第4話 ある夏の日の思い出

「ねえ、泳ぎに行かない?」とミキちゃんが言った。


 ミキちゃんを拾ってから半年近くが経ち、夏も盛りになっていた。


「いいね」と僕が言うと、ミキちゃんはにやりと笑った。

「今から」

「今から?」


 水曜日の、夜の9時を少し過ぎた頃だ。晩ご飯のあと、エアコンの効いた部屋で、のんびりとテレビを見ていた。


「そ、今から」


 ミキちゃんに強引に連れられて、僕は家を出た。ずんずん歩くミキちゃんに、ついて行った先は、小学校だった。ミキちゃんは、自分の身長よりも高い門を、よいしょとよじ登って乗り越えて、当然のように中に入った。


「ミキちゃん、それは、違法行為だよ」

「知ってる。ほら、タクやんも、早く。見つかっちゃう」


 ミキちゃんにそう言われて、僕は急いで門を越えて、小学校に侵入した。


 プールの柵も軽々と乗り越えて、ミキちゃんはポイポイと服を脱いだ。僕が、心臓をバクバクいわせ、汗びっしょりになりながら、やっと柵を乗り越えたのと同じタイミングで、ばしゃん、と派手な音が聞こえた。


「きゃー!」と、ミキちゃんの嬌声とも笑い声ともつかない大声がこだまする。

 ミキちゃんは、あはははと子どもみたいな笑い声をあげながら、25メートルのプールを端から端までクロールで泳いだ。


「タクやんも入りなよー!」とミキちゃんが叫ぶ。

 僕は、どうしても、服を脱ぐことができずに、その場で固まった。

 びっしょりと汗をかいているのは、暑い中をミキちゃんを追って走ったからだけじゃない。嫌な汗が、脇から腹へ伝わっていくのを、僕は泣きたい気持ちで感じていた。


 ミキちゃんは、笑顔のまま、しばらく僕のほうを見ていたけど、そのうち少し不機嫌な顔になって、一人で泳ぎ始めた。


 少し泳いだ後、ミキちゃんは、プールの真ん中で仰向けに浮かんだ。月明かりがミキちゃんの裸体を照らす。その光景を、僕は身動き一つせずに、じっと眺める。プールの水の、こっくりとした深い闇。ミキちゃんの呼吸と合わせて上下する胸。水面にゆらゆらと見え隠れする手足。


 バサバサのつけまつげが取れてしまったミキちゃんの顔は、口も目も半開きで、無垢にも情欲的にも映る。いつものミキちゃんとは違う生き物みたいで、感動的だった。この光景が見られて、僕は幸運だと思った。


 プールから上がったミキちゃんは、びしょ濡れなのも気にせずに、脱いだときと同じくらい速やかに服を着た。


 僕の家に帰る途中、僕もミキちゃんもずっと無言だったけど、ミキちゃんが僕の手をつないでくれて、僕は心底ホッとした。


 ゆるしてください。どうか、その手をはなさないでください。


 心の中で、僕は祈った。


(つづく)


 

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