巨乳に挟まれて死ぬなら本望じゃないか。やっぱり苦しそうなので死にたくないです。

 暗い独房のような所にいた。コンクリート製の壁に囲まれ、はるか高い天井に換気用の窓がついている。独房といっても、トイレも無ければ、鉄格子も無く、そもそも入り口らしきものが見当たらない。


「なんだこれ…。」


 今まで家にいたはずだが、意味が分からない。こんなことになるような心当たりも持ち合わせていないし、俺が独房に一人でいるということは、悠はどうなったのだろうか?

 コンクリートに手を着いてみると、こんにゃくでも触っているかのように柔らかい。


 無骨で冷たい色合いとは違って、存外暖かく、見た目とのギャップに余計に混乱してしまう。しばらく独房の壁を叩いていると、ゴゴゴッという不穏な音が鳴り始めた。

 ゆっくりとではあるが、壁が迫ってきている。もともと広い訳でもない空間がさらに狭まり、四方の壁が俺を押しつぶそうとしていた。


 思わず動揺するが、そこまで力が強い訳ではない。身動きは取れないが骨がきしむほどに押しつぶしてくるわけではなく、せいぜい体を拘束する程度。


「何がしたいんだ…。」


 戸惑っていると、壁が真空パックのようにぴったり俺に張り付いていることに気づく。それはまるで、俺自身を使って金型でも取ろうとしているかのように、欠片の隙間も無く。徐々に息苦しくなり始めたところで気がついた。


 最初から、俺を押しつぶすことなど目的ではなかった。布団を圧縮するように、俺の息の根を止めることが目的だったのだ。気づいた時には指の一本すらも動かせず、顔に触れる暖かな壁の感触に悶えるしかなかった。

 どことなく繊維質な壁。口の中に布をねじ込まれるような気持ち悪さと、命の危機をかんじる息苦しさに思わずむせようとするが、すでに喉も絞められている。


 助けを呼ぼうにもすでに声が出せない。

 必死に手足をバタつかせるが、ピクリとも動く様子はなく、それどころか自分の呼吸が止まっていることに気づいた。


「ブハァ!!!ハァハァハァ……。うぇ……?」


 次の瞬間には、自分が床に転がっていた。カーテンの隙間から日差しが零れ、驚いた様子でこちらを見ている悠の姿がある。黄色や水色など、明るい色で彩られた室内を見て、昨日のことを思い出した。


「量さん…?大丈夫ですか?」

「あ、ああ。なんか、悪夢でも見ていた気がする。ちょっと、水飲んでくる。」


 ベッドから落ちた衝撃か肘や二の腕あたりに小さな痣が出来ており、首を傾げてみるとズキズキとした痛みが襲ってくる。


「……量さん、もしかして寝違えたんですか?」

「そう、なのかな。まあでも仕事に支障はきたさないから、大丈夫。」


「もしかして…膝枕のせいですかね…?」

「膝枕…?あ、ああ!!そうだ、悠に膝枕されて寝てたんだ。思い出した。」


 先ほどの悪夢の息苦しさは、倒れかかってきた悠の胸に押しつぶされたのだろう。人肌なのだから暖かさも感じるわけだ。


 確かに柔らかく、心地いい感覚ではあった。人をダメにするソファというのがあるが、あんなものよりずっと気持ちいいだろう。だが、本気で死ぬかと思うぐらい押しつぶされてしまった。

 たぶん、もう二度としない。そして、自分が死ぬとしたら、窒息死だけは嫌だ。


「悠、膝枕はもう二度としなくていいぞ。命の危険がある。」

「命…!?どうしたんですか?」


 お前の巨乳が悪いんだよ。とは言いだせず、適当にごまかしてみるが、さすがに気づいたらしく、胸を抑えながら「すみません。気を付けます。」と謝罪されてしまう。


「いや、悠が悪い訳じゃない。まぁ、疲れは取れたから、また今度な。」


 炭酸水を一気に流し込むと、自室に戻って仕事の準備を始める。その間に着替えた悠が朝食を作り始めてくれたようだ。トースターとスクランブルエッグ、少し長めに火を通したベーコンがテーブルに並べられ、手でちぎったレタスの付け合わせがみずみずしく輝いている。


「いただきます。」

「はい、どうぞ。私もいただきます。」


 半分程度残っていた炭酸水を一気に流し込み、冷蔵庫から新しい炭酸水を持ってきてカバンに詰め込む。スマホの時計を一瞥するといつもの出社時間よりは少し早い。


「ま、いいか。いってきます。」

「はい、いってらっしゃい。」


 薄く微笑みながら手を振る彼女を見て、思わず顔がほころぶ。

 いってきますを言うのもいってらっしゃいを言われるのも、実に嬉しい。誰かがそばにいてくれるというだけで仕事に張り合いが出てくる。


 世の中にお父さん方は、このために頑張っているのだろうと、子供もいないのに勝手に共感してしまった。いや、厳密には悠は子供だが…。


「虹村ぁ!!西電の案件、お前だろ。早くしろォ!!」


 出社してすぐに、偉そうにふんぞり返る部長から思い当たる節の無い仕事を問い詰められた。一応会社用のパソコンにあるメールを確認してみるが、担当者名は鞍井になっている。


「部長、あのシステム発案は鞍井の仕事ですよ。」

「おまえさ、鞍井君が発案の仕事大変だってわかるよね?先輩のお前が率先してやるんだよ!!」


 目の前の男が、バンッ!!とデスクを叩いて怒鳴る。いつも通りの罵声も、悠との話のタネになると思えば、そこまで辛くもない。というか、どうでもよくなってしまった。


「わかりました。すぐにやります」とだけ答えて自席に戻ると、得意先から新着メールが来ており、システムエラーが発生したため至急来てほしいと連絡があった。


 先ほど請け負った案件は明日の午後が期限であり、資料作りに情報収集と時間のかかる仕事だ。さらに西電の根幹にかかわるシステムであるため、持ち帰って進めることもできない。


「やっばいな…。」

「虹村、西電の案件、すまん!!私が鞍井から受け取ったのに、いつの間にかお前になってた。」


 隣の花寺が頭を下げるが、「気にするな」とだけ告げておく。


 強がってみたが、それなりにピンチに変わりはない。先に電話口で得意先のエラーを聞いて、移動中に解決方法を練り上げるしかない。

 花寺に離席を伝えて、会社の車の使用申請を提出すると、逃げるように会社から出ていく。すれ違い際に出会った鞍井が給湯室で派遣の女の子をナンパしているのを見て苛ついたが、それどころではない。


「はい、はい。それは結構致命的なエラーですね。バックアップ呼び出せますか?」


 プライベート用のスマホに、悠から「夜ご飯は何がいいですか?」とメッセージが来ていたが、定時には帰れないだろう。残業するからいらないと返信して得意先へと車を走らせた。


……to be continued

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