言葉と裏腹に泣きそうにはない。横の和服の男は沈黙を守っている。

「よくきたね、木原誠二くん。こんなところにいきなりくるのは勇気がいっただろう。世俗から離れている自覚はあるからね。なにせ世界が違うのだから」

 はっはっはと口を開けてまた笑ったが、目は抜かりなくこちらを観察している事がわかった。そういった人間観察は得意だ。

 男の目が細まる。男も得意分野のようだ。食えない性格をしている気がする。初対面でそう思える雰囲気を持つ男だった。

 対面の座布団に促され、居心地の悪さを感じながらもそこに座る。左手側には先輩が腰を下ろした。

「自己紹介からしようか、木原くん、いや、誠二くんと呼ばせてもらおうか。さっきも言ったように堅苦しいのは苦手なんだ」

「どちらでも大丈夫です」

 誠二は頷く。当然のように名前を呼ばれたが、藤間先輩を通じて誠二の情報は一通り知っているらしい。学校も同じ、部活も同じとくれば、情報は集まりやすい。

「おーけー。私の名前は藤間薫。ここでは頭領をやっている。こちらに座っているのが相談役の藤間紋一郎」

 和服の厳格そうな男は、静かに一礼した。

「俺は木原誠二です」

「ありがとう、高校の二年生で、アヤ……綾香と同じ弓道部の所属、であってるかな?」

「はい」

「確認するけれど誠二くんがが初めてこちらに来てしまったのは、秋口の話だったね?」

 部活終わりの放課後を思い出す。橋の上を自転車で通っていると、急に自分の周りから人や車が消え、困っているところに先輩が現れた。それを思い出しながら誠二はまた首を縦に振る。

「今回はこちらの世界と二回目の接触、ということでここによんだわけだけど、その事について話す前に、色々と情報を必要としているだろうから、先にこの世界の事と、私たちの立場について説明しておこうか」

「ありがとうございます」

「まず、この世は三つの世界から成り立っている。一つめは現世。誠二くんがこれまで生活していた世界。そして二つめは常夜。これは、魔物の住まう世界だね。そして三つめはここ、ハザマの世界」

 三本の指を一本ずつ数えるように立てていく。

「私たちの仕事は、バランスを保つこと。危うい均衡で存在している『現世』と『常夜』を、このハザマの世界で調節する者だ。バランサーと自称してね」

 ひらりと右手と左手をあげる。

「バランサー、ですか」

「現世と常夜、この世界は常に近づいたり離れたりを繰り返すわけだけど、接することはない」

 薫は手の平同士を内向きに構える。

「もしこの二つの世界が繋がってしまったら、現世には魔物が侵入し、現世からは常夜行ってしまう人が出るだろう。それを防ぐための緩衝としてハザマの世界は存在し、私たちはその境界を守っているというわけだ」

 手の平をくっつけてにこりと笑うと、おどけたようにパッと離した。

「秋口の報告はその時にもアヤから受けていてね。君のように偶然こちらに来てしまったものを、私たちは『落ち人』と言うんだ。そういったもの達は見つけ次第、私たちが責任を持って現世に返す。ここまでで何か質問は?」

「いえ、ありません」

 現世と、ハザマと、常夜。世界は三つあって、その境界線をハザマの世界に住むバランサーが守っているということはわかった。常夜の世界の魔物という存在。それも秋にこの目で見て知っている。未だに信じがたい気持ちはあるが、淡々と説明されて逆に現実味を帯びた。先輩や、先輩の叔父である頭領、そしてその下につくバランサー達は文字通り現世と、常夜の間にあるハザマの世界で戦っている。

「それで、君にこちらに来てもらったわけだが……」

 誠二は頷く。彼女は上のものが誠二を呼んでいると言っていた。誠二にはあまりハザマの世界には関わって欲しくなさそうだったが「仕方ない」と。

「現世に返した『落ち人』は、基本的にもうハザマの世界と関わることはないんだよ。なぜなら、元々境界をまたいで世界を越える事がほとんどないからだ。ハザマの世界の記憶を消すなんて芸当はできないから、不思議な体験をしたという記憶を持ちながら、日常を過ごすわけだ。彼らにとっての日常をね」

「それに、魔物と遭遇する事もそうないから、白昼夢を見たのかもって誤解する人も多いしね」

 静観していた先輩がそう補足する。

 なるほど。極端かも知れないが、迷子が道を案内してもらったぐらいの感覚なのかも知れない。誠二のあの日に対する記憶は鮮明だが、ハザマの世界での体験が強烈だったから、というのは納得できる話だ。日本刀の閃きと、高く響いた弦音。よく覚えている。弓を引くたびに思い出す。

「で、稀なはずなのに、現世生まれ現世育ちの君は、またこちらの世界に関わった。関われてしまった原因を私たちは知りたいと、そういうわけだ」

「俺は別に、何も特別なことは……」

「していない、か?」

「はい」

 自分が自覚して何かしたわけではない。そう言う方法も知らないからしようもない。

「していないかもしれないが、しているかもしれない。もしくは君の周囲の環境が特殊なのか、君自身が特別なのか……。まあ、調べてみないとわからないから、調べさせてくれ、とそういう事だ」

 薫は鋭い瞳をしまいこんで、人好きする笑みを浮かべた。こう見ると気のいいお兄さんという感じがする。何歳なのだろう。頭領と呼ばれる割には若い。右で静かに座している男が頭領と言われても違和感はない。

 その初老の男に至っては、視線をよこしはするものの、全くアクションを起こしてこないから、じっと観察されているようで不気味だ。

「君の事は『視る』専門の者を連れてこよう。後は君の弓と矢も一時預からせてほしい。今日は持っていないようだから、後日だな」

「視る、ですか?」

「そうだ。普通の目には映らない事象、霊的なもの。そう言ったものを視る。特殊な技能に長けた者に、君と君の持っていた道具を調べてもらうことになる」

「わかりました」

「準備もあるから、今日のところは特に何をするということはない。少しこちらの世界を散策してもいいけど、そのまま帰るならアヤに鷲の門までついていかせよう。適当なところから公園を出るなよ? この中央公園内は結界で守っているが、一歩外は制御しきれない世界だ。いつ何時なんどき魔物が出てくるかわからないからな」

 誠二は首を縦に振った。

 その様子を見ていた薫は、ふむ、と考える仕草を見せる。だが、すぐにその態度を霧散させる。

「そうだ、一応現世に戻る前に、これを渡しておく。今後また偶然ハザマの世界に関わることもあるかもしれないからな。マーカーみたいなものだよ」

「マーカーですか?」

「監視されているみたいでちょっと居心地が悪いかもしれないが、ハザマで君の気配がしたら、私たちの誰かが迎えに行く。ま、使われないことが一番だけどね」

「ありがとうございます」

 手渡されたそれは、小さなキーホルダーのようなものだった。鈴みたいだが、中身はない。音が鳴らないようになっている。

「魔物に遭遇したとしても、一度は弾いてくれるという優れものだ」

 手放すなよと念を押されて、そんな状況になるのかと、内心首を傾げる。二度あることは三度あるかもしれないから、用心はしろということだろうか。

 誠二は納得した。

 それからすぐに解散となり、誠二は帰路につく。先輩が鷲の門まで送ってくれて、そこで別れる。

 また明日と彼女に言われて、少し嬉しかった。部活は来るのだろうか? 明日は土曜日だから学校はなく、部活は昼まで。久しぶりに先輩の射が見られるということかと、少しワクワクした。

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